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雪月華 * 八の巻





 結局他の妖怪達に顔見せをしたのは、夜になり、篝火が赤々と焚かれたそんな時刻。館主である陵峨の命に、一族の殆どであろうと思われる人数が集められた。
 当然の如く私は一番上座に案内され、陵峨がその脇に立つ。

「幾人かの者は既に知っておろうが。犬の大将のご長子の殺生丸殿だ。今宵からこの館にてお暮らしになる、皆くれぐれも失礼の無い様に致せ。
 …ああ、それから。私は我が一族の長としてこの方に忠誠を誓った。背く者には容赦はせぬ、私自らの手で斬って捨ててくれる故、妙な気は起こさぬ様申し付ける。」

 夜の屋敷の庭先に朗々と響く声。これこそがこの穏やかな男が一族を纏める時の、治める時の顔なのか。
 …そして。父上に彼の一族の統治を委ねられたからには、本来私がそうあるべき姿であるのかも知れない。

『殺殿…何か他に付け足される事がおありですか?』

 家臣達の方を向いていた陵峨が振り返ってそう問うが、初めて会う彼らに特に言うべき事も思いつかず、私は黙って小さく首を振った。それを受けて陵峨が再び家臣達の方に顔を向け、解散の合図をする。
 と、ばらばらと散っていく中で、数人の妖怪が陵峨の元へ近付いて来た。先程もそれなりに上座に座っていた連中か…家中の重臣か何かなのだろう。

「お頭。」

 そう呼ばれて陵峨が僅かに眉を顰める。

「…何か用か。」

 声を掛けた妖怪が上目遣いに媚びる様に陵峨に視線を投げ掛けた。

「お頭に、折り入ってお話が。」

 そう言った後にちらりと私の方に視線を投げ掛けたのは、話をするのに私の存在が邪魔であるという事か。
 …別に、構わぬ。我が一族に害をもたらす相談事で無い限り、私について何を彼らが言おうとも、それは彼らの勝手だ、どうでも良い。
 私を追い払うのはきっと陵峨には気が引けるだろう、とそう思ったから、そのままさり気無く腰を上げた。

「殺殿、暫しお待ちを。」

 意外にも、其処で陵峨に呼び止められる。

「お前達、頭に用があるのなら、私ではなく今後は殺殿に申し上げろ。」

 …何処までも、私の顔を立ててくれようというわけか。
 心の何処かで、そんな彼の気遣いを嬉しいと感じている自分が居た。

「いえ、あの…我らは陵峨様にお話が有ったのでして…」

 案の定、彼らはそう引き下がる。それに対して陵峨は更に眼差しを強くした。

「殺殿に聞かれて困る話ならば聞くつもりはない。やましい所が無いならば、今この場で言える筈であろう。」

 …公正な男なのだな。それなのにどうして父上とは相容れなかったのか、今を以て解せぬが。

 場を短い静寂が支配する。確かにまあ、言い辛いであろうな、『聞かれて困る話だ』とも、あえて私の前で言う事も。

「…ならば、申し上げますが…我らの娘達を陵峨様の妻としてお迎え頂きたい。親の贔屓目かもしれませぬが、皆器量の良い女子ばかりですぞ?お世継ぎも必ずやお出来になるかと。」

 上目遣いに陵峨を見つめていた男の後ろにいた男が漸く言葉を発する。見方によっては陵峨の態度に急遽話題を変えたとも見えるが、それなりに栄えた一族であれば必ず起こる争いだ。
 そう言えば陵峨は未だに妻も世継ぎも持たぬ様だから、家臣達も必死なのかも知れない。

「毎度毎度熱心な事だが…私には妻も、世継ぎも必要ない。」

 僅かな間の後発せられた言葉に、その場の空気が一瞬にして凍りついた。

「お頭、お世継ぎをお作りにならぬおつもりなのですか!?その様な事では貴方の代で我が一族は犬の一族に吸収されてしまいますぞ!!」

 思わず我を忘れて叫んだ男を、はっとしたように他の者が止める。
 だが、それに対する陵峨の返答は余りにも静かで。

「別にそれで構わぬと申しておる。私がこの心を捧げるのは生涯でたった一人の唯一の者にのみ、権力闘争の為にあてがわれた女など愛せる筈も無い。例えそなたらの言う通りに美人だったとしてもな。」

 一途なのだな。陵峨に愛された女は幸せだろう、父上もこうであってくれたなら、私も、そして我が母もいらぬ苦しみを背負わずに済んだのだろうか。

「で、ですが!!お頭は未だ我らが娘の顔さえも御覧になってはいないでしょう!?
もしかしたら貴方の仰る『唯一』である可能性も…」

 なおも言い募る彼らを、陵峨が僅かに上げた片手がぴたりと制した。

「くどい。…私の唯一は、もう既に決まっている。」

 ―――”唯一は既に決まっている”、か…幸せな事だ、お前に想われたその女は。



 すごすごと引き下がって行った彼らを見送って、私は陵峨と共に室に戻った。

「みっともない所をお見せしましたな。ご気分を害されましたか?」

 苦笑してそう言う彼に、否、と首を振る。彼の一途さに驚きこそすれ、気分を害するなど有る筈もない。

「いつまでも一人身でいると家臣達がうるさくなるのですよ。いずれ殺殿もそれを経験なさるだろう。」

 僅かな笑みを滲ませる相手。
 …陵峨が『唯一』と定めた相手は彼の手の内には無い、という事か?
 流石にそれを尋ねるのは悪いだろう、と口をつぐめば、陵峨は私の顔にちらりと視線を投げ掛けて来る。

「…聞いて下さらないのですね、私が唯一と想う方が誰なのか。」

 …私には、関係の無い事なのではないのか?私が仮にそれを尋ねたとて、私はその相手を知らぬだろう。それとも例え誰であっても良い故、想いの丈を聞かせる相手が欲しいのか?

