My Precious Leaf-06
「着いたようだ。」
どこか一点に意識を集中させ、谷の主は傍らに控える側近に低くそう告げた。
「迎えに行って参ります。」
応じるのは、金華家の宗主、グロールフィンデル。顧問長であるエレストールの方は既に持っていた書物を棚に返し、戸口近くまで進んでいたが。
「ああ…私も行こう。」
そのエルロンドの言葉にぴたりと足を止める。
「卿、わざわざおいでにならずとも、すぐに我々がお連れ致しますが?」
エレストールに几帳面にそう言われて、エルロンドは少し困ったような表情を浮かべた。
「分かっている、だが、ずっと会うことが叶わなんだからな。正直、少しでも早うに会いたいのだ。」
本来は、谷の主が客人を迎える為にわざわざ門迄出向くなど、誠に異例のことであるのだが。前々から今日訪れる客人に興味を抱いていた主の言葉を思い出し、グロールフィンデルは、闇の森の秘蔵の王子ですからね、と笑って取り成した。
いくらなんでも未だ早いか、とは思いつつも、三人揃ってアーチ型の門に向かう。他のエルフには又後程紹介するからと、言いつけて予め下がらせていた。
「グロール、王子に会うのはそなたも初めてだったか。」
横顔のままでの主の問いにグロールフィンデルが肯定の返事を返す。日の光をきらきらと反射して、その髪は黄金に美しく波打っていた。
「遠く、時々入ってくる噂話を耳にするばかりでしたよ。…貴方と同じです、卿。スランドゥイル王はかの王子を決して結界内から出さなかったとか。他所の土地のエルフで直接彼の姿を見た者など、片手で数えられる程しか居ないでしょう。」
光遮られた闇の森の、唯一の希望。
翠の瞳と、内面から光を湛えるかのような真っ直ぐな白金の髪。
父王が常に側から離さぬと噂の、『緑葉の君』。
何故であろうか、彼とは一辺倒には片付けられぬ関係になるような予感があった。
小半刻もたっただろうか。三人の耳に聞き慣れた双子の王子の話し声が聞こえて来る。どうやら谷であった出来事を面白おかしく脚色して話して聞かせているらしい。
誰を相手にしても双子の王子達のその性格は変わらぬようだ、と三人が微笑ましい気分になった頃、近付いてくる相手も迎えに出た此方に気付いたらしい。流石に父が自ら出迎えに出てくるとは思わなかったらしく、二人は一瞬目を見開いた。
「見て御覧、エルラダン、我らが父上が直々にお出迎えだ!」
「ああ、まったくその通りだね、エルロヒア!」
『よっぽど待ち遠しかったのかな!?』
双子が遠くからこちらに向かってそう叫ぶ。見事にはもった二重奏に僅かに頭痛を覚えながら、エルロンドはその後ろへと視線を移した。
その瞬間、ふっと身体の周りを涼風が渦巻いたような心地がする。
目に映ったのは、息子達よりも一回り細い、すらりとした乗馬姿。瞳が真っ直ぐに此方に向けられ、何とも涼やかな笑みがその頬に浮かんでいた。
『緑葉の君』…森のエルフ達が親しみと敬愛を込めてそう呼ぶのにも肯けた。
一行はエルロンドの目の前迄来ると、馬の足を止めた。身軽に馬の背から飛び降りる双子に続いて、闇の森の王子も馬上から降りる。
そのまま膝まずき、エルロンドへ向かって拝礼を取ろうとする姿に、エルロンドは慌てて近寄り、立ち上がらせた。引き上げる拍子に少々バランスを崩した身体を、柔らかく抱きしめて支える。
「長い旅路をご苦労だった。畏まらずとも良い、そなたに会えるのを心から楽しみにしていた。」
会ったばかりの相手の胸に抱き込まれて、レゴラスはとっさに反応に迷う。
「あの…?」
戸惑いの光を強く浮かべた瞳を向けられて、エルロンドは慌てて身体を離す。横から眺めていた双子が面白そうに目を見合わせた。
「父上も一目でレゴラスが気に入ってしまわれたようだね。」
「ああ、まあ、予想はしていたけどね。」
小声で話しているようだが、その場に居た者の耳には簡単に届いてしまう音量だった。グロールフィンデルとエレストールが、口を閉じるようにと軽く彼らを睨んだ。
けれど、いつもならその息子達のおしゃべりに小言を言う筈の谷の主に言葉は無く。いつの間にか来訪者の王子と絡み合った視線を外せずにいた。
主の様子に自分達は下がっていた方が良いだろうと察したエレストールが、残りの者を促して、先に館への路を歩んでいく。
彼らの気配がだいぶ遠ざかった頃、谷の主はゆっくりと口を開いた。
「済まぬ、会ったばかりだというのに、馴れ馴れしい歓迎の仕方をしてしまって、気を悪くしたか?」
エルロンドが低く呟いた謝罪の言葉に、レゴラスはいいえ、と首を振る。何と答えるべきか、少々迷ってから、返事を音に乗せる。
「そんなことは有りません、ただ少し、驚いたのと…離れている父を思い出しただけで…」
王子からその父の事を聞いて、思わずエルロンドは問い返す。
「父御は…スランドゥイルは何かそなたに私の事を?」
久しく交流すらも持っていなかった相手。あの王は息子に一体どんなことを話して聞かせていたのだろうか。
「いいえ、そういう意味ではなく…旅に出てより後、あんな風に父上に柔らかく抱きしめられる事もなかったので、懐かしく思ったのです。」
一瞬、ちり、と胸の何処かに焼けつく様な感触があった。それが何であるのか追及することはしなかったが、今更ながらにこの王子と自分との間に親子程も年の差が開いていた事を思い出す。
胸の中に幽かに残る曖昧な感情を放置し、エルロンドは静かに自らの館へと客人を誘った。
