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烈火-01


「御主君、又狩にお出掛けになるのですか」

 僅かに息を切らせつつ、周瑜は厩へ行く孫権に声をかけた。

「周兄か。…そうだが、何か不都合でも?」

 対する孫権の返答はどこか不遜な口調でありながらも、その声音には自信の無さが窺える。
 周瑜は少しの間言葉を切って、慎重に言葉を選ぶ。

「不都合なわけではございません。…ですが、大して供の者も連れず猛獣を狩りにおいでになるのは危険です。」

 穏やかにそう言う周瑜を、孫権は少し濁った目で見つめた。

「兄上はいつもそうしていただろう?これが兄上なら、と家臣達はいつもそう言うくせに、狩りだけは止めるのか?」

「…」

 暫しの間黙り込んだ周瑜に、孫権は馬の仕度を続ける。

「…止めは、致しません、御主君。どうぞお気をつけてお出掛け下さい。」

 その後ろ姿をちらりと見つめてから周瑜は静かにそう言い、その場から立ち去った。



「飛燕。」

 ぱちりと指を鳴らし低く呼ぶと、木からひらりと降り立った男が周瑜の前に跪く。

「すまぬが、配下の者を連れて影から御主君をお守りしてくれ。吹き矢に眠り薬を仕込んで、近付く猛獣などがいたら動きを鈍らせよ。刺客が襲って来たならば、いつもと同様に処理を。」

 命じられた男は深く頭を下げて肯き、又何処へとも無く消えて行き。

「…それと、飛燕。そなたもどうか無事で。」

 最後に掛けられた気遣いの言葉に、はい、と低く答える声がした。



 厩に残された孫権の方は、何だか取り残されたような気分を味わっていた。

 こうして突き放される位なら、激昂して自分を叱ってくれた方がずっといいのに。分からない、公瑾は兄上みたいに勇敢な将が好きなんじゃなかったのか?



 そうして、夕暮れ時。
 周瑜は書類の処理の為、まだ執務室に居た。

「…ご苦労だったな、飛燕。」

 庭先に控える気配を感じて、そう声をかける。

「…公瑾様、今日の仲謀様はかなり荒れておいででした。…申し上げ辛いですが、これ以上はお守り出来る自信が有りません。」

 少しの間の後に低い声で綴られた言葉に、周瑜はわずかに目を見開いた。
 この飛燕という男は、もう随分と長く周瑜に仕える腹心の忍びであったが、未だ嘗て彼がこの様な弱音を吐くのを聞いた者はいなかったのだ。

「飛燕…?…済まない、無理を言った、下がって良いよ。」

 そうしてくるりと庭に背を向けた周瑜の表情の変化は飛燕には読み取る事叶わずに。



 * * *



 翌日の昼頃、周瑜が主君の執務室の前を通った際のこと。室内からは三、四人の者達の声が響いていた。周瑜は普段どおり、なるべく音を立てないようにその室の前を通り過ぎようとしたのだが。

「殿っ。殿が先代の威光に苦しんでおいでなのは我らも存じては居りますが…その忘れ形見とも言える公瑾殿を辺境の地へ派遣するというのは頂けません。彼の政治の才は、中央で非常に求められて居るのですぞ。」

 そう主張するのは文官の筆頭、張昭の声。続いて武官の程普が同様の意見を述べて主君を諌めた。

 が、直後に孫権の甲高い声がいらだったように叫ぶ。

「お前達の言い分も一理あるが、私でなく兄上の面影を追っているような者を傍に置きたくはない!」

 激しい声で叫ばれたその言葉は、否応なく周瑜の耳にも飛び込んで来たのだった。



 ―――――思ったよりも、私は衝撃を受けているのかも知れない。仲謀様の言葉に、一抹の真実が有ったからこそ。

 そのまま政務をこなす気分にはなれなくて、周瑜は与えられた自室へと引き返し、奥の控えの間に備えられている寝台へゆっくりと身を横たえた。

『公瑾、もし…もし俺が戦で天命を全うしたらな…権のこと、頼んだぞ?あいつや張昭の内治の才と、お前の外交感覚があれば、きっと呉は大丈夫だ。俺がこんな事言うなんて可笑しいかも知れねえけどさ、でもどうしても今お前に伝えておかなきゃ、って思ったんだ。』

 義兄弟の契りさえ結んだ孫策がこの世を去る前に、最後に周瑜に会った時に告げた言葉。
 あの時は背中に嫌な汗が流れるのを必死で誤魔化して、縁起でも無い事を、と彼を窘めたのだったけれど…結果として彼の予感も、そして自分の予感も、現実になってしまった。それに…彼は刺客の放った毒矢に倒れて、その時遠征していた私はその死に目に間に合う事さえ出来ずに。

 ―――――誰よりも覇者たる素質を備えた人だった。彼だったからこそ私の全てを賭けてその覇業を支えようと、望みを現実のものとする手伝いをしようと思えたのだ。
…ああ、叶うならば。
 薄れて行く貴方の命を引き止める事が出来るなら、この命を差し出す事さえ惜しくはないのに。

 そして、今。
 伯符様…遺言となってしまった貴方の言葉を、望みを叶えて差し上げる事さえ出来ない私を、貴方は御恨みになるでしょうか。情けないと、お思いになるでしょうか。

 どうすれば、良かったのです…?
 私が貴方へのこの想いを忘れる事が出来たなら、仲謀様もそして私も苦悩する事無く、時の流れに身を任せ得たというのでしょうか。




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