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■ 闇の雫 4 ■





 ベルに応えて第三者がやって来るまで、セリウスは未だ温度の残る浴槽の湯の中に座しつつ、そしてドルフェリオスは壁にその背をもたれさせつつ、睨み合う様な形になる。尤も険しい表情になっているのはセリウスの方で、ドルフェリオスの方は何処か状況を楽しむ様に唇を笑ませていたが。
 やがて浴室の扉がコンコン、と軽くノックされた事で二人の間のその緊張した空気は破られた。しかし入室を許可するドルフェリオスの声に応えて入って来た相手を見て、又もやセリウスは驚愕させられる事になる。

「そなた…!」

 眩暈をこらえるかのように軽く頭を支えたセリウスの方をちらりと見遣ってから、ドルフェリオスの方へ向き直ったのはドルフェリオスが”ダル”と呼んだ赤髪の近衛だった。

「まあそうだろうとは思っていたが…やはりお前が来たか、ダル。」
「当然だろ。あれだけ人払いをしておいて今更呼び出しが掛かったら、まずはあんたの安全を護る為にも俺が来るのが筋だろう。…だがどうやら問題の闇の宰相は居ない様だし、あんたは正妃用の寝室でお楽しみの最中か?まあ別にあんたの身が無事なら、お楽しみの最中でも俺は全然構わんが、呼び鈴を鳴らしたってことは何かトラブルでもあったのか。」

 余程気心の知れた間柄なのか、気さくに言葉を交わし合った二人だが、その言葉を聞く限りダルはセリウスの正体には全く気付いていない様子だ。呆れるべきなのか、それとも返って好都合だと喜ぶべきなのかとセリウスが複雑な気分になるまでも無く、ドルフェリオスの哄笑が浴室に響いた。

「良く見ろ、ダル。私は確かにお楽しみだが、お前にもそれを分けてやろうと思って呼んだのだ。…お前の言う闇の宰相という呼び名、考え直した方がいいかも知れぬよ。」

 意味ありげなドルフェリオスの台詞に、ダルは怪訝な表情をしてセリウスの方へ再度目をやる。直接目を合わすのも遣る瀬無くてセリウスが視線を逸らした所で、ダルが漸く事の次第に気付いたらしくはっとした表情になった。

「まさか…」

 無言で肯定してみせるドルフェリオスを視界の端に収めて、セリウスは身を沈めていた浴槽の中から立ち上がると、湯をたっぷりと含んで重くなっている衣装のまま、扉の方へと足を踏み出す。銀の髪は確かに己にとっては忌まわしく思える物だが、それが知れたからとて身の破滅という訳では無い。それよりもこうしてあの王太子と近衛の好きに扱われていることの方が屈辱的に思えた。

「何処へ行く。」

 すぐさま近寄って来て又もや腕を掴んで止めようとしたドルフェリオスの手を、この時初めてセリウスは強く振り払った。

「己の宮へ帰らせて頂きます。私の通り道が水浸しになったとしても、それは私の咎では無い。」

 一瞬だけかち合った視線が酷く傷ついた色を浮べていた事に気付いてドルフェリオスが足を止めた隙に、セリウスは素早く扉からすり抜けて姿を消してしまう。

「で?どうする。」

 ダルが面白がっている様な表情を隠しもせずに、このまま闇に葬るのも今なら難しくないだろうぜ、と呟くのへ、ドルフェリオスは漸く正常な思考を取り戻した。

「馬鹿を言うな、ダル。…追い掛けるに決まっている。」

 暗にお前も手伝えと命じる主へ、ダルは了解の印に肯きつつも軽口を投げ掛けた。

「ドルフェ、結構あの宰相さんのこと気に入ってるだろ。悪ふざけが過ぎてあいつの逆鱗に触れて実は結構自分も傷付いてるってとこか?」

 その言葉に明確な返答を返さないドルフェリオスであったが、部屋を出る前にふと振り返る。

「私の宰相はどうやらお前の粗野な態度を好まぬ様子だったぞ。私より先にお前が見つけたなら機嫌を損ねぬように気を付けてくれ。」

 ”私の宰相”―――それは恐らくドルフェリオスにとっては無意識の言葉なのだろう。敵方の権力者であり、且つ今朝親しく言葉を交わしたばかりであるのに随分気に入ったもんだな、とダルは苦笑しつつも主の命に従って隠し通路の一つへと消えた。




