羽化 -UKA-
<01>
「綺麗に着飾ってお人形さんみたいだなんっ、村正ちゃん。」
湖面に映る美しい作りの東屋、そしてその場所に金色の輝きがある。金色の髪がそんなに珍しいという事では無いけれど、あれほどの清冽な輝きに出会うのは初めてだ。
声を掛けている方の笠を被った女には…以前に会った事がある。”四方堂”…太四老の長なのだと、父からそう紹介されたのだったか。
ではあの金色の輝きは誰のものだ…?
あの”四方堂”に子がいるという話はついぞ聞いた事が無い。とすると…一族の中枢を担う家の子供だという事だろうか。
「おや、吹雪、来てたのかい。」
何とはなしに見つめていた先から不意に声を掛けられて、慌てて会釈をして見せる。
「お久し振りでございます、”四方堂”様。」
堅苦しいねえと笑って見せた”四方堂”がこちらへ来いと掌で差し招いているのに応じて歩みを進めてみれば、彼女の傍らには何とも柔らかい笑みを浮かべた若者が居た。
―――女か…?いや、一瞬見紛うばかりの美貌だが、甘ったるい顔立ちではない、ならばこれは男のものか。
「村正ちゃんと会うのは初めてだろ?まあ年も近いし、仲良くするといいなんっ。」
年も近い、か…俺の方が年上なのか、あるいはあちらの方が年長なのか。背の丈は僅かに自分の方が高かったが、それだけで判断など出来はしない。
「やだなん、吹雪、そんな穴が空くほどじっと見つめてると、お前の心の声が村正ちゃんには丸聞こえだん。」
太四老の長とはとても思えぬそのふざけた様な言葉遣いの中に、ふっと聞き逃せぬ言葉を耳にしてはっとする。
俺の心の声がこの若者に丸聞こえ…とは一体どういう意味なのか。
「…済みません。」
俺の不審そうな瞳に応じて、困ったように”村正”が目を伏せるが、”四方堂”の言葉の真意は知れないままだ。
「まあ後はその内村正ちゃんから聞くがいいさ。じゃああちきはちょっと準備の方を見てくるよ。」
ああそうだ、今日は何かの儀式をするのだと父が言っていたか。
ひらひらと手を振りつつ岸辺の方へと戻って行く四方堂を見送って、今更ながらに思い出す。
”村正”が見事に着飾っているのもそれが理由なのだろうか。
「…今日は私の成人の式なのです、吹雪。」
その表情そのままに鈴の音の様に優しい声が思いの外近くから紡がれて、黄金色の長い睫毛に縁取られた蒼い瞳から視線が逸らせなくなる。
―――成人の式。
…俺はまだ済ませてはいない、ならばこの”村正”の方が僅かに年齢が上ということなのだろう。
「本当の年齢がどちらが上かは分かりませんが…四方堂の姐さんがそろそろ式をと仰ったので…。」
俺は先程から言葉に出しては何も伝えていない筈だが、心中に浮べた疑問にまるで打てば響く様な答えが返って来る。
”四方堂”の言葉の意味が僅かに汲み取れた様な気がした。
「…吹雪。」
気のせいだろうか、俺の名を呼ぶ陽光の様なその顔に微かな翳りが見える。そう、まるで何かを案じているかの様な。
「名前でそう呼ぶことを許してくれますか。」
問い掛けられたのはごく当たり前の事。
名で呼ばずして一体どの様にして呼ぶというのかと怪訝な顔をすると同時に村正の顔は又嬉しそうに綻んだ。
「ありがとう、吹雪。…私のこの力のこと、知ってもどうか…離れて行かないで下さい。」
離れて行くなとそう告げる村正の瞳に幾分切なさの様なものが見え隠れした気がして、己の心がざわりと騒ぐ。
"力"…恐らくは人の思考を読み取る類の。心の中を覗かれてしまうというのは確かにあまり気持ちの良い事では無いだろうが…だからと言ってこの華の様な優しい存在から離れて行ける者など居るのだろうか。
一目見た時から、見る者全てに注がれるであろうその柔らかい微笑の心地良さから。
「…貴方は優しい人ですね、吹雪。」
黙ったままで居た俺に、村正はそんな聞き慣れぬ言葉を掛けて、ゆっくりと東屋に設えられた席へと腰を下ろす。
『優しい』…俺を知る者で、俺の事をその様に形容する者など居ないだろうに。
奇妙な事を言う奴だとそう思いながらも、照れ臭いような不思議な感情が胸の内を帰来した。
「吹雪…それでは、また。」
