黎明 -05-
身を寄せ合った相手の胸から穏やかな鼓動が聞こえる。
『幸村様、佐助は人間関係にはひどく受身だからよぉ、どかんとぶつかってみるといいかも知れませんぜ。』
あの後何処からか戻って来た甚八の声が耳の奥に蘇る。
どかんとってそんな、とその時は笑ったものであったが、今実際に自分がしている事を考えると笑えない。不躾なことをして彼に呆れられてしまったなら、明日から自分はどうすればいいんだろう。
ふと、緩く背に触れ返されている感触を覚えて。
驚きと嬉しさで胸の鼓動が舞い上がった。
「佐助…どうして…?」
それなのに、己の唇から漏れるのは何と陳腐な言葉。
応えは無く、佐助はさり気無く身体を離そうと身を捩った。
「好きなんだ、君が。…昔出会った時から、ずっと憧れていたから…。」
重ねて言葉を投げ掛ければ、びくりと佐助の肩が揺れる。
「私は…貴方に初めてお会いした時に大きな器の武将になる御方だと、思いました。人間としてどう思うかと問われれば…『好き』という事になるのでしょう。その様な感情は貴方様にお仕えする折には邪魔になるものと思っておりましたが…人との繋がりを持つことを恐れるなという甚八の言葉も又確か。」
静かな声はまるで流水の如くその先を告げていく。
「鍛錬の時や、勿論戦の折には主従としての関係を保ちたいと思いますが…そうでない時は…貴方がもしお望みならばそんな枠に嵌らずに接するのも悪くないのかも知れません。」
まさかそんな返事を貰えるとは思っていなかったから、その言葉は純粋に嬉しかった。たとえ自分の言った『好き』という言葉がそのまま意図した意味では通じていなかったとしても。
「ありがとう、佐助。」
名残惜しく思いつつもそっと身を離した幸村の瞳に、佐助の穏やかな微笑が映る。
「…ごゆっくりお休み下さい、幸村様。また明日の朝、お部屋へ誰ぞを迎えにやります。」
日々の鍛錬の折には、十勇士の誰かが幸村の部屋まで主を迎えに行くのが日課になっていた。それは小助であったり、鎌ノ助であったり、毎日面子は変わったのだが。
「…我が儘を言ったら君は怒る…?たまには君が迎えに来てと言ったら。」
自室に戻ろうとした佐助の背を引き止める様に掛けられた台詞。
幸村にしては珍しく躊躇いがちに発音された言葉に佐助は少し目を見開いた。
「そうお望みでいらっしゃるのなら、明日は私が伺いましょう。」
『待ってるよ』と呟いた幸村の声がふわりと夜闇に広がる。
* * *
「佐助、最近表情が柔らぎゃあなったべ。幸村様ともうまかいっとるみたいで良がったなあ。」
佐助と幸村が向こうから歩いてくるのを目にして単純に思ったことを口にした鎌ノ助の口を、慌てて甚八ががさりと塞いだ。
「余計なこと言うなよ、鎌ノ助。幸村様や佐助には刺激が強過ぎる。」
何でだべ、と反論してくる鎌ノ助を適当にあしらって置いて、近付いて来た二人を見やる。
「よう、調子はどうですかい、幸村様。」
流石に佐助は厳しいね、疲れたよ、と笑ってみせる主君に、苦笑して『上達されましたよ』と佐助が告げた。
「そう!?嬉しいなあ、佐助にそう言って貰えるなんて。」
無邪気に笑う主君の様子を見ていた鎌ノ助が、甚八の意識が他所へ向いている間にぽろりと一言を零した。
「…こないだ幸村様に『佐助はおら達の兄貴みてえな存在』だって言っただが、何だか幸村様には姉貴みて…。」
はっとした甚八が慌てて口を塞いだ時には既にその言葉は佐助の耳にまで届いてしまっていたらしく、彼らの長の頬に僅かな赤みがさす。
「ほら、こいつの秋田弁は気にせずに、佐助、俺達にも稽古を付けてくれ。」
苦しい言い訳なのは百も承知だが、『二人で掛かって来い』と構えを取る佐助は甚八の心を汲み取ったらしく、普段通りの顔に戻っていた。
いくら幸村との鍛錬の後だったとしても、忍者マスターたる彼の力が衰える事は無くて、挑んだ甚八も鎌ノ助も夕刻にはへとへとに疲れ果てる羽目になったのだが。
「ふう、やっぱり強いよね、佐助は。」
一部始終を見ていた幸村が呟くのへ、鎌ノ助が茶々を入れる。
「強いなんてもんじゃねえべさ、こりゃあ。敵じゃねぐて良がったべ。」
いつの間にか見物にやって来た他の十勇士が、半ば同意を示して哄笑を上げた。
―――私を強いと言って下さる、その事はとても嬉しい事だけれど。
いつかそう遠くない未来に、どうか私を越えて行って下さい。貴方は私が心から信頼し、大切に想う主君なのですから。
それでも今は束の間の平和な時間を味わう事にしましょう。
貴方や十勇士達と共に同じ夢を見ることが出来る、この瞬間を。
◇ 後記 ◇
拙宅の幸佐小説の原点の様な一篇。珍しく一ヶ月以内に完結の日の目を見た連載だったりします。幸村様と佐助がもっと深い関係になる続編も書いてみたい。
2004/07/03 Shisui Gagetsu
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