My Precious Leaf-07
「そろそろ歓迎の宴の仕度も整った頃でしょう。私は一旦失礼して貴方の従者を呼んで参りますから、そこに用意してある衣装にお着替えになって下さい。後程又お迎えに上がりますので。」
グロールフィンデルは話の切れ目で優雅にそう言って立ち上がり、寝台の側のテーブルに用意された真新しい衣装を指した。その衣でさえも、谷の主が訪れる王子の為に、知らせが入った時から用意させていたものであったが、今はそれは告げずに。王子が素直に頷くのを確認して、金華公はその部屋を後にする。
薄絹で織られた光沢のある生地の衣装。そっと指先で触れながら、レゴラスは故郷へと想いを馳せた。
敬愛する父王もよくこうして自分に美しい衣装を用意させていた。自分の着飾らせては目を細めていた父王は、今どうしているのだろうか。自分一人いない所で、故郷の時間は特に何も変わる事無く流れていくのだろうけれど。
この谷の主を見ていると、離れている父王をついつい思い出してしまう。何故だろう、性格も、髪の色さえも全く似てはいないのに。
可笑しいですか、父上…初めて貴方と遠く距離をおいて、こんなにも落ち着かない気分になっている私が。
「レゴラス様。」
掛けられた声で初めて我に返った。はっとして振り向くと、自分に付けられた従者の姿。
「どうなされたのです、早くお仕度なさいませんと遅くなってしまいますよ。」
大丈夫だ、何でもない、と微笑んでおいて、自分から着ていた旅装を解く。勝手知ったる従者はそれに手際良く手を貸した。それほど時間をおくこと無く、宴に出ても恥ずかしくない仕度が出来上がる。
「いつもの事ですが、御綺麗ですよ。」
素直な賛辞を口にする従者に微笑んでおいて、レゴラスは自室を後にした。何処に行く、という訳ではない、ただ無性に外の空気が吸いたかった。
テラスに出ると、美しい夕日の残照が見える。故郷でずっと篭っていては決して見る事の叶わなかった風景。
「夕日を眺める姿も魅力的だねえ!」
「うんうん、父上が御覧になったら又先程みたいに惚けてしまうだろうよ!」
『今晩は、レゴラス!』
ついつい感傷に浸りかけていた自分を現の世界に引き上げるかの様に賑やかな声を掛けられた。
「お二人とも…。」
慌てて挨拶を返そうとするレゴラスに、二人がにこやかに笑う。
「考え事だった?」
「だったら邪魔してしまって悪いんだけど…」
『僕らと一緒に晩餐に行かないかい!?』
いつの間にか両側から腕を取られて、誘われる。
「ええ、でも、金華公が先程部屋で待つようにと…」
「大丈夫っ、ぶっちゃけた話、僕らがグロールの言っていた”迎え”だから!」
「君の部屋に行く所だったんだけど、先に君を見つけたから声を掛けたんだよ!」
『まあ迎えに行こうとしたグロールからその役目を奪ったんだけどねっ!!』
相変わらずぴったりと息の合った二重音声。レゴラスの顔から知らず笑みが零れた。
「ああっ、またそんな魅力的な微笑みを浮かべると…」
「我らの父上が見たら大変だ…」
呟いた双子に、訳が分からない、といった表情を浮かべるレゴラス。
そんな風景を向かいの対のテラスからじっと見詰める人影があることに、彼らは気付くべくもなかった。
夕刻の黄昏の景色の中で、谷の見事な庭園がその生彩を誇る。
その中に緑葉の王子が佇む姿はまるで一枚の絵のようで。そのまま永遠に留めておきたい一瞬のようにも思えた。
「楽しんでいるか?」
時間は流れて、星々の煌きが夜空を飾り始めた頃。次々と挨拶にやってくる谷のエルフ達が途切れて、窓辺で外を眺める王子に声を掛ける。
「…っ、卿!! 楽しい宴を開いて頂き、お心遣いに感謝致しております。」
振り返って笑うレゴラスの表情は穢れ無き純粋なもので。
「そう言って貰えると私も嬉しいよ、レゴラス。疲れてはおらぬか?…到着早々、宴に引っ張り出してしまった。」
