奈落 -02-
壬生へ来たその日のうちにこの身に呪文を刻まれ、人では持ち得ない特殊な力を与えられた。
何時の日か、真田を影から助けるべき時が来た時に間違いなく必要な事…それでもまるで自分が人であることすらも捨ててしまった気がして。私が奇妙な空しさに襲われている事を勘付かれたのだろうか、それから数日の間まるで生殺しの如く、上からは何の沙汰も無かった。
ただ時間になると女官が室に食事を運んで来て、機械的にそれを口にする。刃物で貫かれても不死の身体とは言え、栄養は取らねば永らえられぬということなのか。
室の外へは出ようとも思わなかったが、もし出ようとしていたならば錠が掛けられていたのかもしれない。
ぎいっと大きな軋みを上げて、私の住まわされている棟の大門が開かれたのは、そんな数日が過ぎた真夜中の事。
忍びとして長年培って来た鋭敏な神経がそのまま眠り続ける事を許してはくれなくて、思わずそっと窓から外の様子を窺う。
墨を塗りこめたかの如き闇夜…風に混じる、微かな血の匂い。―――それも人ならぬモノの…壬生の眷属の血が流されたというのか。
何故だかこの出来事が自分と無関係とは思えずに、僅かに身が強張った。
果たしてその予感は当たり、荒々しい足音と共に私の居る室の重い扉が開かれたのはそれからすぐの事。
廊下も室内も共に暗く明かりは何も無かったが、夜目をそれなりに効かせる事に慣れた私には入って来た相手が誰なのか、すぐに察せられた。
「お前が十二人目…最後の十二神将か。」
これは、”織田信長”その人。
何故白昼堂々と全ての十二人を召し出すのでは無く、この様な深夜に訪ねて来たのかは知れねども。
『最後の』という言葉の意味は分からなかったが、恐らくは壬生の陣営に入った順序か、あるいはこの男がこうして一人一人訪なった順序か。
「…”真達羅”の名を頂いた者です。」
低く応えた瞬間に、首筋に強い力が篭められた。
「答えろ、何故俺の配下に付く事を選んだ。」
彼の望む答えを引き出さねば殺す、と言いたいのだろうか。…尤も、彼がそう意図した所で呪文を掛けられたこの身体は生き延びるのであろうが。
「…さあ、己の身の保身を謀った故でございましょう。」
本当の答えは誰に対しても生涯伏せ続けると心に決めた。
どうせ偽りを告げるなら、わざとらしい忠誠を誓うのはこの相手の好みに合わぬだろうと瞬時に悟ったが故に選んだ回答。
数秒後に咽喉の奥でくっと哂う声を聞いて予想は正しかったのだと知った。
「珍しい答えよ。…他の者は皆、強さを求めた故とやら、太四老に命令された故とやら申しておったものを。だが、まあ良い…その分お前は奴らより信用出来るのだろう。」
第一の関門は突破したのだと、そう思って良いのだろうか。
首筋に掛けられた圧迫感がついと引いた。
「…外で…何かをお斬りになりましたか。」
先ほどから微かに匂う血の匂いが気になって問い掛けてみれば、何でも無い事の様に信長が哄笑を響かせる。
「俺の邪魔をして扉を開けぬ故、斬った。…それだけの事よ。」
扉を開けなかった…それはこの御方との面会を避けさせようという壬生の意思なのであろうか。
「―――俺は壬生の手駒になぞならん、絶対に、だ。」
続けてまるで吐息の様にとんでもない台詞が信長の口から漏れて。
思わずはっとした時に、同時に身体が床へと押し付けられた。
「…何を。」
咄嗟に抵抗し掛けた所を、相手の次の言葉が語尾を攫う。
「…シンダラ…お前は俺の僕だな…?俺の命令を聞くだろうな…?」
それはまるで、暗示の様に…この耳の鼓膜を震わす言の葉。
無意識の内に肯いた所で、耳のすぐ傍から低く囁かれた。
「…明かりを。」
―――明かり…?
いくら限られた空間とはいえそれなりに広さのあるこの部屋で、しかし彼は暗闇を物ともせずに私の首筋を捉えたのではなかったか。
何故今更明かりを必要とするのだろう…?
疑問に思いつつも忍術で炎を操って部屋に備えられている燭台に火を入れれば、室内がほんのりと明るくなって。
目の前には片目を隠して初めて幻影でその姿を見た時の印象よりも優しげな容貌を持つ、一人の男の姿が浮かび上がった。
そう、男の瞳に浮かぶ凶暴さを秘めた光のみを除けば、だ。
「ふん、俺の好みの顔だ。」
床に押し倒された体勢のままでそんな事を呟かれる。
一瞬後には唇に濡れた感触があって、漸くこの信長という男が今せんとしている事を正確に理解せざるを得なくなった。
―――抱こうというのか、この私を。初めて会ったばかりの、それも男を…顔が好みだというだけで…?
それともこんな方法で十二人全員の忠誠を量ってでもいるのだろうか。
荒々しい口付けはすぐに下方へと移動し、纏っていた服はまさぐる指に剥ぎ取られる。
今更抵抗する気にはならなかった。―――夜は未だ長く、私には逃げ場など何処にもないのだから。
「…身体中に呪文が巻きついている。…何だ、これは。」
低く尋ねられて出来うる限り平静を保って事実を告げる。
相手はまた低く咽喉の奥で笑った。
「太四老か。…嫌な連中だ。」
…先程もこの男は『壬生の手駒にはならぬ』と言って私を驚かせたのでは無かったか。
思考に沈む事を禁じるかの様に信長の手指の動きが激しくなって行き、私は為す術も無くそれに翻弄されるばかりだった。
* * *
今までの私は恵まれた環境に居たのだろう。理想的な主君に出会い、全身全霊を賭けて仕える事が出来たのだから。
―――その彼らの許を離れたのだ、多くを期待する方が間違っている。
仮の主とは言え、慰み者の様に扱われるのは辛かった。
それでも、話に聞くほどに身体が痛みはしなかったのは…先日施されたこの死海呪文に依るものなのだろうか。痛みすらも感じさせなくするとは恐ろしく、かつ見事な技だと今のこの状況には相応しく無いことを思った。
「喘ぎ声一つ…一言も発さぬか。存外強情な男のようだな。」
一度は中で達しても未だ尚、私の上に圧し掛かっている男が言う。
聞き入れられる筈も無い拒絶や喘ぎ声などと…その様なみっともない様を人に見られるのは耐えられぬ故に必死に耐えたのであったが、やはり何かを試されていたのか。
「まあ良い、一度耐えられたとて毎晩こうされれば徐々に俺に慣れるだろう。」
何気無く続けられた言葉は戦慄。
一夜のことでは無いのか…いや、それ以前にこの信長という男の今の行動…正気の沙汰では無い。
「狂っていると脅えるか?安心しろ、俺はお前を気に入った…嬲り殺したりはしない。…ああ、といってもお前は殺せぬのだったか…忌々しい連中のせいでな。」
此方の思考を読んだかの様にそう呟いた信長が、投げやりな笑い声を立てて立ち上がる。
そのまま何処かへと去って行く足音を追い掛ける気分にはなれなかった。
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