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奈落 -01-





 真田の家は、大丈夫。
 幸村様は見込んだ通りの智勇兼備の勇将だ、私が居なくても十分やって行ける…信じた者がお傍から去ったとしても、その様な事乗り越えて下さる筈。

 ―――唯一つ、気掛かりなものがあるとすれば。
 私が師として鍛えた十勇士の一人、年若い青年の事だろうか。
 いや…それさえも私の未練がそうさせるだけで、彼の忍術に不足があると言う訳では無い。

「…佐助、入ってもいいか?」

 もう当に自分の中では答えが出ている筈なのに、いや、運命から逃れられぬのは分かっている筈なのに、まだ一人堂々巡りの思考に耽りたくて自室に篭っていた私の許に、一人の訪問者。

 ―――よりによって、お前が来るか。
 いや、恐らくはただ単純に、数日来様子の可笑しい私に気付いた彼らが、普段から最も私と近しい彼を寄越したのだろうが。

「…ああ。」

 一つゆっくり吐息をついてから返事を返してやると彼はそろそろと襖を開けた。

「…佐助…?明かりもつけずに、何やってたんだ?」

 当惑した様な問いを投げかけるのも道理だろう。
 私は今朝十勇士達に他所に用があるから自分達のみで鍛錬をする様にと告げたのだ。

「…別に何もしていない。それに…未だ昼だろう、明かりは要らぬ。」

 でも今日は曇りだと反論しかける才蔵を目見で制す。

「それで?…私に何か用か。」

 束の間の沈黙にも耐え切れなくなってそんな問いで間を埋めれば、才蔵が少し哀しそうにこちらを見た。

 ―――違う、そんな顔をさせたい訳では無い。
 遠からず、二度とこうしては会えぬ存在になるのならば尚更、この弟子にこんな不安そうな表情をさせたくは無かった。

「俺じゃ…なくて。佐助の方こそ何か悩んでるんじゃないかって心配で。…俺、まだ全然頼りないけどさ、せめて打ち明けてくれたら力になれるかもしれないと思ったんだ。」

 小さかった少年が、これ程までに成長したか。
 そうだな、事態にまだ望みをかける余地があるのなら私とてお前に全てを伝えただろうが…現状がそうでないとすれば、すべき事は唯一つ。
 この秘密は墓に入るまで私の胸一つに納めて、疾くこの地を去ること。
 余計な苦しみをこの弟子に与えたくはない、苦しむのは私一人で十分だ。

「…いや、私はどうもしていない、お前の思い違いだろう。」

 軽い口調で返せば、それ以上は強く出れぬのだろう、才蔵の顔が悔しさを押し隠す様に僅かに歪む。

「分かった…鍛錬に戻る。佐助も…用事が済んだら来てくれよ。」

 普段と同じ様に『ああ』と返事をしようとして出来なかった。
 返事が返って来ないことにはっとした才蔵が足を止めて此方を向く。

「…どうしたんだよ、いつもの佐助らしくない…。」

 いつまでも視線が合うのを避けているわけにも行かずに才蔵へと目見を合わせれば、ただ純粋に此方を見つめる瞳。

「たまにはそういう日もあるのだろう、気にせずとも良い。―――年若くともお前は私が育てた弟子の中でも一番の弟子だ…しっかり鍛錬に励んで、何があろうとも幸村様をお守りすることだけを考えてくれ。」

 言葉の後半は半ば別れの言葉。
 忍んで此処を抜け出す以上、面と向かって別れを告げる事は叶わないから。

「佐助にそんな風に言って貰えるなんて意外だけど、嬉しいよ。…じゃあ、もう行くね。」

 壬生一族の下へ行って過ごす私の余生の中で―――この時の才蔵の後姿が瞼に浮かばぬ日は無いだろう。
 強く、なってくれ…才蔵。
 ただ、願わくは…たとえ私の今の真意がお前に伝わる事は無くとも、お前と共に居た頃の私の心だけは覚えていて欲しいと。



* * *



「遅かったね、”猿飛佐助”。漸く心を決めたの?…どの道、僕らに逆うことなんて出来ないのにね。」

 真田を出た私を亜空間に引き摺り込んで目の前に現れたのは、華奢な姿をした少年。壬生一族の最高幹部、太四老の一人であり、数日前私に『真田幸村の未来』を告げてよこした張本人であった。

「まあいいや、君はわざわざ抵抗してみせる様な馬鹿な真似はしなかったみたいだからさ。ああそうだ、新しい名前を上げるよ、仮にも十二神将の一人になるんだから。」

 …名…?
 ああ、それではもう私は『猿飛佐助』ですらなくなるのか。
 返って都合が良いかも知れぬ、あの名前は真田で皆と共に過ごせた頃の記憶と共に心の奥深く封印してしまえば良い―――さすれば例え何人たりともその聖域を、私の心の最も柔らかい部分…良き記憶を侵す事は叶わぬだろう。

「有難く拝領致します。」

 心に決めた主は幸村様だけなれど、必要とあらば誰にでも頭を下げることくらい造作は無い。
 そんな態度に満足したのかどうなのか、『時人』という名を持つ太四老はうっすらと口許に笑みを浮かべた。

「賢明だね。今日から君は”真達羅”、だ。それから…今日から君が仕えるべき主を紹介しないといけないか。」

 時人がぱちりと指を鳴らすと、間の空間にぼうっと幻影の様なものが浮かび上がる。それを見上げて、常人と異なるその片目の様子にぎくりとした。

「この男の名は信長…壬生再臨計画の主要な手駒なんだから、君のそのお得意の『忠義』でしっかり守ってやってよ。まあ、そのうち本人にも合わせるけど。」

 織田信長…名前だけは知っている。
 この子供は信長さえも”手駒”と呼ぶのか。外見とは違い長い年月を生きている様だから私たち人間など赤子にしか見えぬのかも知れないが。
 せめて直接に仕える相手である”信長”が少しでも主として尊敬出来る相手である事を望むばかりだった。





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