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残像





『―――君に任せるよ。樹海の事は、其処の出身である君が一番良く知っている筈だからね。』

 幸村が俺に与えた初めての命令は、俺が生まれた土地である富士の樹海で、鬼目の狂を影から助けるというもの。
 まるで遊山に行く息子を送り出す様に優しい笑みを浮かべていた幸村は、けれど次の瞬間、微かに厳しい表情を浮べた。

『君は樹海で、数多くの強き侍達に会うだろう。誰と戦い、誰の味方をするか、見定めるのは君だ、僕は君の判断を信じるよ。…でも、一つだけ約束しておくれ。十二神将のうち、『死なずのシンダラ』と呼ばれる男とだけは戦うな。』

 幸村は俺にそう言っただけで、いくら尋ねてもその理由を答える事は無かった。

『いいね、何があっても、彼との戦いだけは避けるんだよ。』



 別に俺自身の腕を信じていないのか、と子供じみた癇癪を起こす気は無い。でも、何故だろう…幸村の言ったその男の事がひどく気になった。
 幸村が『絶対に』と念を押すほど闘いを止めさせたいと望む相手。余程の強者であるのか、それとも幸村と何らかの関係のある男なのか。
 ―――あるいは俺が知らないだけで、俺自身と繋がりのある相手なのか。

 前に来た時からまた様相の変わった樹海への道程を急ぐ道すがら、そんな事が頭を掠める。
 いずれにせよ、鬼目の狂という男の一行と合流する前に僅かなりとも辺りの様子を探っておくのが得策だろうと思い、木の陰から辺りの気配を窺えば、辺りを占めるのは不気味なまでの静寂のみ。今この瞬間に近くに生物がいるとは思えぬ空気であった。
 …それでも、此処は樹海―――油断が命取りとなる魔の禁域―――誰も居ないと思っていた場所に誰が潜んでいるか分からない。
 用心しつつ敏捷に移動する事、数刻も経った頃であろうか。

 木々の間の木の葉闇に、全く気配を感じさせない男が佇んでいた。
 姿の見える今ですら、まるでそれが泡沫の幻影ででもあるかのように気配が無い。そしてその漆黒の瞳はまっすぐに自分を見据えていて。

 …忍びの術を使う者なら、いや、武道を嗜む者なら、誰でも多少は気配を消す事を知っている。けれど、この男のそれは、桁違いだ。

 不意にざあっと吹いて来た風で、其処に佇む彼の髪と長衣が大きく揺れた。

(入れ墨…?)

 その拍子に一瞬見えた頬の紋様…長衣を軽く押さえた腕にも何かの印が刻まれている様に見えて。

「あんた、誰だ。…俺の邪魔するなら、容赦しないぜ。」

 この樹海では背中を向けた方が負け、と昔の鉄則を身体が覚えていて、そんな強気な台詞が唇から零れた。
 言葉に出したその瞬間に、奇妙にも出掛けの幸村の台詞が耳に蘇って来たのであったが。

『十二神将のうち、『死なずのシンダラ』と呼ばれる男とだけは戦うな。』

 …まさか、この目の前の男が幸村の言っていた奴なのか?
 この場所に来て最初に行きあった相手が”絶対に闘いを裂けるべき相手”である可能性など常識的に考えれば少ないだろう。
 しかし研ぎ澄まされた潜在意識が、サスケの頭に警鐘を鳴らしていた。

 サスケの視線を黙ったままあびていた男は暫しの間はまるでその言葉が聞こえておらぬかの如くに動かず。
 やがてゆっくりと一つ息を吐き出すと思いの外静かな声を発した。

「…私は貴方と戦うつもりはありません。」

 そのまま場を立ち去ることはせず、ただじっとサスケを凝視して言葉を接ぐ。

「私が誰なのか…恐らくもう気付いている筈。鼓動の音が、変わった―――何かを直感で感じ取った証でしょう。」

 つまり、俺の直感は当たりだと、暗に伝えたい訳か。
 この男こそが…得体の知れぬ不気味ささえ醸し出すこの圧倒的な力を秘める存在こそが、『シンダラ』。
 ―――しかし、幸村がこいつとの闘いは避けろと言い、こいつは俺と戦うつもりはないという…この奇妙な合意は一体何なのだろう。

「…どうだかな。俺が攻撃したとしてもあんたは戦わずに居られるってのかよ?」

 心の中に不意に湧いた好奇心と戦意の促すがままに、まずは一撃。
 けれど、投げ付けた筈の武器は軽く彼の指先で止められた。

「…無駄な事はおやめなさい。来たるべき戦いの為に残しておかねばならない体力を削るだけです。」

 彼の言葉は正論。
 普段の冷静な時なら、俺も同じ事を思っただろう。―――だが、戦う気が無いのなら何故彼は俺の目の前に現れた?

