My Dearest - 06
闇の中の虚ろ
あれから小一時間も同じ場所で待つも、結局マダム・ポンフリーは入室を許可してはくれず。
仕方なくグリフィンドールの一行は寮へと戻った。
「だいじょうぶかなあ…。」
心配そうに呟くのはピーターで、シリウスとジェームズの二人は無言のまま眉間に皺を寄せている。
「まあまあ…。又後でお見舞いに行けば入れて貰えるかも知れないよ。」
そう宥めるリーマスも、表情が随分と真剣であった。
…透明マントを使って医務室に潜り込めば…あるいは彼女の様子を知ることが出来るかも知れない。
俺の心の中にそんな考えが過った。
そう思いついてしまえばもう自分を制する事は出来ず。
何気無い顔をして席を立ち、自分達の部屋に先に上がる。
そして引き出しの奥から取り出すのはあの透明マントだ。
『貴方が本当にそれを必要とする時に使って下さい。』
…許して、くれるだろ…?
今、これを使う事を。
だって俺は…本当に今、あんたの顔が見たいんだ。
間違いなく、未だこの世に生きているあんたの顔が。
もし、怪我の痛みに苦しんでいるのなら、せめてあんたの側で見守っていたいんだ。
本当は、その痛みを全て肩代わり出来ればいいんだけれど。
ふわりとマントを羽織って階段を降り、談話室を抜ける。
ジェームズも、リーマスも、誰一人俺が通り過ぎた事に気付かない。
ああ、本当に透明なんだな、と妙な感慨があった。
―――――ジェームズの透明マントに一緒に入ってその効果の恩恵に預かったことは既に数多くある筈なのに。
医務室に着くのにそれ程時間は掛からない。
折良くもマダムポンフリーが丁度中から出てくる所で、彼女の姿が廊下の端に消えるのを待ってシリウスは部屋の中へと足を踏み入れる。
姉が寝かされている寝台は、一番奥の個室であった。
顔色はやはりまだ悪いままだったが、ブラッジャーに直撃されたであろう肩の辺りには綺麗に包帯が巻かれている。
「姉さん…」
思わず口から零れ落ちた言の葉に勿論応えが返って来る事は無い。
彼女は今傷を負って深い眠りに就いているのだから。
寝具から微かに見えている白い指に誘われるかの様に触れれば、その繊細な陶器の如き肌触りに不安を覚える。
早く良くなって欲しい、と祈りにも似た想いを込めてシリウスは姉のその指先に口付けを施していた。
その瞬間にぴくり、と其れが動いた気がして。
…そんな古の物語の様な事がある訳が無いのだと思いつつもシリウスは姉の顔を凝視する。
ゆっくりとその長い睫毛が動いて、けぶる様な姉の瞳が現れるまでにさして時間は掛からなかった。
「…来て…くれたの…?」
細い声が彼女の咽喉から漏れるも、未だその瞳は虚ろだ。
一体誰に向かってその言葉を発しているのだろう…?
「気のせい…ね…そんな事がある筈…無いから…」
自嘲的に笑う彼女の姿は、かつてシリウスが見た事の無いもので。
『姉さん、あんたは一体、誰の訪れを待っていた…?』
そんな疑問だけがマントの下のシリウスの心を捉える。
先日ジェームズ達と共に彼女の部屋に忍び込んだ時、彼女は透明マントの存在を一発で見破った。
今回それを感じ取れないのは…彼女が俺にくれたマントがジェームズの物とは違う、特殊な作りであるからなのだろうか。
それともそれを感知するには今の彼女の体力が衰え過ぎているが故であろうか。
目の前で彼女が胸元に抱きしめるようにした腕がちょうど先程自分が口付けた側の腕で、知らずシリウスの鼓動が早くなる。
今透明マントから姿を現すことはし辛くて、シリウスは姉が再び眠りにつくのを見守ってそっと医務室を後にした。
時刻はもう夜…漆黒の空を星が彩る刻。
けれどシリウスの意識は妙に冴えて、睡魔が思考を中断してくれる事はなかった。
結局マダム・ポンフリーがの病室への立ち入りを許可したのはそれから三日後の事だった。
勿論それまでの数日間、悪戯仕掛け人の四人は頻繁にマダムにお伺いを立てていたのだが。
「ミス・ブラック、面会ですよ。…通しても大丈夫?」
廊下で待たされている四人に、室内でマダムがに話しかけているのであろう声音が小さく届く。
