My Precious Leaf-02
「王、ロリアンより使者が参っておりますが。」
闇の森の王スランドゥイルが自室でぼんやりしている所に、政務の右腕であるエルフがやってきた。
「ロリアン?この様な刻限にか?」
ロスロリアン。ケレボルンと、光の奥方ガラドリエルが住まう土地。そして力の指輪、ネンヤの力で守護された、光の森。
ロリアンと最後に使者の行き来が有ったのはいつの事だったか。あの戦の折より、この闇の森は他の土地に住むエルフ達との関わりを絶ってきた。それが今頃使いを送ってくるなど…一体何の用か。森の王は渋々といった表情で腰掛けていた寝台から立ち上がる。
「会うしかあるまい、広間へ行く。…ああ、歓迎の宴を用意せねばなるまいな、たとえ招かれざる客だとしても。適当に準備をしておけ、内輪のものでよい。」
広間へと回廊を歩んでいくと、その先の方から歌うように軽やかな話し声がした。この様な美しい声を紡ぐ事が出来る者は、歌の民であるシルヴァンエルフの中でも数人しかいない。
そして、スランドゥイルには。その声の主は容易に察する事が出来た。長年側に置いて、ずっとその声を愛でて来た末の王子。
ああ、これだから嫌なのだ。外からの訪問者は否応なしにこの森の空気に波紋を投げかける。
「それではレゴラス王子は未だ森の外を旅された事が無いのですか?」
聞こえて来る、穏やかにたゆたうような低い声。使者だというエルフのものか。
「ええ。外の世界を見てみたい気もするのですが、父上がお許しにならなくて。ああ、王子などという格式ばった呼び方はよして下さい。私は貴方よりずっと若輩者なのだから。ただレゴラス、と呼んで下さればいいのに。」
答える息子の声に、胸の奥がちくりと痛む。やはりお前は外の世界を望むのか。
気配を消して、柱の影からそっと様子を伺う。
此方からだと背中しか見えないが、レゴラスは使者の側に寄り添う様に座していた。いつも自分がそうする様にと引き寄せていたのが習慣となってしまったのだと分かってはいても、心中穏やかではない。
あの様に笑いかけられて、魅了されぬ男が何処にいよう。緑葉を誰にも見せず、館の奥に閉じ込めてしまえばこの様な焦燥感は無くなるのだろうか。
一旦呼吸を整えてから、わざと音をたてて室内の二人に存在を知らせる。
「父上!」
さっと立ち上がって側に来る息子は、華やかな笑顔だった。その表情が父王の側に寄ると少しだけ改められる。
「お加減はもう宜しいのですか?」
肯定の返事代わりに先程自分が解いたばかりの髪に接吻を落とすと、その頬に柔らかな微笑みが広がる。ふっと使者の方に目線をやると、何とも判じがたい目つきで此方を眺めていた。体つきもそれなりに鍛えられており、態度が堂々としたエルフだった。
「ハルディアがずっと父上をお待ちだったんですよ。父上がいらっしゃるまでの間、ロスロリアンのお話を伺っていたんです。」
無邪気にそう言って、「私はこれで。」とレゴラスは部屋に下がって行った。傍らを通り過ぎた風から、森の緑の香りが爽やかに馨る。その香りをひとしきり楽しんでから、スランドゥイルは使者だという男に向き直った。
「ようこそ、我が館へ。して、光の森の住人が闇の森などに何用かな?」
発した第一声は、知らず知らず冷たい物になっていたかも知れない。
「何だと!緑葉を挨拶に寄越せというのか!」
使いの口上を聞くがや否や、スランドゥイルは瞳に怒りの色を浮かべた。
「そんなにあれに会いたければ、其方から訪ねて来れば良いものを。」
激昂する王を、いつの間にか控えていた右腕のエルフが宥める。
「王よ、しかしレゴラス様の兄君はもっと早くにあちらへも裂け谷へも挨拶においででしたよ。」
「だから何だというのだ。昔の話だ、レゴラスは遣らぬ。」
頑なな王の言葉に使者であるエルフはふっと笑った。
「美しい末の王子をお手許で愛でたいというお気持ちは分からぬでも有りませんが…いつまで籠の中に閉じ込めておくおつもりです?」
