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My Precious Leaf-03


 会食は奇跡的にも穏やかなまま終わりを迎えた。森の王の不機嫌そうな表情と、その末の王子が気遣わしそうな瞳をして終始無言で有った事を除いて、ではあるが。

 つまり本題には触れずに会合が終わってしまった訳で。ロリアンからの使者ハルディアは内心僅かに苛立っていた。皆が手を休めた頃、彼はレゴラスの方に話の矛先を向けた。

「レゴラス殿、この後の予定が何かおありですか?」

 突然質問を投げ掛けられたレゴラスは、困ったようにハルディアと父王を見やる。

「予定…は特には無い…けれど…」

 そう言いかけた所へ、スランドゥイルの鋭い声が割って入った。

「使者よ、緑葉を味方に付けたとて、お前の使命が果たせた事にはならぬのだと知っておいて貰おうか。お前が交渉すべきはこの私。」

 と、ハルディアが薄い唇を僅かに歪める。

「それでは、王よ。この後その交渉をして頂いても?」

 スランドゥイルは一瞬露骨に嫌そうな顔をした後、良かろう、と呟いた。

「後で私の私室迄参るが良い。その辺りにいるエルフが案内を務めようぞ。」

 それだけ言うと森の王は用は済んだとばかりに夕餉の間を後にした。
 立ち去る前、一瞬の内に送った目配せを合図に、末の王子が立ち上がる。先に失礼致します、との一言を残して。彼は皆の視線を気にするかのように父王とは反対の戸口から部屋を後にしたが、彼らの行く先が同じ部屋であろう事は容易に察しが付いた。




「来たか。」

 レゴラスがその部屋に脚を踏み入れた途端、父王がそう声を掛けてくる。

「先程、お呼びになったかと思いましたので。…どうかなさったのですか、父上?」

 父王は暫く答えを返さなかった。

「…ロリアンの使者は、お前を挨拶に寄越せと言って来た。」

 唸るようにそう言い、又黙り込んでしまった父王にレゴラスは先を促す。父王の顔は影の方を向いていて、その表情は読み取れない。

「…父上?」

「行きたいか、ロリアンへ?ついでに裂け谷へも行かされる事になろうが。」

 父親の問いにどう答えたものかと逡巡しているレゴラスを、父王はじっと見詰めた。

「私としてはお前を森の外へ送り出したくなど無いのだが。周りの者達はロリアンの使者の言を受け入れるのが当然と思っているようでな。」

 そう言いながら寝椅子に肘をついた片手でスランドゥイルは頭を支える。

「父上は…私の自衛の腕をお疑いなのですか…?」

 レゴラスが哀しそうに発した問いに、父王は意味ありげな苦笑を浮かべた。

「その辺を徘徊しているオークや大蜘蛛に対する自衛の腕なら認めている。私が危惧しているのは、…もっと別の、自衛の話だ。」

「それは…何に対して警戒せよと仰せなのでしょうか?」

 戸惑いを顔にありありと浮かべた息子を、スランドゥイルはそっと手招きした。それに応じてレゴラスは父王が横たわる寝椅子の側へと歩みを進める。

 と、その時。不意に強い力で腕を引かれた。衝撃に耐え切れず、気付いた時には華奢な体は父王に組み敷かれていた。

「…っ」

 打ち付けられた背中の痛みに僅かに眉を顰めながら、レゴラスは少し怯えて父王の顔を見上げる。

「…予測さえ、しておらなんだろう?今何をされても抗えまい?そなたは同族に対して無防備過ぎるのだ。…そう育てたのはこの私だが。」

 父王が溜め息と共にそう言ったのを最後に、二人の間には長い沈黙が落ちた。父王はレゴラスの瞳をじっと覗き込んだままその上からどこうとはせず、レゴラスも父王から逃れようとはしなかった。
 時が止まったかのように微動だにしない時間が酷く長く感じられる。

 その時間に終始符を打ったのは、息子の唇に重ねられた父王の熱いそれだった。就寝前の挨拶代わりのような軽い物ではなく、奪うように貪る、長い接吻。息が出来なくなり、ようやく開放された途端に激しく咳き込む。

 こんな口付けは…知らない。父上がいつもして下さる口付けは、ただ優しく触れるだけの物だったのに。

 不意に、レゴラスの体の上から重さが消えた。父王がついと離れて窓際へ移動したのを感じる。

「…済まぬ、緑葉。今宵は気が立っていたようだ。ロリアンの使者の申し出は受ける事にしよう。今夜のうちに仕度をしておけ。」

 早口で事務的に命じられて、レゴラスは混乱する気持ちを隠せなかった。父王の側に近付こうと身を起こすと、もう行け、と手振りで戸口を指し示されて、それに従わざるを得ない。
 僅かな光の中垣間見えた父王の顔は、僅かに強張っているように見えた。




「ご承諾頂き感謝致します。道中は我らが責任を持ってご案内致しますゆえ、ご心配なさらぬよう。」

 これはレゴラスが退出した僅かに後、スランドゥイルの自室を訪ねて来たハルディアの言だ。先ほどまであれ程に王子を森の外へ出す事を渋っていた森の王があっさりと申し出を受けた事をハルディアは怪訝に思ってはいたが、敢えて追求することはしなかった。夢の中を彷徨っているかのような現在の様子を鑑みても何かがあったことは明白であったが、時が来れば分かる事だと思ったからだった。

