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Scar-04


 濃い影を落とす木々の間にいくつも灯されたランプの明かりが、宴の広場を幻想的に彩っている。ワインの芳香が強く香るその場所に、グロールフィンデルも客人として参加していた。

「父上、レゴラスはもう暫くしてから伺うと…。」

 一人の森エルフがスランドゥイルのそう告げるのが、少し離れた位置に居たグロールフィンデルの耳にも届いた。スランドゥイルを『父上』と呼ぶからにはこのエルフもこの闇の森の王子なのであろう―――――レゴラスの兄にあたるのか…あの年若い王子ほどスランドゥイル王に似てはいないが、言われてみれば何処と無く面影が似通っている。

「そうか。…皆の者、先に始めるとしよう!!」

 王の陽気な声に導かれる様に酒が廻され、エルフ達が一斉にそれに口を付けた。

「さて。…そなたの耳には先程の会話が聞こえておられたな…?聞いた通りだ、あれと話すのは今しばらくお預けだな。」

 つかつかと近付いて来たスランドゥイルに冗談交じりにそんな事を言われ、グロールフィンデルは困った様に苦笑する他無い。

「どれ、裂け谷の金華公にはその間、私の相手でもしてもらうとするか。…言っておくが私は酒には強いぞ…?酔い潰されぬ様に気をつける事だな。」

 そういう傍から片手にしっかりと掴んでいた酒の壜をぐいとあげて、一旦空になっていたグラスに注ぐ男は、確かに『宴会王』の異名を取るだけあるようだ。

「…緑葉の件でごたごたしていてゆっくりと話す暇も無かったが…エルロンドは息災にしているか?」

 その彼の口から不意に零れ落ちたのは、日頃そりが合わぬと思われていた裂け谷の主のこと。ノルドとシンダールの長年の確執から素直に交際を持つ気にはならぬものの、気に掛かる相手ではあるらしい。

「…はい。この様な時節ですから、御心を悩ます案件も増えて来てはおりますが。」

 仕事の顔に戻ってそう応える金華公に、スランドゥイルは『真面目な事よ』と酒を煽る。

「まあ、その時が来たならば私とて全く協力せぬわけでもない。あまり額に皺ばかり寄せておくなと伝えておけ。」

『その時』…今は力を失っている冥王サウロンの力が完全に蘇った時のことを言っているのだろうか。スランドゥイルも上古のエルフ…何がしかの未来を予見したとて不思議では無かった。

「…お伝え致します。」

 軽く頭を下げたグロールフィンデルへ『堅苦しい事は無しだ』と豪快に笑ってから、ふと何かに気付いてスランドゥイルは顔を上げた。

「…緑葉だ。」

 低く傍らのグロールフィンデルに呟いておいてから、さんざめく森エルフ達の中をこちらに向かって近付いて来る末の息子の姿を目で追う。
 仕立ての良い薄緑の長衣は、それを着て来いとスランドゥイルが用意してレゴラスに与えておいたもの。父親の予想通り、それは見事に年若い王子の美貌を彩っていた。

「遅くなりまして申し訳ございません、父上。…金華公も、どうか今宵はおくつろぎ遊ばします様に…」

 軽く膝を折って父親とその隣に座すグロールフィンデルへと洗練された挨拶。けれどその白い面には、どこかこの世の者では無い様な、儚げな微笑。

 …未だ、体調が全快していないのだろうか。それとも又、私に会う事で心を悩ませている…?

 心に浮かんだそんな疑問を覆い隠す様にグロールフィンデルは年長のエルフならではの威厳ある笑みを浮かべてそっと右手を差し出す。

「またお会い出来て光栄ですよ、『緑葉の王子』―――――レゴラス。そうして居られると本当にこの森の精が人型を取って現れた様ですね。」

 遠慮がちに触れ合ったレゴラスの手は、外気はさして冷えていないのにも関わらず僅かに冷えて、細く、弱弱しく思えた。


「まあ呑め。」

 己が王子とグロールフィンデルの間に陣取って、どんどん酒を勧めるスランドゥイルにこうしてなみなみと盃を満たされるのはもう何度目になるだろう。グロールフィンデルは決して酒に弱い方では無かったが、流石にこの宴会王の異名を持つ男の相手をしていると最後までは持たないだろうという気分になって来る。…いや、そもそも今宵の宴は私の為に膳立てたと言ったのはこの王ではなかっただろうか。