昼下がりの石畳を二人で歩く。建物の中に入るまで、それ程に長い距離ではないが、二人の歩く速度は酷くゆっくりしたものであった為、その時間は随分長く感じられた。会ったばかりで、話す事は沢山有る筈なのに、何故かあまり言葉が出てこない。互いの間に静かに流れる空気を楽しむような雰囲気があった。
…それに。言葉に出さずとも、自分の考えが相手に伝わっているかのような錯覚を起こすのは何故であろうか。
ふと、隣を歩いている王子が眩しげに頭上を見上げているのに気付く。
「どうかしたか?」
言葉少なに問い掛けてそちらを向けば、緑葉の王子は眩しげに空を見つめていた。
「いいえ、闇の森を出てから大分経つのに、未だにこの眩しい陽の光には慣れなくて。」
微かに微笑むその表情に、又もや瞳を奪われる。柔らかな陽光の下で見るその姿も美しいが、薄闇の月光の下で見るその姿はいかほどのものだろうか、と心のどこかで思った。
そうして足を進めた先に、館の屋根が涼しげな日陰を作っており、そこが玄関となっていた。数段ある階段に足を掛けながら、何とはなしに王子の方へ片腕を差し出す。
差し出してから、しまった、と思った。相手は闇の森の王子であり、エスコートすべき姫君ではない。本当に無意識に取ってしまった行動ではあったけれど、気分を害してしまっただろうか、とエルロンドは慌てて腕を戻そうとしたのだが。
ごく、自然な動作で。相手は自分の腕を取り、すぐ側に身を寄せて来た。心なしか頭を自分の肩に寄せるようにされて、却って驚いたのはエルロンドの方である。
何故、彼はこうも自然に私の差し出した腕を取れた…?
それは、つまり。かの王子の日常に、このような事は珍しくない、ということなのだろうか。
茫洋とそこまで考えた時、ふっと先程の王子自身の言が蘇った。
『旅に出てより後、あんな風に父上に柔らかく抱きしめられる事もなかったので、懐かしく思ったのです。』
彼は確かに、そう言ったのだ。
彼は自分に、父親を重ねているのか…?だとしたら、スランドゥイルもこんな風に腕を差し出して自分の息子を伴う事があるというのだろうか。
抱きしめるくらいならば、親子であればすることもあろう。しかし、他人の自分でさえ一瞬慌てた、まるで異性にするような仕草を、かの王が息子にするのであろうか。
ちりりと焼け付く感触が、再びエルロンドの胸に帰来した。
「卿、お戻りになりましたか。レゴラス王子も、ようこそおいでを。先程はご挨拶も出来ずに、申し訳ありませんでした。」
玄関ホールをくぐると、すぐに現れた黄金の影。金華公、グロールフィンデルを傍らの王子にも紹介してやる。
ずっと森から出なかったとはいえ、その噂は聞き知っているらしく、尊敬を込めて礼を取る緑葉の王子に、金華公は返って恐縮したかのように微笑んだ。
「私こそ、お会いできて光栄ですよ、緑葉の王子。」
ごく自然にそう挨拶出来るグロールフィンデルを少々羨ましく思いながら、エルロンドはもう一人の側近の姿を戸口に見つける。
「お話はお済みですか?…レゴラス王子、私はエレストール、まずは客房へご案内致しましょう。御供の方々には既にお入り頂きましたので。」
事務的な口調ではあるが、瞳の奥に真摯な光を湛えたエレストールの言葉。
エルロンドはさり気無くずっと携えていた王子の片腕を放すと、また後程、とその場を後にした。
ホールからエレストールと名乗ったエルフの後に続いて豪奢な回廊を抜けていく。どうぞ、と促されて入った部屋は、故郷の父王の部屋に勝るとも劣らない豪華さであった。
「お気に召しましたか?」
後ろから笑いを含んだ声音で問い掛けられ、慌てて振り向くと、そこには苦笑を浮かべたグロールフィンデルの姿。
「ずっと会いたがっていた貴方が谷を訪れるというので、エルロンド卿はずいぶんと楽しそうに準備をお命じになったのですよ。」
慈愛の色を宿した金華公の碧玉の瞳に見つめられて、王子はやっとくつろいだように笑った。
「私などには…勿体無いようなお計らいに感謝致します。」
エレストールが私はこれで、と下がって行き、レゴラスは旅装を解きながらグロールフィンデルと暫しの間、談笑を楽しんだ。
幼い頃から密かな憧れであった上古の英雄に、さりげなく当時の話をねだったり。この裂け谷のエルフ達が普段どのような毎日を送っているのかも。金華公に尋ねられれば、レゴラスは闇の森の近況なども語って聞かせた。
王子の話を聞いていて、金華公は少しだけ首を傾げた。
この王子は若い、恐らくは中つ国に暮らすエルフ達の中では一番。けれど…こうして話している印象が酷く大人びて感じられる。エルロンド卿の二人の王子が持つような、若いエルフ特有の活発さ、溌剌とした印象はあまり受けなかった。
それに、闇の森の軍事的な事など、もし彼が使者としてこの場に来ているならこの上なく適任であろうと思われる外交手腕を垣間見せるのに、自分自身のこと、家族の事等はあまり話題に上らせない。
僅かな、違和感。黄昏の時代に生を受けた、特殊な成長の環境が彼をそうしたのか、それとも…?
そして、自分の仕える主は。まるで定めの糸で結び付けられたかのように、かの王子に特別な感情を感じ始めている。
遠からず、何かの均衡が崩れるだろう、とそう思ったのは、長く世界を見つめて来た彼の、確かな予感だったのかも知れない。
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