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Scar-03


 あれからもう数日が過ぎた。
 かの王子はオークの剣による傷から回復したであろうか?それとも未だその傷の痛みに耐えているのか…。

 軟禁されているわけではない、その気になれば過日連れて行かれた王子の寝所まで見舞いに出向く事も出来るが、その後の森の王の言葉を聞いた後に無遠慮にあの部屋に押し掛けるのは気が引けた。

 あのような事にはならぬ、と自分に言い聞かせながらも、裂け谷の主エルロンドの奥方、ケレブリアンがオークの凶刃に倒れた時の事を思い出してしまう。

 …落ち着かない。部屋でこうしていても、彼に傷を負わせ、その瞬間にはその事に気付きもしなかった自分の不甲斐無さがつのってくるだけだ。

 ふらふらと、回廊に出る。昼間の暗さを補う為だろう、回廊にはいくつかの灯篭に炎が燃えていた。客室のあるこの房は、森エルフ達も滅多に通り掛からない一角。
 どうせ誰も居らぬだろう、と思いつつも前方に視線を彷徨わせると、遠くの明かりにほっそりとした影が浮かび上がっていた。

 不思議と、ある種の予感めいたものを感じて近付く。

 縮まった距離。はっきりと輪郭を現したのは、この数日、案じてやまなかった相手の姿で。

 けれど、その翠色の瞳はこちらに気付いてまるで驚愕したように見開かれていた。
 怯えさせぬようにグロールフィンデルが近寄る足を止めた瞬間。細い金糸が舞い、相手が足早にこの場を去ろうとしていることを知る。

「…っお待ちを!」

 考えるよりも自分の身体の動きの方が早かった。素早く間合いを詰め、背を向けて去ろうとしていた王子の腕をつかんで止める。

「…どうか、お逃げにならないで下さい。貴方を傷つけることは、もう二度と決してしないと誓います。」

 グロールフィンデルの少々切羽詰ったような口調に、反対側を向いていた緑葉の王子はゆっくりと身体の向きを変えた。澄みきった、でも未だ一点の不安そうな翳りを消せない目がこちらを見つめる。

「…御用でしょうか、金華公。何かご不便でも…?」

 続いて掛けられたのはそんな事務的な問い掛けで。何と返してよいものか分からなくなる。

「ご心配無く、不便があるわけでは有りません。でも、貴方はこの森の王子なのだから、そんな召使がするような問い掛けをなさらなくとも良いのではありませんか?」

 口に出してしまってから、しまった、と思った。そんな意図は無かったが、言った自分の耳にも明らかにきつい言葉として残る耳障りな言い方だ。果たしてそれを受け止めた王子の瞳が僅かに横に揺れた。

「…申し訳ありません。私はそろそろ戻らなくては…。」

 目線をを逸らしたままそれだけ言うと、緑葉の王子は未だ掴まれている腕を困ったように見やった。振り払うわけにも行かず、客人に面と向かって放せとも言えずに戸惑っているのが容易に伺える。

 思いがけずきつい口調で発してしまった言葉を謝って、この王子との間にいつの間にか生まれてしまったしこりの様な物を取り除きたい、と切に願う。言葉で伝えようとすると又失敗してしまうような気がして。

 掴んだままの腕をそのままぐいと引き寄せる。華奢な身体を腕の中に抱き込んでおいて、それから何と言葉を掛けるべきか考えた。

「あの…?」

 僅かに眉を寄せて王子がこちらを見上げて来る。それはそうだろう、そんなに良く知りもしない相手に不愉快な言葉を掛けられ、それから突然抱き込まれたのだ。

「済みません、あんなきつい言葉を言うつもりは無かった。この数日間、貴方の事が心配でならなかったのに、いざお会いすると気のきいた言葉が出て来ない。」

 真摯な口調に、レゴラスも瞳に浮かんだ不審そうな表情を和らげる。

「傷は、大したことは有りません、こうして出歩ける位ですから…。」

 心配は無用だ、と笑んで見せる。

「あの…でも、そんなにきつく抱きこまれると…少々苦しいのですが…」

 遠慮がちにそう若きエルフに、グロールフィンデルは慌ててその手を放した。放した途端に、既に身体を離して、では、と去ろうとする王子を再び引き止める事は出来ずに。

「…又、お会い出来ますか?」

 我ながら未練がましいと思いながらそんな言葉を発してしまう。

「…父が、今宵又宴を開くと申していました、あるいはその折にでもお目に掛かることがあるかも知れません。」

 曲がり角でその姿が隠れてしまう寸前に返って来た返事。それは暗に、私的に話すつもりはない、という彼の意思の表れなのだろうか。




 夕刻、森の王が客房を訪れた。用件は、今宵の宴への誘い。

「時にそなた、今朝緑葉に会わなんだか…?」

 話の切れ目に、鷹の如き鋭い目をした森の王がそんな事を尋ねて来た。別に隠すような事でもないので、それに応、と頷く。

 返ってきたのは微かな苦い笑み。

「…やはりな。朝どこかにふらりと出掛けて行って、戻って来てから様子がおかしい。」

 それは…明らかに自分のせいであろう。色々と、自分でも予期せぬ行動を取ってしまった。

「…心当たりは?」

 そう問い掛けられて黙って頷く。

「長く生きているのだ、もう少しうまく立ち回れば良いものを…。まあ良い、緑葉は気付いておらぬだろうが、今宵の宴とてそなたの為に膳立てしてやったようなものよ、うまく使え。」

 いつものあの悪戯な笑みを浮かべながらも、何故この王が自分にこうも好意的な態度を取ってくれるのか。それは取りも直さず自分の存在がかの王の手中にある至高の宝玉に大きく関わっているからなのかも知れない。





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