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羽化 -UKA-





<03>

 夜這い云々という四方堂の言葉に妙に胸がざわついて、その日俺が彼の室へと足を向けたのは未だ日の高い時刻。

「吹雪…?」

 昨日の今日で訪ねて来た俺を、村正は幾分不思議そうに、だが嬉しそうに笑んで迎え入れてくれた。
 手入れをしていたのだろうか、床の間には刃こぼれ一つ無い美しい抜き身の刀が置かれている。

「剣を扱うのか。」

 壬生の中枢に位置する者であるのなら、あるいは武具を扱えるのは当然の事なのかも知れぬ。だがこれまで俺が見た村正の雰囲気と血生臭い武器の印象がどうにも一致せずに思わず言葉を漏らしたところで、村正が自嘲気味に笑んでいるのに気がついた。
 悪いことを言ったのかとはっとした時には、既にその表情は相手の顔から見事なまでに拭い去られている。

「扱いますよ。…必要な、ことですから。」

 強いのか、と尋ねてみれば”どうでしょうね”と笑うのみだが、相当な手練なのだろうと想像は付いた。

「手合わせをしてみぬか。」

 掛けた言葉は恐らく無意識。
 俺自身もそれなりに名のある家の嗣子として相応しいだけの訓練を受けたという自負がある。それはきっと、先日来胸の奥に燻っている感情とは関わりの無い闘争心であったのかも知れない。

 『いいですよ』、とそう返って来ると思っていた。
 いつもより幾分か厳しい表情で刀を見つめる村正の横顔を見た時に、その端麗な容姿の内に確かに凛とした闘気が宿っているのだと知ったから。
 けれど村正は先刻まで手入れしていたのであろうその刀にじっと視線を落としたままで、中々返事を返してはくれない。

「…嫌なら、いい。」

 苦しめたくはなかった。
 かれが無言の内に拒むという事には、それなりの理由がある筈なのだから。

「嫌ではありませんよ。…いつが良いですか?」

 己の言葉を撤回しようとした時、静かな声が投げられて。
 気が付いた時には数日後に催される己の成人の式の折に、と応じていた。



 あの日から、二週間弱。
 式典の日に向けて俺は鍛錬に余念が無かった。
 四方堂が言ったようにもっと普通に『式典へ来て欲しい』と村正を誘うことを出来ただろうが、その当日の手合わせに誘ったことに後悔はしていない。
 見てみたい…合わせた刃を通して感じ取ってみたいのだ、彼の手から繰り出される技の姿を。

 村正のそれの時と同じ様に、式典の祭壇はあの中庭にと整えられた。
 俺がその場所に着いた時には既に一族の大人達も揃っていて、四方堂の傍で皆と談笑している村正の姿も見える。美しく着こなされた衣装はやはり俺の目を奪うに十分で、引き寄せられる様にふらふらと其方へ歩みを向けた。

「おめでとう、吹雪。」

 此方に気が付いたのだろう、話していた相手に軽く頭を下げて俺の所へと急ぎ足にやって来た彼が、身を寄せる様にして呟いた言葉に頭の中がくらくらした。
 なんて純粋に、そしてなんて光に溢れた言葉を話すのだろう。体中の熱が頬に集中している様な気さえして、ああ、今己の顔はきっと赤らんでいるのだろうとぼんやり思った。

 また後で、と微笑んで皆の所へ戻って行く村正と入れ代わりに親の伝手で何度か話したことのある一族の者が順々に祝いにやって来て、暫しの時間が過ぎて行く。

「おお、来たなんっ、今日の主役のくせに来るのが遅いよん、吹雪。」

 いつの間にか傍へ来て茶化すようにそう告げた四方堂が、何を思ったかぐっと顔を近づけて周囲に聞こえない音量で言葉を次ぐ。

「聞いたよ吹雪、村正ちゃんに手合わせを申し込んだって?頑張んな、村正ちゃんは強いからねん、あちきだって多分無傷じゃ勝てない。」

 四方堂が、太四老の長である者が自ら『無傷では勝てぬ』と認める実力。武者震いのようなものが背筋を駆け抜けるのを止められない。

「ま、でもその前に式典か?へますんなよお。」

 この上司はいつも一言多いと思った所で、ばしっと音がする程に肩を叩かれ、それが祭壇へと誘われる合図であった。
 祭壇の前に立つ人影は、薄布で顔を隠してはいたが、その燃える様な赤い髪と目の色の威圧感が肌に圧し掛かって来るかの様で。

