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■ 闇の雫 7 ■





 自室を飛び出して来たは良いものの、他に行き場所も無く、手に掴んでいた書類に導かれるように妹の部屋へ向かう。元々セリウスはこれをサリディアに渡してくれる様にとドルフェリオスに頼んだのであったから。

「随分と機嫌が悪いのね、兄様。」

 呆れた顔でそう言う妹に黙って手に持っていたものを突き出すと、彼女は驚いた顔で此方を見つめた。

「まあ…これって…」

 どうして兄様が、と言下に問うてくる彼女だったが、何事かを思い出したらしく微かに口許を笑ませた。

「もしかして、あの白銀の宰相様?」

 ああ、と肯く兄の顔を、サリディアは何か考え込む様子で覗き込む。やがて納得した様に視線を外して書類をしまい込もうとしたところで、ドルフェリオスが相変わらず不機嫌そうな顔つきでその書類を取り返した。

「あの方はこれを私にと仰ったのでは無くて?そして兄様も届けて下さるおつもりで此方にいらしたのでしょう?…どうして渡して下さらないの?」

 妹の疑問は尤もなもの。ドルフェリオス自身、確かにそのつもりで此処まで来たのだから…ただ書類を見てどこかうきうきと嬉しそうに笑う妹の顔を見ると、無性に胸の奥が疼いて。

「宰相は私にも目を通すようにと言っていたのでな。」

 言い訳の様にそう呟く彼の本心を見透かしたのかどうなのか、不意にサリディアは挑戦的な瞳で兄のそれを覗き込んだ。

「ねえ、兄様。もし私があの宰相様の所へお嫁に行きたいと言ったらどうなさる?」

 ドルフェリオス自身も未婚であったが、宰相セリウスも未だ妻を迎えたという話は聞かない。外国よりもむしろ国内の宰相家が最大の脅威であり続けて来たこの国の王家にとって、もしサリディアの言う様な縁談が成立したならば又とない良縁なのだろうが。

「馬鹿なことを言うな。男の持つ書類を見たいからと嫁ぐ姫など聞いたこともないぞ。」

 間髪を入れず却下する兄へ、サリディアも即座に言い返す。

「あら、それだけじゃないわ。…私、あのお方のことは好きだもの。」

 妹の言葉に思わず一瞬固まったドルフェリオスだったが、その当惑を振り切る様に頭を左右に二三度振った。

「二つの家に分かれているとはいえ、血筋の連なるものだろう。」
「ええ、何代も昔の祖先が同じね。」
「だとしても同族婚はあまり褒められたものでは無かろう。」
「家名だって違うほどよ、そんな風に考えたら国の半分は同族だわ。」

 普段からの親しい兄弟の気安さで次々と為される言葉の応酬に終止符を打ったのは、暫くしてからサリディアがぽつりと呟いた言葉だった。

「兄様は…私をお嫁にやるのがお嫌なのではなさそうね。…あの方を、宰相様を私に取られるみたいで嫌なのではなくて?」

 その言葉があまりにも己の心情を適切に表していたが故に。ドルフェリオスは咄嗟に言い返す事が出来ない。

「…ふふ、図星のようね。まあいいわ、今のは冗談。宰相様御自身が妻をお求めにならない限り、当分あの方は兄様のものよ。…まあ、あの方がそれを受け入れるなら、だけど?」




 書類を渡してくれないのなら、兄様が自分でしっかりと目を通してね、と釘を刺されつつ送り出されて、足早に自室に戻った途端にドルフェリオスの口からは、ふうと溜め息が漏れた。

”…惚れたのか。”
”…あの方を、宰相様を私に取られるみたいで嫌なのではなくて?”

 ―――全く。妹といいダルといい、一体何だと言うのだろうか。
 彼らの言う通りであろう筈が無いと己に言い聞かせてみるも、何処か釈然としない。父王崩御の瞬間には確かに己は彼を疑っていた筈…殆ど会ったことすら無かったのだから当たり前かも知れないが、妹達の言う様な執着心など欠片も抱いていよう筈が無い。そしてその瞬間から未だ丸二日しか経っておらぬのだ。





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