My Precious Leaf-04
途中オーク等に襲い掛かられる事も無く、ロリアンへの道中の多くは、同行した供のエルフ達が他愛も無い会話をする事で過ぎていった。レゴラスは彼らの会話に時々相槌を打ちつつ、馬を進めて居たのだが。
不意に、レゴラスの乗り馬のすぐ側に栗色の大きな馬が寄せられた。はっとして其方を見やると、表情の読めない灰色の瞳がじっと見つめてくるのと目が合った。
「…ハルディア…何か…?」
問いかけてみるが、それに対する返事は無く。ハルディアの唇が、低く、小さな囁きを形作った。
『心を、何処に飛ばしておいでなのです?』
はっとした。心の中で渦巻く感情をうまく隠していたつもりだったのに。昨晩も、今朝も、父上の様子がいつもと違ったから…混乱している自分が居る。
怯えたような色を含んだ眼差しで自分を見つめるレゴラスに、ハルディアは軽く微笑むと、馬を離した。
「…ロリアンは、もうすぐですよ。」
わざとらしい程に爽やかなハルディアの声音が、一行の足を早めさせた。
川を渡った途端、周りの空気が一際清澄なものになったのを肌で感じる。見上げれば、青々と繁った木々の狭間から黄金色の日の光が差し込んで居り、闇の森から訪れた者達は思わず目を細めた。
「お気に召しましたか?」
先刻とは異なり、優しい声音でハルディアが語り掛けて来たのへ、レゴラスはにっこりと微笑んだ。
「勿論です、流石は光の奥方の住まう土地ですね。」
その微笑みに一瞬魅せられたかのようにハルディアは動きを止めたが、すぐに普段の表情を取り戻す。
「…それは良かった。殿と奥方が住まうカラス・ガラゾンの都もきっと気に入って下さるだろう。…ああ、そろそろ誰か迎えに出ているかもしれない。」
そのまま幾らか馬の足を進めると、ハルディアの言葉通り、馬に乗った二人のエルフが迎えに現れた。
「兄上、お迎えに上がりました。闇の森の方々も、ようこそ。」
そう声を掛けて来た先頭のエルフはそう言われてみれば少しハルディアに面影が似ているかもしれない。レゴラスはそっと会釈を返した。
「お前達が来たのか、オロフィン、ルーミル。警備の方は異常などないだろうな?」
ハルディアが確認するかのように声を掛けると、先程声を掛けて来たエルフは笑って首を振った。
「異常など有りませんよ。兄上のお留守はきちんとお守りしました。それに、迎えに我らを遣わされたのはケレボルンの殿ですよ。」
ハルディアは僅かに眉を動かす事で返事とする。
「分かった。…ルーミル?黙っていないで、お前もきちんと挨拶をしなさい。」
ルーミルと呼ばれたエルフはハルディアより少し線が細い感じの華奢なエルフで、オロフィンの少し後ろ辺りに佇んでいた。
「兄上…申し訳有りません。…ルーミルと申します、どうぞ宜しく。」
少しおどおどとした感じのその言葉にも、レゴラスは優しく会釈を返した。自分も自己紹介をしようとして、ハルディアに目線で制される。
「二人とももう知っていると思うが、闇の森のレゴラス王子だ。ご滞在中、失礼の無いように。さあ、そろそろ先へ進まなければ。お前達は先導を頼む。」
堅い口調でそう言ったハルディアに、二人の弟は頷きを返すと、レゴラスの一行に向かって一礼し、馬首を返して先導に立った。
「ハルディア?そんなに格式ばった紹介をして下さらなくても良かったのに。」
二人の位置が少し離れてからレゴラスがそう言うと、ハルディアは曖昧な微笑を頬に乗せた。
「けじめは大切ですよ、王子。それに…お帰りになる時に面倒を増やしたく無ければ、少し他のエルフとは距離を置かれた方がいい。」
小さく呟かれた二言目に、レゴラスは不思議そうな顔をする。それを見たハルディアの顔に、再び複雑な表情が浮かべられた。