「貴方がこちらに運ばれてから毎日のように来ていたんですけどね、流石に昨日までは取り次がなかったんですよ。…彼らでは貴方を安静にさせておいてくれるかどうか不安ですからねえ。」
の返事は聞こえずにマダムの朗らかな声が苦笑まじりに続けられ、次いで医務室の扉がそっと開け放たれた。
「お入りなさい。一番奥よ。」
室内は昼間の明るい光に満ち溢れていて、全く昨晩とは違う印象を与えた。
「来て下さって、ありがとう。」
柔らかい微笑みは以前と何ら変わる所は無く、ただふとした拍子に肩を動かす時のみ、彼女は僅かにその眉を寄せた。
「…あ、あの…これ、御見舞いです。」
荷物持ちをやらされていたピーターが、そっと自らの手に抱えていた箱をに差し出す。
「嬉しいわ、ありがとう、ピーター君。」
片手でそっとそれを受け取ったににっこりと笑いかけられてピーターが真っ赤になるのと、リーマスが彼独特の笑顔を浮べて『僕達四人からです』と付け加えるのが同時だった。
「開けてもいい?」
に問われて、肩を痛めている彼女の代わりにジェームズが包みを開けて中身を見せる。
見舞いの品にと選んだのは、ジェームズがアーサー先輩に頼んで入手したハニーデュークスの新作のお菓子。
リーマスが自分も味見をしたがって大変だった。
「美味しそう!…ありがとう、今から皆で食べない?」
の言葉に隠しようも無く瞳を輝かしたのはやはりリーマス。
終始無言のままのシリウスはいつもの事としても、他の二人は、『でも、御見舞いなのに持ってきた僕らが一緒に食べてしまったら…』と小さく呟く。
「一人で食べるよりも一緒に食べた方が美味しいもの。」
言うが早いか、は寝台の上のサイドボードの杖を取ってさっと振り、其処にお茶の仕度をした。
…魔法によるものではあったが、今日もシリウスの前にはブラックコーヒーを用意して。
暫くは皆、目の前の食べ物を談笑し合いながら口に運ぶ。
「…あの時、僕らをかばって下さったでしょう。」
会話が途切れた時に、不意にジェームズが核心となる一言に触れた。
途端に周りの空気が緊張したそれになる。
ジェームズの言う『僕ら』には、当然自分も入っているのだろうな、とシリウスはぼんやりと思いながら姉を見やった。
「それは…」
心なしか青ざめた顔をしながらは言葉を紡ぐ。
「責めているんじゃないんです。
…むしろ僕達はお礼を言うべき立場だけど…でもやっぱり、貴方にこんな風に傷付いて欲しくないから…」
一言一言噛み締めるように発音されたジェームズの言葉に、は不意に泣きそうな笑顔を浮べた。
「…有難う、ポッター君。」
震える声でその言葉が発せられるのと同時に、すぐにその顔は俯けられて表情は窺い知れなくなってしまったのだけれど。
「さあさあ、あんまり長く居たら先輩は休めないよ。」
場の空気を戻す様に声を掛けるのは、ハニーデュークスの菓子を粗方自らの胃袋に納め終えたリーマスである。
彼の意図を察してジェームズが、続く様にピーターが椅子から腰を上げた。
「じゃあ…早く良くなって下さいね。」
ジェームズがそんな事を言って軽くの手を握るのが、酷く鮮明にシリウスの視界に焼きつく。
「シリウス。」
ぼんやりしていた所で名前を呼ばれて、はっとして振り返ればジェームズが怪訝な目をしてこちらを見つめていた。
「あ、ああ。」
慌てて立ち上がった所で、珍しくも姉自身と目線が合う。
「…ラウロス小父様には…」
黒曜石の如き瞳の告げんとしている言葉は痛いほどに分かった。
『ラウロス小父様』つまり親父にはこの事を言わないで、と言いたいのだろう。
姉さんは…親父の前だとその言いつけ通り『父上』と彼を呼ぶが、俺との数少ない会話の中では未だ『ラウロス小父様』と呼ぶばかりだった。
「…ああ。」
不安にさせない様に足早に室を出るも、去り際に一言くらい彼女自身を気遣う言葉を掛けられなかった自分がもどかしい。
『あんたのこと、情の浅い弟だと思うかも知れないけどね』
幼い日に母親が冗談半分で告げた一言が、何故だか今頃になって蘇った。
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