 セリウスが急ぎ足で部屋を出てからそれなりに時間が経っていた為、二人は水の跡を辿って行くのではなく先回りして王宮の外郭を探しに行こうとしたのだが、一方セリウスは隠し通路を抜ける途中である女性と行き交った所だった。そもそも隠し通路で誰かと行き交うなどということは、基本的には有ってはならぬのだが、互いに身を隠して何処かへ行く途中ならば無理の無いことではある。

「あら…!?」

 若い女性特有のやや高い声で驚きを示したのは、あろうことかあのドルフェリオスの妹、サリディアという姫であった。兄よりはやや柔らかい感じの黄金の髪、そしてやはり蒼い瞳はアスタリオンの血筋の為せる業か。

「失礼を、姫。」

 そう言って頭を下げたセリウスの横をすり抜けることも出来た筈だったが、サリディアはそうする代わりにセリウスの手を取ってまじまじとその顔を見つめる。

「あなた…何処かで見かけた事がある様な気がするのだけど…でもおかしいわね、こんな見事な銀の髪、忘れる筈が無いのに。」

 悪意の無い瞳で見つめてくる相手の手を振り払うことは躊躇われて、セリウスは彼女に己の名を告げることを決めた。

「セリウス=レティシウスと申します。式典の折にお目に掛かりました故、私も姫の御顔を存じ上げておりました。普段は髪を黒く染めておりますので…違って見えるものなのでしょう。」

 僅かに目を伏せてそう話すセリウスに、サリディアは納得した様に笑った。

「ああ…でもお話するのは初めてだから、挨拶は”初めまして”でもいいのかしら。お互いちょっと変な所で会ってしまったけど。」

 レティシウスの者だからと警戒するでもなく明るく話し掛けて来る彼女に、セリウスは疲れた心が少し癒される様な心地がした。

「私はちょっと世闇に紛れて調べ物を、と思ったのだけど…あの、宰相様、身体が濡れているわ。」

 当然のことながら重く水を含んだ衣服は未だ乾く気配も無く、朝晩の冷え込む今の季節では肌に直接寒さを伝えて来る。気を抜くと無様に震え出しそうになる身体を叱咤しながら、セリウスは自嘲の笑みを浮かべた。セリディアは暫し考えた後にそんなセリウスの腕を引くと、隠し通路の元来た方向へと導いた。

「姫…?」

 戸惑った様に呼び掛けつつも黙って後に続くセリウスを、隠し通路の導く先の部屋へと連れ込むと、すぐに暖炉の傍へとセリウスを立たせる。

「私の部屋よ、宰相様。すぐに浴室と着替えの用意をさせるわ。そのままじゃ風邪をひいてしまうし、第一もう唇が真っ青だもの。」

 小さく礼を述べるセリウスに微笑んでおいて、サリディアはきびきびと侍女を呼び付け仕度をさせた。良く訓練されている侍女なのだろう、主である王女の部屋に水浸しの白銀の影を見つけても声高に騒ぎ始めることも無かった。

「さあ、入って。本当なら誰かにお風呂の世話をさせたい所だけど、多分あなたはそれは嫌でしょ?」

 早口でそう言うサリディアの声に背を押される様に、柔らかな湯気に包まれた浴室へ導かれた。一人になってから手早く衣服を脱ぎ落とし、身体を清めて乾かしてから用意されていたバスローブに身を包む。正装していた時身に付けていた剣は、脱いでたたんだ衣服の上にそっと乗せておいた。サリディアの私室へと続く扉をそっと押し開ければ、彼女は一人で鏡台の前に座って鏡越しに此方を見ていた。

