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奈落 -03-





 初めて会った夜の言葉通り、私は毎晩夜半に彼の訪問を受けた。
 痛みを感じぬというのは恐ろしいもので、身体が愛撫に慣れれば慣れる程に快感のみが強まって行く。思わず声を上げそうになるのに耐えるのも、段々と苦しくなって。
 信長は決まってそんな私の様子を見下ろして、評し様のない笑みを浮かべた。

 やるせない気分にさせられるのはこんな瞬間。
 何故私は割り切れぬ…?
 頭の中では仕方の無い事だと、これは私が払うべき代償なのだと、十分過ぎる程解っている筈なのに…闇に埋もれた意識の中にふっとかつての懐かしき情景が浮かぶのは私の弱さ故だろう。

 ああ、身体などどうでも良い。
 何があっても守りたかったのは魂の居場所だった筈なのに。

「奴らから何も言って来ないか。」

 脈絡無く発せられた彼の問いの意図する所を察するのは難くない。
 壬生一族の最高幹部である太四老からこれまで私の所へ何の沙汰も無かったのをいぶかしんでいるのだろう。

「夕刻に使いの者が参りました。…明日、集まる様にと…信長様にも御連絡があったのではありませんか。」

 身体のみを交わす時間が多い中で束の間、意味のある言葉を交わす事が出来て微かな安堵を覚える。
 不思議な事に…こうして毎晩慰みの様な扱いを受けても、目の前にいるこの男を憎む気にはなれなかった。言葉無くとも、この男もまた壬生一族による犠牲者なのだと肌で感じ取り始めていた故であろうか。

「…はっ、俺の所に連絡なぞ来る筈が無かろう。俺に近付く壬生の眷属など皆斬り捨てているからな。奴らも俺を呼び出したければ力づくで来るだろうさ。」

 自嘲気味な台詞は信長の心の闇を真っ向から映し出したもの。伸びた前髪の影に隠れた常ならぬ配置の目が鈍い光を放った。

 この御方の精神が細い、細いたった一本の糸で何とか均衡を保たれている様に思うのは私だけだろうか。
 そしてそれは…如何に武力が強くとも、侍にとっては最大の危険であろうに。

「壬生の思惑に乗ってやるのなど不快だが…俺にも俺の目的がある。」

 自らに言い聞かせる様にそう呟いて見せるのは…そうしておかねば遣り切れぬからではないのですか。

「…気が削がれた、また明日会おう。」

 ふいと身を退いて室を出て行く彼の背が、酷く痛々しく見えてならなかった。



* * *



 使いの者に連れられて行った先には、様々な様子で会合の開始を待つ侍達の姿。
 いや…真の力など見掛けでは解らぬものだが、戦場に出すのは酷な様な子供までいた事に驚きを隠せない。
 そして…嗅ぎ慣れぬ匂いを発する者達―――彼らは一体何なのだろう。
 壬生一族が作り出した”最強の集団”は未だ謎に包まれた部分ばかりだった。

 何にせよ、与えられたあの部屋に閉じこもる様にして毎日を過ごす事はもう無くなる。それは飼い殺される事を恐れ始めていた私にとって何よりの安堵であった。

「十二神将は第六天魔王である信長を守る要です。癖のある者も多いですが貴方が十二人を率いなさい、真達羅。」

 信長を連れて現れた黒衣に左半身を包んだ太四老の一人…私の身体に死海呪文を掘り込んだ男がその足で私の許へ来てそう命を下す。

 十二人を率いよ…か…。
 この者達はどの者も一匹狼として生きる事を好むかに見える。この『ひしぎ』という名を持つ男の意図は―――いざという時には私が彼らの抑制力となれという事なのだろう。

「承知。」

 短く返事をした時、左手に小さな温もりを感じた。
 そっと視線を向けると其処にはしっかりと私の手を握る幼女の姿。

「お兄ちゃん、真達羅って言うのね。あたしはアンテラ…此処、何だか少し怖い…」

 やはり戦いに向かうには心の準備が出来て居らぬのではないだろうかと思いつつ、宥める様にその背を撫でる。
 ―――いや…もしかしたらこの者も太四老に何らかの脅しを受けて意に染まぬままこの組織に組み入れられたのであろうか。

「…真達羅。…貴方は賢い方の筈…余計な事は考えぬ方が良いのだとご忠告しておきましょう。」

 未だ至近距離に居た『ひしぎ』がふとそんな事を告げてそのまま踵を返して。もしや思考を読まれたのかと改めて身が引き締まる思いであった。



* * *



 その日以来、夜は変わらずあの与えられた室に帰るも、不思議と信長の訪れは無く…昼は外で鍛錬をしたり、閲覧の許可を得た書庫で過ごすことが多くなった。
 それは嵐の前の静けさとも呼べる奇妙な平穏に満ちた日々で…それが長く続くなどとは私も考えてはいなかったが。

 七日に一度は他の十二神将の様子を見に行く様にと命じられた。
会って話をする訳ではない、ただ彼らの様子を注意深く観察して不審な素振りがあれば太四老へ報告するのが与えられた任務。
 十二神将達は其々一所にはかたまっておらず、その居所は壬生の領地の中に広く広がっていたから、この任務を通して壬生の地理を多少なりとも掴めたのは幸いだったと言えるだろう。

 そんなある日の事―――不意に覚えのある気配を背後に感じた。
 これは…壬生で出会った者の気配では無い。壬生に来る前…私が真田に居た頃の…今ではもう遠い昔にさえ思えてしまうあの頃の懐かしい気配…。

(―――才蔵か。)

 巡らした思考が確信に変わる。
 戻って来いと説得に来たのか、私の真意を確かめに偵察に来たのか。
 後者であってくれれば、そうして速やかに此処から立ち去ってくれれば良いのにと思う。…一旦この道を選んだ以上、私はもう後戻りは出来ないのだから。
 此処はあくまで危険な土地…才蔵をそんな目に合わせるのは忍びない。早くこの地から脱出させねば拙い事になるだろう。
 どうすれば良いだろう、このまま気付かぬ振りをして立ち去れば良いか…それとも…?

 私の内心の葛藤を映すかの様に、ふっと見上げた空さえも暗い灰色の雲に覆われてどんよりと濁っていた。





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