novels index





Scar-01


 エルフ族にしては珍しく、かの森の王にもう一人王子が生まれた、と風の噂が運んで来たのは、思い返せば随分と昔のことだ。裂け谷のエルフ達もその事を気に掛けてはいたのだが、長年交際を絶って来た間柄上、面と向かって使者を送ることはしなかった。時折、偵察の旅の途中で闇の森の近辺まで脚を延ばしたエルフの口から僅かな情報を伝え聞くのみ…。

 一旦は影を潜めた闇の勢力も最近は力を盛り返してしまった。闇の森のすぐ側にあるあの呪われた場所を見張り無しに放置しておく事は出来ない。勿論闇の森でもそれなりの対策を立ててはいるのだろうが、裂け谷の主エルロンドは定期的に配下の者にその地を巡回させていた。

 喜ばしくない報告が段々と重なっていく。道中、オークに襲い掛かられる回数が増えたとか、不気味な音を聞いた、とか。多くのエルフがその地の近くへ寄りつく事を怖れるようになったのを見かね、この度の巡回には、金華公自らが赴くこととなった。

「偵察に行くのだ、もし危険を感じたらすぐに戻って来い。ここまで戻る事が適わなければ、闇の森へ。いくら交際がなかったとはいえ、追い出すような真似はするまい。」

 気遣わしげな主の声に、彼は表情に余裕を浮かべ、行って参ります、と礼を取ったのだった。




 馬を、進める。例の場所に近付くにつれて増す重苦しい空気にも関わらず、愛馬アスファロスは風のように駆けた。
 と、不意に大気が緊張を伝えて来た。何事かと身構えるのと同時に、オーク達の耳障りな鳴き声が辺りに木霊す。

「エルロンド卿の心配は、当たっていたと云う訳だ。」

 小さくそう呟くと金華公は剣を抜いた。数はいささか多かったが、気を抜かなければ大した敵ではない。オークが放つ黒き矢を難なくかわしながら、グロールフィンデルは馬に乗ったままで次々と止めを刺していった。
 倒しても倒しても湧いてくるオークの群れに、まずいところに居合わせたか、と小さく舌打ちした時。際限なく襲い掛かって来たオークがそわそわと辺りの様子を伺うのに気付いた。

 何だろう、と自分も周りの気配を窺う。何処か慌てた様にこの場所から去り始めるオーク達とは逆に、何か大きな生き物が近付いて来ているのが感じ取れた。

(危険だ)

 本能が、そう知らせる。
 このまま馬首を返し逃げ去るべきか、それとも正体を確かめてから引くべきか。一瞬逡巡するうちに、近付きつつあった敵の姿が視界に入った。

 黒い、大きな塊。それを黒々とした八本の足が支えている。

 聞いた事があった、闇の森の近辺には恐ろしい大蜘蛛が生息しているのだと。自分の前に現れた物がそれであろう事は、もはや疑いようも無い。

 馬首を返せば、アスファロスの足なら逃げ切れる。そう分かっている筈なのに、まるで縫い止められたかのようにその場から動く事は出来なかった。
 大蜘蛛が、ゆっくりと近付いてくる。

「何をしているのです、お逃げなさい!!」

 少し高めの叱咤の声に我に返った。
 はっとすると同時に耳元を鋭い矢が風を切って飛ぶ。矢は、大蜘蛛の体をあやまたず刺し貫いた。大蜘蛛が気味の悪い声を上げて低く呻く。
 それでも怪物の命を奪うにはその一撃では足りなくて。怪物はもぞもぞと再び前進をし始めた。

「早く離れて!振り向かずに走って、境界はすぐ其処です!」

 突然現れた人物が再び声を上げるのを聞いて、ようやっと後ろを振り返った。其処に居たのは葦毛の馬に跨った金髪の、未だ年若いエルフ。その瞳はグロールフィンデルを通り越して、もぞもぞと足掻く蜘蛛を鋭く見据えていた。
 言われた通り、アスファロスを少し後退させ、グロールフィンデルはそのエルフの側に寄った。

「貴方一人であれを倒すのですか?」

 問いかけると、エルフは視線をずらさぬまま答えを返した。

「まさか。足止めが精一杯です。長くは持たない、早く!」

 言うがや否や、二本目の矢を引き絞る。思わずその弓の腕に見とれていた金華公にそのエルフは少し厳しい視線を一瞬向けた。

「裂け谷からおいでのお客人でしょう?私の役目は無事貴方を我らの館までお送りすることです、後ろを気にせず、早く行って下さい!」

 自分が何処から来たのかまで知られている事に驚いて、グロールフィンデルは又もや行動を起こす事が出来ず。傍らの若いエルフはそんな彼の様子を見ると、軽く溜め息を付いて向きを変え、自分の馬とアスファロスの両方に早く駆けろと命じた。馬たちは一目散に怪物と逆方向に向かって駆ける。
 ふっと振り返ると、すぐに引き離せると思っていた大蜘蛛が驚異的な速さで後を追って来ていた。隣を行く若いエルフもそれに気付いているのか、振り向きざま矢を放った。