「…貴方の主はお元気ですか?」

 まるで此方の思考を読み取っているかの様に掛けられる疑問文。
 俺の主…つまりは幸村のこと。

「あんたに何の関係があるんだよ。」

 突き返す様なぶっきらぼうな俺の言葉にも、相手が動じる様子は無い。

「…有りはしませんよ…何の関係も。」

 静かな返事に僅かな変化を聞き取れないかとやっきになっても、俺の努力は徒労に終わった。

「全てが終わった時に、貴方の信じる主の下で笑う事が出来る様に精一杯戦うがいいでしょう。…尤も戦場で行きあったなら、貴方にも、貴方の主にも、仲間にも、私は容赦をしませんが。」

 相手はそんな謎の様な言葉を残してその長い裾を翻す。

「待てよ、何でそんな事を俺に言うんだよ。あんた、幸村の何なんだ?」

「…さあ、それは何とも。―――私はかつて貴方と同じ名を有した者ですよ。」

 振り返らぬままに風の音だけが大きくなって彼の言葉の語尾を攫っていく。

「…此処で私と会った事は忘れなさい、若き忍―――”サスケ”。ああ、手裏をお返ししておきましょう。」

 ―――”忘れろ”って…?つまりは次に会う時に初対面の様に振舞っておけという事か。

 風が止んで再び不気味な静寂が樹海を覆った時、彼はもう其処に居らず、ただいつの間にか、俺のすぐ横の木に一本の短刀が音も無く突き刺さっていた。
 ―――俺が先程投げたものとは別の手裏剣。俺が扱う物よりも幾分型が大きく、鋭い黒光りするそれ…疑いようも無く先程の彼のものであろう。
 わざわざ自分のそれを投げ返したのには、何かの意図があるのだろうか。

『私はかつて貴方と同じ名を有した者ですよ。』

 彼の言葉を思い返すと同時に、又もや昔の幸村の言葉が耳に蘇った。

『サスケ…?じゃあ、今日から君の名前は猿飛サスケだ。』

 もう十年以上も前、やはりこの樹海で初めて会った時の幸村の言葉。
 あの時あいつが何とも言えない表情をしてその名を呟いたのを良く覚えている。淋しいような、懐かしいような、そんな感情を声に乗せて。
 ”サスケ”は樹海での元々の俺の名だったが、『猿飛』という苗字を与えたのは他でもない幸村だ。

 ―――俺と、同じ名。
 かつて『死なずの真達羅』は『猿飛佐助』だったという事か。そして、それは…つまり…あの男がかつての幸村にとって何がしかであったと。
 きっと俺に幸村がその名を与えたのは、彼の側から”猿飛佐助”が居なくなってしまったから。

「幸村は…あんたとは戦うなと言ってたぜ。」

 姿は見えずとも完全に立ち去ったわけでは無く、きっと先程の彼の耳に自分の言葉は聞こえるだろうと確信してそんな事を呟いてみる。

『相変わらず、甘いのですね、幸村様は…。あの方の隣に立つ『サスケ』は私では無く、貴方です。昔に去った者の事など忘れて、大志をお果たし下さいと…いつか私が消えたら伝えて下さい。』

 音として耳に入って来た訳では無い。言うなれば直接頭の中に語りかけられた様な感覚で。
 その言葉と共に不意に起こった、樹海の空気には似つかわしく無いほどに穏やかで優しい風に、柔らかく身体ごと抱きしめられる様だった。



 ―――あの存在は確かに今、俺達の…幸村の敵ではあるのだろう。
 けれど最後に『幸村様』とそう呼んだ彼の心の奥深くに横たわる思考を、サスケは知りたいと思った。同じ名を持つ相手、きっと同じ主君に忠誠を誓っている相手…敵味方としてではなく、もう一度出会ってみたい。
 胸に生まれたその感情は、樹海に生まれた者の例外に漏れず常に更なる力を求め続けて来たサスケには、未だ知らぬ類のものであった。



◇ 後記 ◇
 小さい佐助と旧佐助も何処かで心を通わせていてくれたらいいなあ、と思いつつ書いていた記憶があります。でも当時は、本誌で旧佐助の死に際に彼らが絡むシーンが来るとは思ってもみなかった。

2004/06/21 本編脱稿






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