「…お気づきでないのですか?旅立ってからの貴方のご様子を見ていると、多分心の何処かで解ってはおられるようですが。」
そう呟くと、ハルディアはレゴラスの馬と自分の馬に急ぐようにと語りかけ、会話を打ち切った。
光で彩られた美しい都、カラス・ガラゾンに着き、一同は馬を預けて徒歩で先を進んだ。マルローンの大樹の上に作られた、一際大きなフレトへと案内される。
「光の奥方とケレボルンの殿のお住まいになるフレトです。」
耳許で小さくハルディアが説明するのに、レゴラスはそっと頷いた。その際、耳元に何か柔らかい感触が触れたと思ったのはレゴラスの気のせいだろうか。振り返った時、ハルディアはもう離れていて、レゴラスの従者達にこの場で待つ様に指示を与えていた為、確かめる事は叶わなかった。
「王子は奥の部屋へ。お二人が御待ちです。」
促され、示された方向にそっと足を進める。
「会うことが叶うて嬉しいですよ、緑葉の王子。」
豪奢なフレトの中に入り、佇む二つの人影に深く礼をしたレゴラスの耳に、ガラドリエルの涼やかな声が響いた。隣に立つケレボルンの殿は穏やかに微笑んだままだが、そのどっしりと落ち着いた雰囲気は流石ロリアンの王、といったところであろうか。
「此方こそお目に掛かれて光栄にございます。長く御挨拶に伺わなかった事を、どうぞお許し下さい。」
相変わらず頭を低くしたまま礼を取るレゴラスに、ガラドリエルはにっこりと笑った。
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。さあ、顔を上げて。スランドゥイル殿が片時も手放したがらないと噂に聞く貴方の顔を妾にも見せてはくれませぬか?」
その言葉にレゴラスの頬がサッと赤く染まる。更に俯いてしまったレゴラスに、ガラドリエルはするりと近寄り、その頬を両手で挟みこんだ。
「気を悪くしないでおくれ、からかうつもりではなかったのです。」
瞳をじっと覗き込まれて、レゴラスは初めて打ち解けた微笑を浮かべた。
「…噂に寸分狂いの無い、美しい王子じゃ。」
思わず感嘆の溜め息を漏らしたガラドリエルの視線が、不意に一点で止まる。細い眉が、一瞬寄って、またもとの表情に戻った。
「…ハルディア、暫く下がっていておくれ、水入らずで話がしたいゆえ。」
再び口を開いた奥方の言葉は、レゴラスを案内してきて、未だ室内に控えていたハルディアへのものであった。それを受けたハルディアが、一礼してフレトを出て行く。
フレトの中に居るのは、ガラドリエルとケレボルン、それにレゴラスの三人だけとなった。暫く沈黙が続いた後、ガラドリエルの白い指先がぴたりとレゴラスの襟元に当てられて。困惑気に奥方の顔を見上げながら、されるままになっているレゴラスに、ガラドリエルはじっと視線を当てる。
「どうしたのです、ここは?」
問われて更にレゴラスの困惑は深まる。
「…あの、私の身体に、何か…?」
そう問い返す声は本当に奥方の意図するところが分かっていないのだ、と如実に告げていて。ガラドリエルは当てていた指先を離した。
「問いを変えましょう。…最近其処を誰かに触れられませんでしたか?」
ふと、レゴラスの脳裏に出立間際の父王の姿が蘇った。優しく抱きしめられて送り出されはしたけれど、一瞬だけ、父王は強い痛みを自分に植えつけた。ガラドリエルの指した場所は、その場所ではなかったか。そして同時に、あの時の父王の行動の意味を、ロリアンへの道中、ずっと自分は模索していたのではなかったか。
「…思い当たる事があるようですね。」
ガラドリエルは少しだけ困ったような目をしてレゴラスの瞳を覗き込んだ。