「いいえ、卿。多少の旅の疲れはございますが、心地よい程度の疲れです。このような美しい土地に暫く滞在させて頂ければすぐに癒えます。」
スランドゥイルは本当に大切に、何の雨風にも当たらぬようにこの王子を育てたのだろう。エルロンドはふと、そんな事を思った。
「…庭園が気に入ったのなら…もし宜しければ私が御案内しよう。」
誘いを掛けてみると、レゴラスは嬉しそうに顔を綻ばせ、次いで思案するかのように僅かに首を傾げる。
「…又、昼に案内して頂く訳には参りませんか?」
「別に構わぬが…何か不都合でもあったかな…?」
穏やかに尋ねるエルロンドに、レゴラスは躊躇いつつも言葉を接ぐ。
「闇の森を出る前に…父に言われたのです、夜は部屋を出るなと。私は、出来れば父上との約束を守りたい。」
スランドゥイルがそのような事を…ああ、でももし私が彼であったとしてもそうしたかも知れぬ。いくら神々に愛された種族とはいえ、この王子の美貌は桁外れだから。夜に無防備に出歩いたら、誰ぞに言い寄られぬ保証など何処にも無いだろう。まあ尤も私が共に歩いておれば、そんな事もあるまいが。
それにしても、いつでもこの王子にはかの父王の言葉が絶対なのだな。…少々妬ける。
「…ああ、構わないよ。では又昼にでも色々な場所へ連れて行ってあげよう。代わりに今宵はもう暫く私と話などして過ごしてくれるか?」
静かに微笑みかけたエルロンドに、レゴラスが明るい笑みを返す。
「勿論です、喜んで!!闇の森にいた頃からずっと、外の世界の事を色々と伺いたいと思っていたのですから…。」
それから、レゴラスに問われるままに古い時代の話や、この裂け谷に暮らすエルフ達の話などを聞かせてやって。話題が途切れた時に、ふっと緑葉の王子の顔に浮かんだ翳りのある表情に気付く。
「…淋しいか…?スランドゥイルの側から離れてこのような旅をするのは初めてだろう?」
問い掛けてやると、レゴラスが『少しだけ』と俯いた。
「ロリアンに行って、今まで知らずにいた事を沢山悟って…嬉しかったけれど、いつも側に居て下さった父上がいなくて日が経つにつれて段々…。でもどうしてでしょう、裂け谷でエルロンド様を見た時に、ああ、父上みたいだなあ、と。」
恥ずかしそうに語られた言葉。そっと指先でその金色の髪を梳いてやる。
「もう随分と長い間スランドゥイルには会うていないが…私は御父上に似ているか?」
レゴラスは慌てた様にエルロンドの方を見つめた。
「お気を悪くなさったら済みません。似ていると申し上げたのは…容姿の事ではなくて、何だかあの、雰囲気が…お側にいると安心出来るのです。」
言い終えてそっと伏せられた睫毛が、まるで誘うように揺らめくのを、エルロンドは不思議な想いで見つめていた。
この王子にとって自分が特別な存在になれた事は嬉しい。けれど、私は父親に対するような感情では無く、もっと別な感情を彼に求めてしまっているような気がする。それは、出会ったばかりの、それも私の様な年配のエルフが持つにはあまりにも不自然な感情ではあるのだろうけれど。
…予見は、あったのだ。それで彼が谷を訪れると知らせが入ってから、知らずそわそわした気分になるのを止められなかった。この数日間で互いの事を知り合って。もしも想いを告げたなら、受け入れて貰えるのだろうか。
気ばかりが焦る。今回の訪問が終わったら、又彼は長い事森から出る事がないと思うから。
美しい夕焼けが空を彩る時刻や、それが紫色の闇のカーテンに覆われる時刻に。時たま、細く、美しい歌声がリヴェンデルに響いた。
その歌声の主が誰であるのか、もう裂け谷に住むエルフは皆が知っている。遠く闇の森から訪問して来て、かれこれ一週間をその土地で過ごしている若きエルフであるのだと。