挑発するかのようなその響きに、闇の森の王は更に眉を吊り上げる。険悪な気配を感じ取った右腕が慌てて間を取り成した。
「ああ、そろそろ夕餉の宴の支度が出来た頃ですよ、続きはそちらでなさいませ。さあ、使者殿、先にお部屋へご案内致しましょう。」
半ば無理矢理、主と客人を引き離し、先にたって回廊を歩んでいく。
腹立ちを納める事が出来ず、スランドゥイルは荒々しく広間を後にした。途中数人のエルフと行き交ったが、主の不機嫌な様子に、彼らは無言で道を空けた。
殆ど何も考えられずに歩いていたが、足を向けた先はやはりレゴラスの室であった。声を掛ける事もなく扉を押すと、錠がかかっていなかったらしく、がたりと開いた。燭台には明かりが灯っておらず、部屋の中には窓から入ってくる僅かな月明かりだけ。
長椅子に座っていたらしい末の息子がゆっくりと振り返った。はらりと揺れる解かれた髪が美しい。
「…父上。申し訳ございません、すぐに明かりを…」
レゴラスがそう言いかけるのを、手振りで制す。
「このままで構わぬ。…このような暗いところで、何をしていた?」
「…何も。月を眺めて、少し考え事を致しておりました。」
ぽつりと呟かれた言葉に、二人ともしばし無言で外を眺める。一体何の考え事をしていたのかと尋ねる気持ちにはなれなかった。
息子の側にゆっくりと歩み寄り、隣に腰を下ろしても、まだ沈黙は破られない。父王の手は息子のそれをそっと引き寄せてはいたけれど。何を言うべきか逡巡してから、ゆっくりと口を開く。
「夕餉はロリアンからの使者を迎えて内輪の宴を開く。お前も来い。」
簡潔に命じられて、レゴラスは従順に頷いた。着替えをするべく立ち上がると、父王が後から付いて来る。
「そうだな…今宵はこれを着ておけ。済んだら私の所へ。先程解いてしまった髪を編んでやろう。」
スランドゥイルが選んだ服は、若緑色の透けるような布地の長衣に、銀ねずの上着であった。レゴラスは手早くそれに着替えると、父王の待つ居間へと向かった。
促されるままに父王に背を向けて腰掛ける。父王の形の良い長い指がレゴラスの髪の間を滑っていき…暫しの後、それは綺麗に編み直された。作業が終わり、レゴラスは小さな声で父王に礼を言った。
ふっと、まるで当然であるかの様に父王が左腕を差し出す。男性が女性をエスコートする際にする所作だと、知らないわけではなかったが、レゴラスはそれにそっと腕を預けて立ち上がった。
父王との距離が急速に縮まり、まるで身を寄せ合うような格好になる。終始無言のまま、二人は夕餉の間に向かった。
レゴラスの兄達は、家臣に呼ばれて既にその場に集っていた。ロリアンからの使者、ハルディアと談笑する声が聞こえる。二人が部屋に足を踏み入れると、その声がぱたりと止んだ。
一同の視線が二人へと集まる。正確には…二人の手元へと。長い沈黙の後、ようやくスランドゥイルの長子が言葉を吐き出した。
「…父上。いくら何でもそれは…。レゴラスは女性ではないのですから。」
レゴラスはそっと睫を伏せ、スランドゥイルは面白がるかのように片方の眉を撥ね上げた。それでもその事に反論しようとはせず、組んでいた腕をそっと放す。
レゴラスは静かに空いた席へと腰を掛けた。最後にスランドゥイルが席に就き、その口を開いた。
「内輪の宴で良いと申したに、随分沢山呼び集めたものよな。」
少々皮肉な主の物言いに、側近が苦笑をする。列席している者は、政務・軍備の面での闇の森の重鎮と、王子達…即ちレゴラスの兄達だけであったのだから。まさかお気に入りの末の王子だけを参加させ、兄達を無視する訳には行かない。まあそれでも、沢山人がいれば話し合いが熾烈を極める事もなかろうと気を遣いはしたのだが。
「取り敢えず、夕餉に致しましょう。…使者殿は酒はいける口ですかな?」
取り繕う様に声を掛けた側近の御蔭で、何とかそのまま解散という事態は避けられた。
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