「これもまた定めなのでしょうが…普通ならせずとも良い苦労をする事になるかも知れませぬな。ああ、怖れずとも良いのです、その場所から私が感じる思念は、そなたを大切に思う者の思念ですよ。」
ガラドリエルはゆっくりとケレボルンの佇む場所の隣へと戻った。辺りの雰囲気が陽気なものへと変化する。
「真面目な話はここまでにしましょう。妾が貴方の父上に申し入れた滞在期間は二週間ですから…二三日この地で休息を取った後避け谷へも顔を見せにお行きなさい。
ちょうどあちらから迎えの者も来る筈ですよ。帰りに又こちらに寄ってからマークウッドにお戻りなさいね。滞在中は自由に過ごして構いませんよ。そのうちアルウェンにも紹介しましょう。裂け谷の姫で、妾の孫ですよ。」
そこまで一気に告げると、ガラドリエルはレゴラスの額に歓迎の挨拶として接吻を贈った。それに習って、ケレボルンも。
「このフレトにも、又遊びにおいでなさいね。」
そう言う奥方の声に見送られて、レゴラスはその場を後にする。
大樹の周りに作られた階段を降りると、ずっと控えていてくれたのであろうロリアンのエルフ達が来客用のフレトへと案内をしてくれた。
ハルディアの姿は今は、見えない。
「此方になります。何か足りない物等ございましたら、どうぞお申し付け下さい。」
礼儀正しくそう挨拶し、案内役のエルフは去って行った。
暫くの間、闇の森から連れてきた従者と共に、部屋でゆっくりとくつろぐ。寝室に用意されていた衣装への着替えも済んだ頃、フレトの扉がコンコンと軽くノックされた。
「入ってもいいかしら?」
ドア越しに掛けられたのは、快活な感じのする女性の声。レゴラスの従者がドアを開けるのと、瞳を輝かせた黒髪の女性がドアから顔を覗かせるのが同時だった。
「レゴラスね!?アルウェンよ、裂け谷の!」
室内に上がるやいなや手を取り合うようにしてそう言うアルウェンに、レゴラスは一瞬息を呑みながらも、すぐに笑みを浮かべた。
「お会いできて光栄です、夕星の姫。」
と、挨拶をしかけたレゴラスの口を、アルウェンがさっと両手で塞いだ。
「駄目よ、そんな堅苦しい挨拶をしては。年も近いのですもの、もっとくだけた口調で話してくれなくちゃ!それに私、貴方ともっともっと仲良くなりたいんだもの!!」
今度こそ目を丸くするレゴラスに、アルウェンは少し恥ずかしそうに笑って両手をどけた。
「ごめんなさい、吃驚させてしまったかしら?ずっと会えなかった貴方にようやく会えたので、随分と興奮してしまったの。」
ガラドリエルに紹介されるのを待つ事も無くレゴラスの前に現れたアルウェンだったが、晩餐の支度が出来る頃には、二人はすっかり打ち解けていた。もっとも、レゴラスが”くだけた話し方”を出来るようになるには、まだまだ時間が必要であったようではあるが。
「レゴラス!」
翌日、アルウェンが又もレゴラスに与えられたフレトへ花のような笑顔で駆け込んで来た。
「レゴラス、先程おばあ様から伺ったのだけれど、裂け谷へも行ってくれるんですって?」
嬉しそうな彼女に、レゴラスはええ、と頷いて見せた。
「裂け谷はね、私の生まれ故郷なのよ!貴方を迎えに兄達が来るみたい。ああ、私には双子の兄がいてね…」
アルウェンは目を輝かせて裂け谷にいる自らの家族達の事を語って聞かせる。悪戯好きで、暇さえあればオーク狩りに出掛ける双子の兄、エルラダンとエルロヒアの事。彼女の父親であり、風の指輪・ヴィルヤを持つ裂け谷の王、エルロンドの事。側近であるグロールフィンデルやエレストールの事。話は尽きる事無く続き、レゴラスは初めて聞くそれらの話を、新鮮な気分で聞いていた。
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