昼間は書庫で本を読んだり、広間で他のエルフ達に話を聞いたりして時を過ごし、時として裂け谷の主自らの側で会話を楽しむ事もあった。
そして、こうして夜が差し迫る時刻には。彼は静かに遠き場所に想いを馳せて歌うのだ――――――無意識にか、そうでないのか、故郷を恋い慕う繊細な旋律を。
裂け谷のエルフ達は皆、シンダール族ならではのその透明な歌声に感銘を受けつつも、何処か切なげに揺れる音を遠巻きに聞くのであった。
「レゴラス王子のご出立はいよいよ明後日でしたね。」
傍らから黄金の獅子と謡われる側近に話し掛けられて、エルロンドははっとして顔を上げた。
「貴方もその事を考えておられたのでしょう、卿…?先程から眺めておられる書類は、ちっとも進んでおりませんよ。」
そう告げる声音は、咎める意図のものではなく。
「…そうだな。短い間とはいえ、久し振りに若い生命に出会えて、私も嬉しかったよ。」
「本当に、それだけ…ですか?」
金の華よ、お前は私自身よりも私の事を良く分かっていてくれるのかも知れぬな。多分、私があの王子に感じている感情は、その様な博愛的なものではないよ…。
エルロンドは心の中でそう呟いたが、音に出す事はせずに、ただ曖昧に微笑んだ。
「…グロール。今日処理せねばならぬ書類はこれで全て、かな?」
逆に問い掛ければ、相手は短く肯定する。『その書類とて、別に急ぎではございませんけれどね…』と小さな呟きを添えて。
一応こなすべき書類は処理して、心を占める相手を探す。広い館の中を探し回る必要は無い。
すべき事は唯一つ。意識を集中して、想う相手の歌声をつかまえること。
そしてそれは、エルフであり、かつこの谷の結界の主であるエルロンドには決して難しい事では無かった。
この場所からは、随分と離れた場所に居るのだな・・・・・・。
程無くしてその気配を見つけ、エルロンドはゆっくりと歩みを進める。何気無い風を装って。そう、彼を探し求めて其処に行き着いたのではなく、夕刻の散策のついでにでも偶然彼を見つけたのだと言うように。
谷のはずれにある小さな東屋の椅子に腰掛けて、かの王子は一心に夕陽を眺めていた。
「…この場所からの景色は御気に召したかな?」
静かに声を掛ければ、いつものあの穏やかな笑みを浮かべて彼が振り返る。
「エルロンド様。」
夕陽を反射する星のような瞳が艶かしい。
「勿論です、避け谷で見せて頂いた景色は、どれも私にとっては宝物の様に感じられます。」
律儀にそう答える相手に、ふっとエルロンドの悪戯心が働く。
「…それは光栄だ。貴方の故郷の景色とどちらが貴方の心を掴むかな…?」
答え辛い問いだと分かっていて尋ねる己は相当性格が悪いのだろうか。
「卿、それは…」
視線を彷徨わせる相手がどうしようもなく愛しい。と、不意にかの王子の視線が真っ直ぐにエルロンドに向けられた。
「比べる事など出来ません。闇の森は…例え光が差さぬ土地でも、私の故郷で、父上の居られる場所。私は卿の谷の景色が大好きだけれど、それでもやっぱり闇の森は私の中で特別です。」
こんなに真摯に、はっきりと物を言う一面を初めて見たような気がする。
…本当に、この王子は。その内面にどれ程の宝箱を秘めているのだろう。
そして、闇の森が彼にとって特別である理由は、ただ其処で生まれ育ったから、という訳ではなく。かの父王が移る事無くその場所に居を構えているからなのか。
胸の奥でちりり、と焼け付く部分を敢えて無視する。
「ところで、今まで結局日中忙しくて庭園を御案内出来なかった。宜しければ、明日の昼頃に私の為に時間を作ってはくれぬか?」
話題を変えるかの様に問い掛ければ、はい、と零れる木漏れ日の様な笑顔が向けられた。
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