My Precious Leaf-01
「父上っ、歌を歌って下さいっ!」
瞳を一杯に見開いて息子である王子がせがんできたのは、遠い昔の記憶。
そなたが望むのなら…私はそなたの為にだけ歌を紡ごう。
「緑葉を呼んで参れ」
いつもの様に気まぐれに主に命じられた従者は、少し困った顔をした。
「はっ、ですが王子は先程狩にお出掛けになったばかり…王も御許しになったのでは…?」
王スランドゥイルの薄い唇から、ふう、と溜め息が漏れる。
「そうであったな、…少々時間が掛かっても構わぬ、呼んで参れ。」
納得したのかと思いきや、そんな事を命じ、さっさと奥の部屋に引っ込んでしまう主に、従者は小さく肩を竦めた。
かの王の「時間が掛かっても構わない」は、「出来るだけ急げ」というのと同義である。従って、命じられた従者は慌てて館を跳び出し、馬を駆った。
「王子!…レゴラス様!」
そう叫びながら木々の間を走り抜ける。随分と駆けた頃。ふわっと自分の馬の後ろに何かが降りて来た。
「どうしたの?そんなに急いで私を呼ぶなんて。」
掛けられた声が思いの外近くから聞こえて、従者の頬が真っ赤になる。振り返ると、探していた王子が自分が今駆っている馬の後ろに跨っていた。
「レッレゴラス様!!…びっくりさせないで下さい!」
馬を止めた従者に、レゴラスはくすりと微笑む。
「驚かせてしまったのは謝るよ。…そろそろ落ち着いたかい?じゃあ、教えてくれなければ。どうして私を探していたのか。」
「…父君が、お呼びです。」
従者の言葉に王子は少し首を傾げた。何の用だろう、と言いたげに。
「御用向きは存じませんぞ、私は。火急の案件は無かったようには思いますが。」
先手を取って従者は王子の疑問を封じる。実際、かの王の考えなど読めた例が無いのだ。
「分かった、出来るだけ急いで向かうよ、父上は待つ事がお嫌いだからね。ああ、悪いけれど、私の馬を連れて来てくれるかい?少し先にいる筈だから。」
館への道中は、ただひたすらに馬を急がせた。大した用件ではなくても、時間の経過と比例して父の機嫌は悪くなる。
厩に馬を預けると、レゴラスは浴室で軽く汗を洗い流した。森を散策する時の服ではなく、室内着に着替える。略装とはいえ、王族の着る物となればそれは見事な装飾であった。父王はこの息子を飾り付ける事を好み、王子も又それを知っていたが故に父王の前では服装に気を使った。
「父上、お呼びだと伺いましたが。」
宮仕えの者達に其処と教えられ、父王の私室の扉を軽くノックする。
「……」
返事は無いが、気配は有る。レゴラスは苦笑して、そっとドアを押し開けた。スランドゥイルは寝台に身を預けており、一瞬目を開けて「遅い」と呟くと、拗ねた様に又目を閉じた。
寝台の傍に歩みを進め、腰を掛ける。さて、どうやって宥めたものか、とレゴラスが頭を悩ませ始めた時、膝の上に重みが乗った。
「…ち、父上?…何をなさっておいでなのです?」
スランドゥイルは大儀そうにレゴラスの方へ視線を向け、ふっと口の端を歪めた。
「見て分からぬか?暫く父の枕になれと申して居るのだ。」
「あの、でも…父上。…脚が痺れてしまいます。」
困ったように首を傾げる息子に、父王は頭をその膝から降ろすと、代わりに息子と共に寝台に倒れ込んだ。
「これならば脚が痺れる事はあるまい?…まさか父の眠りの番も出来ぬとは申さぬだろうな?」
意地悪く父王が笑うその傍らに、レゴラスはそっと身を添わせた。
「お休みなさい、父上。どうぞ良い夢を。」
そっと息子の背に腕を回す父王の瞳に一瞬切なげな光が宿った事に気付く者は居らず、ただ緩やかに夕刻の時間が流れて行く。
夕暮れの薄明かりの中、柔らかな父王の寝台で添い寝をするうち、レゴラスは緩やかに夢の小道へと誘い込まれていた。もともと父王が眠りに就いたならば自室へ下がるつもりでいたが、父王の眠る気配がいつまでたってもしなかったからかも知れない。ぼんやりと現の世界へ還って来ると、自分の背中を強く抱きこまれている。
「…?」
不思議に思ってそっと身じろぎしようとするが、かけられている力が強くて、容易には動けない。
「…父上?」
父を起こすのは気が引けたが、そっと呼びかけると、隣に横たわる気配が少し動いたのを感じた。頬をそっと撫でられ、抱き込まれていた力が少し緩む。
「…もう起きたのか、緑葉。」
「お起こしして済みません、…動けなかったので。」
軽く微笑んでそう言うと、スランドゥイルは僅かに眉を上げた。
「動かずとも良い。父が良いと申すまで休んでおればよいものを。」
軽く溜め息をついて、それでも父王は身を起こす。
「まあ良かろう。もうすぐ夕餉だ、誰ぞ呼びに来るであろうからな。」
スランドゥイルは手振りでレゴラスを近くに引き寄せ、鏡台の前に座らせた。綺麗に編みこまれたその髪をそっと解いて行く。
「父上?夕餉の前に髪を解くなど…」
抗議しかけた息子に構わず、解かれて美しく光を弾く金髪を梳いていく。
「綺麗だな。」
思わず呟いた言葉に、レゴラスは父王を振り返って綺麗に笑った。
「父上が気に入って下さるこの髪は、父上と亡き母上が私に下さったものですから。」
と、何の前触れもなく、スランドゥイルの指の間から金色の髪が零れ落ちた。
「どうか…なさったのですか?」
少し気遣わしげに見上げて来る息子に、何でもない、もう下がれ、と命じつつも、父王の心は葛藤に囚われていく。
「…分かりました、これで失礼致しますが…どうかそのように沈んだお顔をなさらないで下さい。」
そう言うと、末の王子は父王の頬に羽の様なキスを贈り、扉へと身を翻した。息子から、父親への親愛と敬愛の接吻。レゴラスがそっと部屋を出て行くのを見届け、父王は頭を抱えた。
ああ、何という事だろう。
息子であるお前に抱く、私のこのあるまじき想いに、お前は気付いてもいないのか。否、気付かれてはいけないのだ。
だが…お前にとっての私が父親という、それ以上でも以下でもない存在であるという事実が…こんなにもこの胸に突き刺さるとは。
緑葉も大きくなった。今まで森から出す事も無く育てて来たが、外界に出せば恋をする事もあろう。いつまでも闇の森に閉じ込めては置けぬ。
だが、…だが、私がずっと慈しんできたお前が他の者を愛する所など、見たくない。何と残酷な運命であることか。
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