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黎明 -03-





「父上がね、君達の赴いた戦場はとても危険な局面だったと言っていたよ。…そうしたら、だからこそ『佐助にしか任せられない』って兄さんがね。」

 少し二人だけで話せるかな、と幸村の方から誘って、肯いた佐助を伴って自室へと戻る帰り道。
 世間話の様にそんな事を話す幸村へ、佐助が僅かに足を止めた。

「…左様ですか。」

 短くそう返した佐助を、『着いたよ』と手ずからに自室の襖を開けながら、幸村は中へと促す。

「ねえ、昔僕と庭で会った事があるのを覚えている…?」

 全く脈絡の無い問い。
 新しく直属の主となる若君の意図を掴めぬと佐助は微かに思案した。
 …単に昔の想い出が私の中にも残っているのかどうかを確かめたいだけだろうか、それとも何か他に…?

「やっぱり覚えていないかな、ほんの一瞬のことだったから。でも僕はずっと覚えていたよ、君に『良き武将に』と言われた事。目標にしていたんだ、いつか君に認めて貰える様に…結局は今未だ僕は初陣さえも迎えてはいないけれどね。」

 佐助の返事を待たず、最後の方は自嘲するかの如き微笑を浮べてそう言う幸村を思わず遮って佐助は答えを返す。

「…覚えております、幸村様。それに…『良き武将に』と申し上げたのは戦の場数の話ではございませぬ、武将としての器量の話でございます。」

 生真面目に低頭しつつそう言う佐助へ、幸村はふっと笑みをこぼした。

「ありがとう、覚えていてくれて。君の言わんとしていたこと、分かっていたつもりだったんだけど…心の何処かで不安だったのかな、未だ戦の経験が無い事が。」

 顔を上げた佐助の漆黒の瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えながら、幸村がそう呟いた。
 その後両者の間に落ちた短い沈黙を破ったのは、又しても幸村の方で。

「…佐助は…本当は兄さんの下で働きたかった?」

 ぽつりと呟かれた問いは、もしかしたら未だ年若い青年の心の奥深く、ひっそりと根付いていたものだったのかも知れない。
 どこか淋しげなその言葉に、佐助は少し思案してからゆっくりと口を開いた。

「私や十勇士が幸村様の直属の部隊として選ばれた事を仰せになっているのなら…光栄に思って居ります。兄君の信幸様は主筋にあたる方なれど、私にはあまりにも近い存在であり過ぎた…信幸様が家臣である私を友と呼んで下さるほどに。その点、貴方様には初めから主と家臣として御仕え出来る。」

 ―――それはつまり、僕とは仕事のみの関係でありたいということ…?兄と築いた様な関係、友人としての関係を築いてはくれぬということだろうか。

 もやもやとした寂しさの様なものが幸村の胸中を覆った。
 彼の言わんとしている事は頭の中では理解出来る…確かに任務と私情を混同すると何事もうまく進まないけれど。

「…そう。父上がね、君を兄と思って師事しなさいと仰っていたよ。明日から宜しく。…僕が言うまでもないけど、今日はゆっくり休んでね。」

 少し影のある幸村の笑みに敏感に気付いた佐助は、瞳に僅かな心配の色を滲ませた。
 幸村が兄である信幸の事を相当に気にしているのは理解出来たが、何をそれ程までに気に病んでいるのか、それを理解する事は叶わずに。

「…幸村様は我ら十勇士が生涯お仕えする唯一人の主です。何かございましたら如何なる時でもご命令下さいます様。」

 最後にそれだけを告げて幸村の部屋を辞した佐助の背に、『ありがとう』と小さく呟く幸村の声が届いた。



* * *



 幸村の室を出てから佐助が足を向けたのは、庭園の隅にある東屋の一角。月光に照らされたその場所には、此方に背を向けて佇む人影が一つ。

「信幸様。」

 小さく呼びかけた佐助へ、人影がゆっくりと振り返る。

「遅かったな、佐助。…無事で、良かった。」

 甚八が怪我を、と低く告げた佐助へ信幸は黙って肯いてみせた。

「弟に…幸村にもう会ったか?あれは随分と気楽に育ってしまったが…君に任せれば何も心配はないだろうと父も私も思ったのだ。迷惑を掛けるが、あれを頼んだぞ。―――尤も、そうする事でお前とこうして語る時間が少なくなってしまうのは私としては残念だが…。」

 独り言の様に低く呟いた信幸の指が、さらさらと流れ落ちる佐助の髪へと躊躇いがちに一瞬触れて、そして離れた。

「幸村様は…何事かを思い悩んでおられる御様子でした。初めは庭園の外れで昔お会いした事を覚えているかと、それから本当は貴方様にお仕えしたかったのではないかとお尋ねになられましたが…。」

 暗に心当たりは無いか、と尋ねた佐助に信幸がふっと困ったように笑む。

「…私としては弟の二番目の質問に対する君の答えを聞きたいな。」

 結局逆に問いで返されて、佐助は暫しの間口篭った。

「幸村様に御仕えする事、光栄に思って居りますとお答えしました。初めから、主と家臣の関係として御仕え出来ます故、と。」

 信幸は暫く黙ったまま佐助の顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐いて。

「…それはつまり私とは既に主従の関係を越えた絆を育んでしまった故、と自惚れても良いのだろうか。複雑な気分だよ、ずっと『友人としてではなく主人として』と言い続けてきた君が、弟の傍へついて私から遠ざかる時になって初めて私を友人と認めてくれるというのは。」

 『忍としての自分に課した規律でございます故』と低く呟いた佐助の声が、すっかり闇におおわれた夜の空気へ散って行った。



 ―――信幸様と話していて、一つ思い当たったことがある。私の主となる方の、今宵の翳りのある表情の理由に。

 …仕える者として己を律した私の接し方が、あの方を苦しめている…?まだ精神的にもお若い方だ、お淋しく思われたのだろうか。
 けれど…主従としてのものを越えた絆を持ってしまえば、いずれそれが鎖となる事もありえるのだと、それが主であるあの方を危地に追い込むこともあるのだと、そう知っているから。

 自室に戻る途中、ふと視線をやった幸村の室の障子からは、未だかすかな明かりが漏れていた。





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