「王よ、私を酔い潰そうとお企みか。」

 冗談交じりにそんな言葉を投げれば、スランドゥイルはふっと口角を上げた。

「酔って潰れてしまえばいい。お主は昔から…良く言えば禁欲的で、悪く言えば真面目過ぎる。」

 ”真面目過ぎる”などと形容された事はかつて無い。真面目だというならば…遠い昔に背を預けた己の片翼に似合う言葉であったろうから。

「はは、良く分からぬという顔をしておる。」

 磊落に笑った彼はそれ以上説明する事無く、もう片側に居たレゴラスの盃にも酒を満たした。

「お前も呑むがいい。…病み上がりだと申しても、この父の血を引いておるのだから一杯くらいは平気だろう?」

 スランドゥイルのそんな台詞を受けて、思わずグロールフィンデルは隣の王の袖をきつく掴みかけた時、レゴラスは流れる様な所作でその盃を口に運んだ。ごくり、と鳴る咽喉が酷くなまめかしい。

「驚いたな…緑葉の王子は父君に似てお若いながらに酒がお強いのか。」

 感嘆のあまり思わず零れ落ちた金華公の言葉に、尤もレゴラスはすぐに顔を赤らめて俯いてしまったのだが。


「怪我人に酒など呑ませて大丈夫なのかと思って居るだろう…?」

 不意に聞き取れるか聞き取れないかという瀬戸際の音量でグロールフィンデルの耳許に注ぎ込まれた森の王の声。

「レゴラスはな、お主の予測通りさして酒には強くない。まあ、私が勧めたのはお主に渡した酒を十倍に薄めた様な薄いワインだが…まあ程無く隣から寝息が聞こえるだろうな。」

 それでも生来勝気な所があって、先刻の様に煽られれば思わず酒も飲み干してしまうのだと言う。愛息の気性を知っていて尚、そうして煽ってみせる父王に思わず窘める様な視線を向けたグロールフィンデルであったが、スランドゥイルの方は夕刻与えられた客間で見せたのと同じ悪戯な笑みを浮かべるのみ。

「…あれとお主の為だろう?」

 ―――――酔い潰された王子を、私が私室まで送って行き、そうしてわだかまりを解けという事か。だが、森の王は私にも”酔って潰れてしまえ”と言った。二人共が酔ってしまっては、計画も無理な事になってしまうだろうに。

「また難しい理屈をこねておるな。それだけ私の酒を口にしてまだ余裕があるというのは大したものだ。」

 空になっていたグラスを又濃厚な液体で満たそうとする王へ流石にもう勘弁してくれと苦笑いしておいてふとその更に横へ視線を走らせてみれば、果たして先程の言葉通り、緑葉の王子が無防備に椅子の背もたれに身を預けて寝息を立てていた。

「…眠ってしまわれましたね。」

 グロールフィンデルの言葉にスランドゥイルも其方へと目線を走らせ、ふっと笑う。

「任せたぞ、金華公。」

 低い声での台詞を置き土産にふと座を立って何処かへと立ち去っていく森の王を見送って、グロールフィンデルはそっと王子の身体を横抱きに抱き上げた。




 酔いが、まわる。でもこれはあの時の怪我とは関係無く…ただ私が未だ酒の類に慣れておらぬせい。
 それでも、あの陽光の如き髪を持つ黄金色の英雄の前でみっともない姿を曝したくはないから、必死になってそれと戦う。私にそれを勧めた父上は、と横を見れば、何やら低い声で金華公に耳打ちをする様子であった。

 すうっと遠のいていく意識の中で、誰かに柔らかく抱き上げられた感触を識る。いつもの宴席ならばこれは父上の腕だけれど…今宵は少し違う様な…でもとても安心出来る、優しい腕。抱き上げて運んでくれているのだろう、緩やかで規則的な振動が私を更なる深い眠りへと誘っていく。


「…目覚めましたか…?」

 瞼を開けた瞬間、視界に入って来たのは黄金。眠りから覚めた私の顔を覗きこむらしく、長いその髪がさらりとシーツに垂れてまるで帳の様に揺れる。

 ―――――金華公…!?
 …何故ここに、おいでなのだろう。見慣れた景色…この場所は私の私室に違いない筈なのに。

 其処まで考えた時、漸く宴での記憶が脳裏に蘇って来た。私はあの時、いつもの様に酔いつぶれて…それでは私を運んでくれたあの優しい腕はこの方だと言うのだろうか。




To be continued...?





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