「温まった?」
「はい、御迷惑をお掛け致しました。」

 優しく語り掛けて来る彼女に、もしも自分に姉がいたならばこんな雰囲気になるのだろうか、とセリウスはぼんやり思った。セリウスは今年22、二つ年上のかの王太子とこの姫は年子の筈であったから、サリディアはセリウスよりも一つ上ということになる。

「他人行儀は言いっこなしよ、宰相様。でも一体何故そんなに濡れていたか、説明してくれるでしょ?」

 王太子の妹姫ではあったけれど今更さして隠すべき事柄でもなかろう、とセリウスは勧められた長椅子に腰掛けて今宵の出来事をかいつまんで説明した。サリディアはそれに耳を傾けながら、セリウスの長い銀髪から優しく水気を拭うようにそれを梳く。一部始終を聞き終わると、彼女はふうと小さく息をついた。

「それは何というか…兄様はちょっと子供じみた所のある人だから…。」

 そこまで言った所でサリディアはふと耳を澄ますような仕草をした。はっとしたセリウスに手振りで寝台の影に隠れるように示すと、数秒の後に部屋の扉を叩く音と侍女が何やら言いつのる声が聞こえて来る。

「こんな時間に何の御用かしら、ダル…?」

 自分から扉を開け放って声を掛けたサリディアに、ダルは少し目を見開く様子だ。

「いや、姫さんが無事ならそれでいいんだが、ドルフェの探し物が此処へ来て無いかと思ってな。」
「探し物って…兄様は犬か猫でも飼っていた?」
「いや、犬猫ではないがな。…水の跡が姫さんの部屋の隠し扉の前で途切れてたんでね、正面からお邪魔させて貰った次第だ。」
「そう。何のことだか知らないけど、兄様に返す探し物は無いわ。失くして探すくらいなら最初から大事にしなさいと兄様に伝えるのね。」
「…姫さんには敵わねえな。今夜は退散するとするよ。」

 決然としたサリディアの言葉にダルが引き下がり掛けた時、別の声が横合いから割って入った。

「それは余りに冷たいと思わないか、我が妹。」

 いらしたの、と応じつつも態度を変えはしないサリディアに、ドルフェリウスは苦笑する。

「私はこれでも反省はしているのだよ、サリディア。つい物珍しさに駆られて悪ふざけが過ぎたかも知れないと。」

 冗談めかしていう兄へ、サリディアの眼差しが僅かに鋭くなる様だ。

「そんな理由では探し物を返すどころか、物探しに協力する気にすらなれないわ。父様があんな亡くなられ方をしたばかりだと言うのに、もっと他にする事があるでしょう?…早く帰って明日の政務にでも精を出すことね。」

 有無を言わさずサリディアが扉を閉めた瞬間、そっと身を起こしたセリウスは彼女の眦に僅かに涙が滲んでいるのを見た気がした。明るく振舞ってはいても、父王の死に深い衝撃を受けているのだろう。

「…姫。」

 静かに語り掛けたセリウスに、サリディアは元の通りの笑みを向ける。宰相様も今日はもう兄様に会いたくないでしょ、と茶目っ気たっぷりに笑ってみせる彼女へ、セリウスはゆっくりと首を振って言葉を続けた。

「…姫、あなたが先程調べ物を、と仰ったのは父君のことに関してですか。」

 僅かな沈黙の後にサリディアが肯きを返した。

「ここ数ヶ月の貿易の流れを見たいのです。父様の命を奪ったのは異国の薬…女の私の身ではそんなことすら知るのは一苦労だから。」

 サリディアの言葉を聞いたセリウスの表情が徐々に険しさを帯びていく。

「先年私の父の命を奪ったのと恐らくは同じ薬ですね。私も政務を引き継いでからこの方、ずっとその出所を追っていますが未だ糸口が掴めていない。」





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