■ 闇の雫 1 ■
「昨晩王が崩御されたそうだ。」
「まだ寿命ではあられなんだのに…宰相家の仕業だろうか…?」
「だが、宰相家も先年クローディアス公が亡くなられたばかりだろう。不審な点の多い亡くなり様だったが…」
「もし此度の死が復讐の結果であるとすれば恐ろしいことだ。国を二分する戦になりかねない。」
城内でそんな囁き声が聞こえ始めたのは朝の未だ早い時刻。決して穏やかとは言えない内容のその会話は、しかし回廊の向こうに現れた人影にぴたりと止む事となる。
「宰相閣下…!」
人々が深く低頭して道を空ける相手は、ぬばたまの黒髪を背に流した、未だ年若い青年宰相であった。適度な筋肉のみが付いた細身の体躯には、その父であり前宰相であったクローディアスに劣らぬ威厳が宿っている。父宰相の死から一年以上過ぎても喪服に身を包んだままのその姿に畏怖を覚える者も多かった。下々の者が彼の事をひっそりと『闇の宰相』と名付けたのも肯ける事であった。
この国の宰相家は王家と先祖を同じくし、そのせいもあってか、代々王権闘争が絶えなかった。ここ数代の間は現王家であるアスタリオン王家が王権を保っていたが、宰相家であるレティシウス家は依然として王家に勝るとも劣らぬ権力を有している。レティシウス家の者に王権は渡さぬまでも、臣下として最高の地位を約束するのがいつの頃からか、暗黙の了解となっていた。
それ故、クローディアス=レティシウス宰相が命を落とした後、その嗣子であるセリウス=レティシウスがその地位を継いで現在に至る。セリウスが国政に関わったのは父親の死後一年間のみだが、その政治手腕は確実で、若輩者だと初めは甘く見て掛かっていた者達も、今では『闇の宰相の目は誤魔化せぬ』と認めざるを得なかった。
宰相セリウスが長い長衣の裾を翻して歩む先は、朝議の間。前王の喪の哀しみに暮れる間も無く、新王の戴冠式を行わねばならなかった。前王に子は二人居たが、一人は王女であった為、世継ぎはドルフェリオスという名の第一王子である。ドルフェリオスはセリウスより二つ年上でありながらも、父王の存命中はこれまで表向き政治には関わって来なかったので、両家の確執を鑑みれば顔を合わせたのも数回、といった程度だった。
セリウスが朝議の間に入ると、それまでざわめいていた貴族達が皆一様に口を噤んで彼の指示を待つ。宰相専属の事務官が足早に近寄って来て何事か囁く様子だ。
「ドルフェリオス殿下が宰相閣下を自室で御待ちだと伝言を寄越しました。…報せを持って来たのは殿下の近衛の者ですが…」
はっきりとは明言せぬまでも、罠である事を示唆している事務官に、セリウスは微かな溜め息を付いた。
「新王が御呼びなのなら、例え何か企みがあろうとも行くまでだ。…時間が惜しい、皆は国葬と戴冠式の仕度を進めてくれ。」
静かにそう命じると、セリウスは入って来た側とは逆の、王宮の奥へと通じる扉にその姿を消した。ドルフェリオスの事をはっきりと『新王』と呼んだセリウスに、広間の貴族達のざわめきは再び大きくなっていった。
人払いがされているのか、王宮内の王子に室の前の廊下には衛兵一人いはしなかった。それでも肌に刺す様な緊張感を感じる所を見ると、近くの部屋に腕利きの者が何人か潜んでいるのであろう。
「セリウス=レティシウスにございます。」
重く閉ざされた扉の前で一度息を整えてから、部屋の中へとそう声を掛ける。ややあってからその扉を内側から押し開けたのは、腰に剣を佩いた赤毛の男だった。肩の階級章を見るに、事務官の言っていた近衛とはこの男のことなのだろう。背高く精悍な印象の彼は、しかしまるで値踏みするかの如くセリウスをじろじろと眺めた。