「グオォ…」

 くぐもった呻き声が聞こえ、怪物の足がほんの少し鈍る。それを後目に見つつ、二人は馬を急がせた。
 無事にエルフの領域へと入れるかと思ったとき、鋭い三日月刀が空中から降ってきた。先ほど大蜘蛛の出現で逃げ出したオーク達が、再び戦意を盛り返したのだろう。咄嗟に反応した金華公はその三日月刀を剣で叩き落したが、襲ってきた刃は一つだけではなく。
 瞬時に襲い掛かって来た刃の大半からグロールフィンデルを守ったのは、傍らに居た若いエルフであった。ある刃は短剣で弾き返し、又別のものは弓で跳ね飛ばして。

 そして、一つだけはその身で受けて。

 若きエルフは一瞬苦痛の表情を浮かべたが、有無を言わせずアスファロスに導きに従って早く進む様にと命じた。その命を受けたアスファロスは、グロールフィンデルを乗せ、ひたすら森の中の小道を駆け抜ける。その間があまりに短かった為、グロールフィンデルが傍らのエルフの怪我に気付く事は無かった。


 馬が漸く止まった時、目の前に王の館と思われる建物が現れた。ここには以前に訪れた事がある、と暫し感慨に耽って。後ろを振り向いた時、其処に共に馬を進める若きエルフの姿は無かった。

 はっとしてアスファロスに戻るように命じようとした時。館の玄関に現れた人影がグロールフィンデルを呼んだ。

「久々に裂け谷より訪れて、今森の境界に何をお探しかな、金華公?」

 その姿は数人の従者を従えた森の王の物で。かつての大戦の折に果敢に戦うその姿は、今も寸分変わっていなかった。

「お久しゅう、スランドゥイル殿。」

 馬を下りて取り敢えずそう挨拶してから、森の王へと問いを発する。

「裂け谷のエルロンド卿より、例のあの場所を見回ってくるよう命じられてこの地に伺ったのですが。大蜘蛛に行き合いまして、若いエルフが此処まで導いてくれたのです。しかし、此処まで馬を走らせて来るうちにはぐれてしまった。彼は無事ですか?」

 途端に、目の前の森の王の顔色が変わった。

「若い、エルフ?私に良く似た、金髪のか?」

 掴みかからんばかりにしてそう尋ねられ、そういえばこの王と通ずるものがあった、と頷くと。アスファロスの手綱が引っ手繰る様にして奪われた。

「借りるぞ。」

 短くそう言うが早いか、森の王の姿は木立の中へと消えた。呆気に取られた従者達が、供を、と騒いで馬を準備する中、グロールフィンデルは自分にも一頭馬を貸してくれるようにと頼んだ。


 無我夢中で館を飛び出した父王の予感は当たっており、彼は末の王子を森の結界の外れで見つけた。ぐったりと木に身体をもたせかけてはいたが、父王が父王が近付くと弱弱しい笑みがその顔に浮かぶ。

「申し訳…ありません、父上。…でも襲撃してきたオークは、すべて、始末しました。 裂け谷のお使者は…無事に館へ、着きましたか?」

 少し苦しそうに、途切れ途切れに問いかける息子の口を、父王は黙って手で塞いだ。この様子ではオークの武器に塗ってある毒をその身の何処かに受けたのだろう、と予測して、揺らさないようにそっと馬の背へと乗せる。アスファロスは事情を分かっているのか、慎重に館へ向かって歩みを進めた。


「王、いきなり飛び出されては危険でございます!・・・・・・!?」

 後から追いかけて来た側近がそう諌める中、スランドゥイルに抱えられてアスファロスに乗る王子を見つけて、居合わせた者達は慌てふためいた。

「っレゴラス様!!…すぐに毒消しの薬草をお持ち致しましょう。」

 皆が慌しく散っていく中、エルフ達の後ろにそっと佇む金華公の姿を認めて、スランドゥイルはゆっくりと言葉を紡ぎ、その場を去った。

「金華公。済まないが、今は他の事に構っている余裕が無い。今宵は館の中で自由に過ごされよ。」




 一人残されて、一気に起こった多くの出来事を思い返す。

 はっきりしている事は、あの若きエルフは恐らく自分を庇ってオークの刃をうけたのであろうこと。彼の弓の腕は一級だった、恐らく一人なら難無く交わせたに違いない。

 それにしても森の王の腕の中に納まっているエルフは確かに先程大蜘蛛に立ち向かったエルフと同じ顔であったが、既に先程のような激しさはひっそりと影を潜め、不用意に触れれば壊れてしまいそうな儚いイメージがその全身を取り囲んでいた。

 彼は一体何者なのか、と暫し考えて、不意に結論に辿りついた。

(レゴラス「様」、と呼ばれ、王自らが飛び出して行った、…彼こそがかの末の王子なのか)

 何故もっと早く気が付かなかったのだろう、とても若いエルフだと思っていたくせに。 金華公は溜め息を付くと、そっと館へと足を向けた。脳裏からは、見事な弓の腕を持つ彼の姿が離れなかった…。





Back || Index || Next
template : A Moveable Feast