 ―――これが、壬生の最高権力者なのか。

 そんな畏怖を感じざるを得なかった。
 彼の口から語られた言葉は、一種不似合いとも思える様なのんびりとした調子だったが。

「…そうそう、吹雪。四方堂の所の村正と剣の試合をするのだと聞いたけれど…?」

 僅かに声の調子が変じて、紅の王がそんなことを呟く。
 折角だから今此処でやってみないかい、と意外な言葉を告げられた。俺の成人の式の折にとは言ったものの、それは式が終わってから何処かで個人的に手合わせをして貰うつもりだったというのに。

「…此方へおいで、村正。」

 俺の返事を待つ事無く、紅の王は軽く手を叩いて参列の席に居たのであろう村正を呼ぶ。
 程無く祭壇に近寄って深く拱手してみせる村正の裾がはらりと揺れた。

「二人が剣を合わせたなら、まるで剣舞の様に見えようよ。楽しみなことだね。」

 のんびりと言葉を続けた紅の王に対して、村正は黙って拱手を続けたまま。程無く従者が捧げ持ってきた二振りの剣を各々が手に取る。
 人々が僅かに後ろに下がって出来た空間に対峙してみて、初めて村正と視線が合って、彼の瞳に今は緊張した闘気にも似た光が光っているのを知った。

 始め、という合図と共に此方が彼の間合へと踏み込めど、あちらはその場を動かない。一体どういうつもりなのかと攻撃を繰り出してみれば、彼はその全てを見切っているかの如くいとも簡単に剣で弾き返してみせる。
 それでも彼の方からは決して攻撃を仕掛けて来ないので、結果的にどちらが体力で勝っているかを競う様な形になった。体力での勝負であるならば、恐らく勝ちを得るのは俺の方であろうに。

”何故打ち込んで来ない。”

 心の中でそう強く想った瞬間、刃を合わせている村正の表情が苦しげに歪み、次いで一瞬間合いが開いてからその刀の構えが変わった。

「…そこまで。」

 その瞬間に不意に試合の終了を告げたのは、祭壇の上の紅の王の声では無く、四方堂のそれであった。
 はっとして剣を下ろした村正に俺もならい、四方堂がその間に膝を折る。

「王、もう十分にこの二人の剣の才はお分かりでしょう?」

 紅の王の前では彼女もまともな言葉遣いをするのだと妙な感心をした後で、何故村正が漸く攻撃の構えを見せたあの瞬間に彼女が止めに入ったのかと疑問に思った。

「…そうだね、四方堂。村正は守りの剣を愛し、吹雪は攻撃の剣を愛する、といった所かな。」

 良い対になるといい、と続けられた最後の言葉は随分と小さな音。
 紅の王が祭壇の奥へと姿を消したのが、式典の終了の合図となった。



 村正の時と同様、その晩は宴が開かれたが、其処に村正の姿は見えず。やたらと酒を勧めてくる貴族達を適当にあしらって、俺はこれで四度目となる彼の部屋を訪ねた。
 ほんのりとした明かりが漏れていて、部屋の主が中に居るのだと知れる。

「村正。」

 部屋の外から声を掛けてみれば、中からははっと息を呑む音。
 一瞬空いてから、扉は閉じられたままに彼の声が返って来た。

「…吹雪、いけませんよ、今宵の主役がこの様な所に居ては。」

 まるで年長者が子供に教え諭す様な台詞だ、とふと思いながらも、その声が微かに震えていることに気付く。

「…入るぞ。」

 短く告げて扉に手を掛ければ、いつもの様に内側から開かれることは無いまでも、それは呆気なく中へと俺を招き入れた。
 部屋の中には、式典の時とはまた異なる正装に身を包んで此方に背を向けた形で端座している村正の姿。
 ああ、もしかしたら彼も宴へと来てくれるつもりだったのかと僅かな期待をしてしまう。

「…済みません、怒っているでしょう、吹雪…?」

 ややあってから、彼は顔を此方に見せぬままでぽつりとそう呟いた。
 ―――怒って…?彼があの試合の後いつの間にかその場を去り、宴へも顔を見せてくれなかったことに落胆しはしたが、怒ってなどいるつもりは無い。
 前に此処へ来た時、”さとり”の力を抑えつつも俺の感情を適確に読み取っていた彼が、何故そんな風に思ったのか。