「あんた、一人で来たのかよ。それともよっぽどその腕に自信があるのか?」
掛けられた第一声は酷く粗雑な言葉遣い。それでもセリウスは微かに眉を顰めただけでその男を冷然と見返した。
「私が事務官から受けた伝言は、ドルフェリオス殿下が私を御自室にお召しだということのみ。それとも殿下は私に誰ぞを連れて参れとお命じか。」
近衛の騎士はどうやら理詰めの理論は苦手らしく、セリウスの言葉に不機嫌そうに問答を打ち切った。彼が突然その腰の剣を引き抜いてセリウスに向かって斬りつけるのと、セリウスがさっと後ろに飛びのいて護身用にと長衣の影に隠しておいた剣を抜くのが同時。
「ふん、やるじゃねえか。この俺の剣を受け流すなんてな。…だがよ、これで武器を隠し持ってドルフェに会うのは無理だよなあ、宰相さんよ。」
相変わらず粗野な印象の男の言葉に、セリウスはその形の良い眉を吊り上げた。
「私は此処でお前に殺されるつもりは無い、攻められたなら己が身は自分で護らねばなるまい。」
剣を構えたまま瞳の光と冷たくして言葉を発したセリウスの目に、ふと重厚な扉の前に赤毛の男以外の人影が現れたのが映る。豪奢な金髪にサファイアブルーの瞳…記憶を辿ればそれが王太子ドルフェリオスである事は簡単に察せられた。
「政務を執る時の冷静な瞳、そして敵に向かう時の今のあなたの炎の様な眼差し…一体どちらが本物だ、宰相殿。」
王太子の言葉は穏やかではあったものの、その口調には何処か棘がある。セリウスは依然として緊張を解かぬまま、王太子へと視線を移した。
「どちらも私の一面なのでしょう、殿下。それよりも国王御崩御の朝の忙しい時刻に態々私をお呼びになったのはこの様な下らぬ立会いをさせる為ですか。」
セリウスの中の政治家としての部分が、彼を何処までも冷静にさせた。対するドルフェリオスはあくまで表情を変えぬまま、次なる言葉を放つ。
「その国王だがな…家臣達の手前急な発作と説明はしたが、医師は毒の害だと言っている。あなたを呼び出したのは事の是非を問う為だ。」
暗にお前を疑っているのだと告げられて、セリウスはゆっくりと剣を鞘に納めた。
「長い年月に渡る両家の確執を思えば殿下が私をお疑いになるのも無理無き事ではございますが、私はその様な事を命じてはおりませぬ。此度の御崩御が毒の害に依るものだと仰るならば、宰相として私が全力で真相を突き止めます。しかしながら、先代の国葬、並びに殿下のご即位は早々に執り行われねばなりませぬ故、朝議の間にはお越し下さる様御願いを致します。」
真っ直ぐにドルフェリオスと視線を合わせつつそう告げるセリウスに、王太子の傍らに立つ赤毛の男がくっと咽喉で笑った。
「先代の毒殺の真相は、宰相閣下にご協力頂かずとも俺たちで調べ上げて見せるさ。それよりもあんたは自分の身の心配でもした方がいいんじゃねえ…?今だって多勢に無勢なんだしよ…ってどうやらそうでもないらしいがな。」
舌打ちする彼の目線の先を見ると、たった一人で敵地へと出掛けて行った主の帰りに業を煮やしたのだろう、セリウス直属の護衛がその背後に控える所であった。セリウスは赤毛の男の言葉に反応する事無く、再びドルフェリオスへと視線を戻す。
「式典の準備は此方で致します、何かご不明な点があればお申し付け下さい。心の整理が付きましたら殿下も先王からの政務の引継ぎに移って下さいます様。」
流れるような発音でそこまでを延べたセリウスは、返事を待つ事無くドルフェリオスの前から踵を返したのだった。
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