 黙り込んでしまった私に陵峨は小さな溜め息をついてゆっくりと礼を取る形に膝をつく。

「それではごゆっくりお休みを。何かございましたらすぐ参ります故、お呼び下されよ。」

 彼の常なる、低くて穏やかな声でそれのみを告げると、彼はそのまま襖を開けて室を出て行った。



 ―――長い、一日だった。まるで一月の時間が一日に全て詰め込まれたかのようで。
 妖怪には常ならぬ事だが…少し、疲れてしまったな。

 ああ、けれど。無防備に眠りにつく事など許されてはいないのか。
 ここは目に見えて刃を交えては居らずとも、紛れも無い戦場なのだから。雑魚の手に掛かって私が消されたと知ったなら、父上も…そして陵峨も見込み違いであった、妖怪の風上にも置けぬ奴だとお思いになるだろう。

 後にして来た館では今頃、父上が仲睦まじく犬夜叉を寝かしつけてでもおいでなのだろうか。
 その後にはあの人間の女を閨の中に伴って。



 思考を巡らした後で、はっとする。
 …私は、何を考えている?父上のお心を得たあの弟と、そしてその母親とに醜い嫉妬を…?

 情けない、自分の情けなさに反吐が出る。
 ぎりりと握り締めた左手から、自分の血の匂いが香った。

「殺殿…?殺生丸殿…どうなされた、血の匂いが?」

 襖の向こうから不意に声を掛けられて、それが陵峨のものであるのだと気付く。彼自身が気を張って、私の警護をしてくれていたという訳なのか。

 お前は、どうして私をそれ程までに大切にしてくれるのだ。実の父にも遠ざけられるようなこの私を。

 答えない私を不審に思ったのか、陵峨はそろそろと襖を開けた。

「…見るな…見ないでくれ…」

 私が必死で喉の奥から紡ぎ出したその言葉は、彼に届いていたのかどうなのか。尤も、この情けない姿は襖を開けられた時点で当の昔に彼に知られているのだけれど。

「誰かが夜闇に乗じて参った訳では無いようですね。どうしてご自分を傷つけたりなさるのです…?血が、流れている。貴方自身の、爪にかかって。」

 穏やかな声音で近付いて来る陵峨から目を逸らす事が出来なかった。

 次の瞬間には流れている血を彼の舌が柔らかく舐め取り。呆然としていた私は次の瞬間に我に返った。

「…!!待て、止せ陵峨、私の血は強い毒性なのだと、貴方も気付いておいでだろう!?」

 毒が回ったのか、此方を見上げる陵峨の瞳の焦点がぶれる。

「いいの、です…貴方の手から滴る血は…貴方の心の涙の様にも見えたから、だから拭った。そんな顔をなさらずともすぐに回復しますよ、私とてそれなりに妖力を持つ存在なのですから。」

 そのまま敷かれた褥に倒れこんだ陵峨に、着ていた上着を掛けてやる。解毒は出来ぬ故、せめてもの罪滅ぼしに今宵の夜番は私がしよう。

 本当に…日中の貴方の言葉をそっくり返してやりたい程だ。『貴方は…本当に、優しすぎる』、と。



 そして、こんな晩には。
必ずや何かあるとは思っていたけれど、果たして数人の妖怪が又もや私の寝所を襲いに来た。

「何の用だか知らぬが。今宵この場所で騒がれる訳には行かぬ。早々に立ち去れ、さもなくば手加減はせずに皆殺しにする。」

 先手を打って部屋の外で構え、低く脅しを掛けただけで散り散りに逃げて行く様な小心な連中だったけれど。

 驚いたのは、襖を開けて部屋に戻った後に陵峨がうっすらと目を開けて此方を見つめていた事だ。

「…何か、ありましたか?」

 恐らく今は動く事さえ出来ぬであろう男。外の敵意に気付いたのか、それともずっと側に座していた私が動いたのに気付いたのか。

「…何も無い。少し、水を飲みに出ていただけだ。貴方も何も気にせずにゆっくりと休まれよ。…ああ、それとも、貴方も喉が渇かれたか?」

 静かにそう問えば、彼は少し、と微笑った。
 『何も無い』という私の嘘に気付いていたのかも知れぬが、知らぬ振りをしてくれたという事か。

 彼に少し待つように言って、表に出、井戸水を一掬い椀に取る。夜明けに近い冷えた時間である事もあり、それは身を斬る様に冷たい。
 部屋に戻ると先程と同じ恰好で陵峨が横たわっていて。水を飲ませる為に起き上がらせるのは辛そうに見えた。
 そうして、私の中ではごく自然に、何の抵抗感を感じる事も無く。私は彼に、口移しでその水を与えたのだった。





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