「怒ってなどいない、何故そう思う。」

 背けられたままの表情を知りたくてそっと肩を掴んで此方を振り向かせれば、村正の唇が何かに耐える様に一瞬きつく噛み締められた。

「…あなたが先日望んでいたのは…ああいう形での試合では無いから…」

 目を伏せたままの村正がぽつりぽつりと言葉を次ぐ。

「それに、刀を抜いている間はさとりの能力も解き放っていましたから…聞こえたのですよ、貴方の心の声も。」

 ”何故打ち込んで来ない。”
 俺はあの時確かにそう思ったのだったが…それを受けて彼は刀の構えを変えたではないか。

「打ち込んで行かなかったのは、いいえ、行けなかったのは…私の心に未だ攻撃することへの迷いがあったからです。剣を持つといつも考えてしまう、もし己の武器が相手を傷付けたら、と。でも貴方の声を聞いて…それでは貴方に対して失礼なのだと思った矢先に四方堂の姐さんが止めて下さって。」

 普通剣を持った所に制止を掛けられたら抗する者が多いというのに、ああして彼がすんなりと構えを解いた訳が漸く分かった気がした。
 大人びて何もかもを受け止めている反面、繊細過ぎる部分を持ち合わせているのだろう。

「貴方にはお詫びをしなくては…。」

 尚もそう言いつのる村正が、何かを恐れているかの如くに殊更に俺の視線を拒む仕草が、何とももどかしく思えた。

「…怒ってなどいないと言っただろう…?それでも信じられんというのなら、抑えずに”さとり”の力を使え。お前の誤解が解けるのならば、俺の心の中にある感情など全て読んでしまっても構わん。」

 何故そんなことを口走ったのかは分からない。
 それでもその瞬間、確かにかれに己の全てを見せてしまっても構わぬと思えたのだ。相手の視線を捉えたくてかれの金糸の髪に指を差し込んで頭を固定すれば、彼の紫色の瞳が揺らぎつつも此方を見つめた。
 絡み合う様な視線だけでなく、互いの唇がゆっくりと近付いていったのはきっと必然であったろう。穏やかなその感触はごく自然に訪れて、不意に村正が小さく俺の胸を叩いて身を離したことで終わりを告げた。

「…此処で貴方と会うのも今日が最後ですね。明日からはもっと奥に部屋を頂くことになったので…。」

 どこへ行くわけでも無いのだろうが、慌てた様に立ち上がりしなに村正が呟いた言葉がまるで別れを告げている様にも聞こえて、思わずはっとその袖を掴んでしまう。

「離れて行くなと言ったのはお前なのに、お前の方から離れて行くのか。」

 我ながら恨みがましくも未練がましくも聞こえる台詞に、村正は先刻までの動揺を今はすっかりその内にしまいこんで微笑してみせた。

「違いますよ、奥に部屋を頂いたのは明日から正式に王に御仕えすることになったからです。貴方も出仕する様になったなら、またその場所で会えるのですから。…今はまだ出来ない話も貴方に話せる様になっているでしょうし…ね?」

 いつもの笑みだと思った。
 俺が初めてこの男を見た時に惹かれてやまなかった陽光の様な笑み。

 ―――今は、これでいい。
 先刻の口付けでおそらく村正とて俺の心を察したろうに、今の所何も態度に変化が訪れぬということは、嫌われてはいないのだろうから。



「さて、まだ時刻も早いですし、もう一度くらい貴方も宴に顔を出した方がいいでしょう…?私も貴方のお祝いをしたいですから。」

 そう言って促す村正と共に宴の席へ戻ってみれば、其処は既に無礼講の酒飲み場と化していた。

「おう、吹雪、村正ちゃん連れて戻って来たか。」

 真っ先に二人の姿を見つけて近寄って来たのはやはり四方堂で、次にぐいっと俺の腕だけが引っ張られ、耳許に明らかにふざけて楽しんでいる調子の囁きが吹き込まれる。

「で?…成人の祝いに男にしてもらったかん?」

 ―――やはりこの上司は一言多い…。
 そう呆れながらもやはり動揺してしまうのは事実で、きっと少し赤くなってしまっている頬は酒のせいにしてしまおう、とそう思った。



◇ 後記 ◇
これにて一応2004年度の生誕記念創作の[羽化-UKA-]は完結。題名の通り、吹雪がそういう自覚を持つまでの話にしたつもり…です。自覚を持った後だと吹雪ちゃんは即刻裏にすっ飛びそうなのでまあ無難にという説と、時間的にこれ以上先を書くと完結時にはとても生誕記念とは呼べなくなりそうなので、ここで一区切り。時間軸的に続編となる話をいつか書くかも知れません。(それ用に幾つか伏線が張ってあったりも致します(笑))

2004/11/10 Shisui Gagetsu






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