「それでは、明日の午前中にでも出発させて頂くという事で宜しいですか。」

 ハルディアの問いかけにも、スランドゥイルはああ、と上の空で返事を返すだけであった。


 夜もふけた頃、ハルディアは闇の森のエルフの案内を受けて緑葉の王子の室へと足を運んでいた。連れのエルフが来訪を告げると、どうぞ、と返事が有ったが、通された部屋の主は長椅子に沈んでいる。

「…レゴラス様。御身体の具合でも?」

 心配そうに問いかける臣下に、レゴラスは、何でもないよ、と弱弱しく笑った。でも、と眉を寄せるエルフだったが、レゴラスは本当に何でもないのだと首を振るばかりだ。

「ハルディア。わざわざ足を運ばせてしまって済みません。」

 王子から言葉を掛けられて、ハルディアは形通りに頭を下げ礼を取る。

「私が勝手に押し掛けたのですから、お気になさいませんよう。お父上から出立のお話をもう?」

 一瞬の、間。はっと引き戻されたかのようにレゴラスが言葉を口にのせる。

「…え?あ、ああ、先程伺いましたよ。貴方が一緒に連れて行って下さるのでしょう?宜しくお願いしますね。」

 心此処に有らず、といった様子の王子にハルディアは違和感を感じたが、何でも無い事のように言葉を続ける。

「それでは、午前中に出発致したいと思いますので。用意の方はそれまでになさって下さい。又お迎えに上がります。」

 レゴラスが頷くのを見届けると、ハルディアは夜も遅いからと退出の挨拶をした。扉を閉めてから、その脳裏に先程見た森の王の様子とその末の王子の様子がだぶって浮かび、そして消えた。




 そうして、翌朝。ハルディアが王子の部屋を訪ねた時、その旅支度はすっかり為されていた。

「お早うございます、緑葉の王子。準備は、もう宜しいですか?」

 一応問いかけると、ええ、と答えた王子が一瞬考え込むように眉を寄せた。

「…父上に、未だ出立の挨拶をしていないのです。すぐに戻りますから、少しだけ此処で待っていて頂けませんか?」

 王子の言葉にハルディアは応、と頷いた。

「スランドゥイル様には私もご挨拶を申し上げなくては。ご一緒しても構いませんか?」

 けれど、王子は少し困った顔をして。

「あの…申し訳ないけれど、ハルディア。父上に、お話があるので…今は一人で行かせて下さい。それに、父上はあまり人を自室に入れることを好まれないのです。」

 その表情を見て、ハルディアはあっさりと提案を取り下げた。

「いえ、そういう事ならば構いませんよ。スランドゥイル様に私からの挨拶も宜しくお伝え下さい。」




 コン、とノックの音がする。はっとして窓の外を眺めやれば、僅かに光が差し込んで朝の訪れを告げている。昨夜は、まんじりとも出来なかった。
 スランドゥイルがドアに向かって入るようにと声を掛けると、自室の扉がゆっくりと開かれる。ドアの隙間から現れた姿は、予測した通り、大切な緑葉のもの。
 何をしにこの室を訪ねたかなど、分かりきってはいるのだが…。

「…失礼致します、父上。出立のご挨拶に、伺いました。」

 末の王子の顔をじっと見つめる。

「従者はどうした。」

 レゴラスは戸惑うような表情をして、父王をじっと見つめた。

「部屋で待たせてありますが…。」

 父王の唇から、ふう、と溜め息が吐き出される。扉の近くに佇む末の息子の方へとそっと歩みを進める。

「…緑葉。私は昨日何と言った?昨日の今日で、供の一人も付けず、お前は私の許を訪ねるのか。」

 近くまで寄ってすいと腕を伸ばすと、その腕は空を切った。はっとして息子を見ると、一瞬の内に後ろへと飛びのいていた。

「何故、逃げる。」

 そう問いかけるスランドゥイルの声は僅かに不機嫌なものとなっていた。

「父上が、こうするようにと仰ったのでは…」

 小さな声で答え、自分の方をじっと見つめるレゴラスに、スランドゥイルは僅かに目を細めた。

「確かに、無防備すぎると言いはしたが。だが、レゴラス。後ろは壁だ。逃げ切れはすまい?」

 レゴラスが顔を俯けるのを見て、スランドゥイルは今度はその場を動かぬまま、末の王子を呼んだ。

「こちらへおいで、緑葉。」

 素直に側へ身を寄せたレゴラスを、父王はそっと抱きしめた。

「…気を付けて、行っておいで。同族の住処といえども、気は許すな。夜は、どんな用であっても部屋を出るのではないぞ。」

 耳許でそう囁き、そのままレゴラスの耳に軽く唇を押し当てる。そのままその唇を頬から首筋へと下に移動させても末の王子が抵抗することは無く。最後に、襟元の外から見えるか見えぬかの瀬戸際の様な場所を少し強く吸い上げて、スランドゥイルは息子を解放した。

「待っておるゆえ、早い帰りを。」

 そう言うと、扉を開き、そっと背を押して王子を部屋から送り出した。


 その朝、そのままレゴラスはハルディアらロリアンのエルフと共に闇の森を旅立った。父王の部屋から戻ってきたレゴラスの魂の抜けた様な表情を見て、僅かにハルディアは眉を寄せたが、特に言及する事はなかった。




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