さして間を空けずに迎えに来た眷属に付いて、村正が歩んで行く先は庭園の奥にしつらえられた祭壇。此処からでは遠目にしか見えないが、祭壇の前に佇んで彼を待ち受ける人影から発せられる威圧感を鑑みれば、それが誰であるのかは容易に察しが付く。―――紅の王…壬生一族の頂点に立つその人が今此処へ出向いて来ているのだろう。
時間が流れるのが酷く遅く感じられる程に村正がゆっくりと歩を進め、祭壇の人影の足元に跪く。ふわりとしたその動きに従って風に流れた髪と着物が幻想的に宙を舞った。人影の方も村正へと身をかがめ、何事か言葉を掛ける様子で、それが済むと村正はまた優雅な所作で立ち上がって拱手をする。
洗練された所作に瞳を奪われているうちに人の気配が近付いていた事に気付けなかった。
「ふふん、村正ちゃんが気に入った様だねん。」
何処と無くふざけた様な口調は、初代太四老が長、四方堂のもの。
「宜しいのですか、席を外されて。」
言葉の内容は兎も角として、実質壬生一族第二の地位にある筈のこの人が何故大事な儀式の途中で抜け出しているのかと逆に追求してやれば、彼女はにっと唇を笑ませるのみだ。
「可愛げの無い餓鬼だなん、あちきはただ村正ちゃんを見てあんたがどんな顔をするか楽しみで抜け出して来ただけだよん。…ま、その様子を見ればわざわざ抜け出して来た甲斐が有ったってもんだ。」
何とも楽しそうに笑ってみせる彼女が話のついでの様に、良かったら夕刻の祝宴にも来いと誘って去って行った。
それを見送ってふっと視線を戻した先には、周囲の大人たちの祝辞に応えて挨拶に回っているらしい村正の姿。あのどことなく得体の知れない”四方堂”の楽しみの種にされるのは些か不本意だったが、己がかれを意識した事は肯定せざるを得ぬのだろう。
紹介されて二言三言言葉を交わしただけでかれの成人の祝いの宴に出るなど分不相応な気がせぬでも無かったが、教えられた刻になるとそれなりの身支度をしてしまっている自分が居る。
行くにしても、止めるにしても、直前までその選択を迷う事が出来る様に。
―――行くべきか、それとも止めておくべきか。
宴の席の周りは恐らく大人ばかりだろうから、若輩者が何をしに来たと思われるかも知れぬが、誘われたのに行かずにおけばまるで己が彼の成人を祝う気が無いかのよう。
『離れて行かないで下さい』―――そう言った彼の言葉に背いているかのよう。
あまり人通りの多くない回廊を通って広間へゆるゆると足を進めれば、談笑しながらぞろぞろと会場へ入って行く大人達の姿が見えた。
彼らのする、媚び諂いと政治的画策に塗れた会話は好きではない…権力の源はそういった伝手では無く、ただ己の力にのみ依るのだろうに。
そう思うと何とも宴へ行くのが億劫になる。
村正とて奴らの”挨拶”を受けるのに忙しくて今日会ったばかりの俺に構ってもいられないだろうと思うと、さっさと一旦祝いだけ述べておいて屋敷に戻るかという気分になった。
広間の入り口の敷居をまたいだ所で辺りを見回して、”四方堂”のしたり顔と俺自身の父の驚いた顔、そして人々の会話の中からふっと此方の気配に気付いたかの様に顔を上げた村正の視線に出会う。
ゆっくりと大輪の華がほころぶ様に村正の社交用の微笑が嬉しそうなそれに変わった時、ああ来て良かったと思わずにはいられなかった。
長い裾を引き摺りながら人の輪を抜け出して此方へと歩み寄ってくる村正を眺めながら、まるで自分も周囲も静止して、彼だけが動きあるものとして存在しているようなそんな錯覚に捉われて。
柔らかく腕を抱かれた瞬間、いつの間にかあまりにも近付いていた互いの身体の距離に驚いてしまう。
「来てくれたのですね、吹雪…!」
俺自身のそれよりも僅かに下から見上げて来る瞳の中に俺が映っている事が何とも嬉しかった。
「まあ吹雪は無愛想だけど、そうやって二人並んでるとお雛様みたいでかわいいなん。」
割って入って来たのはからかう調子の”四方堂”の声。
村正も俺も二人纏めてぐいぐいと腕を引かれて上座に設えられた席へと座らされる。
「まあ呑みな、まさかあちきの酒が呑めないなんて言わないだろうね?」
ぐいと押し付けられた盃に瞬く間に清酒がなみなみと注がれ、勧められるままにそれを干した。
「おお、いい飲みっぷりだなん。村正ちゃん、酒の呑み方は吹雪に教えて貰った方がいいよん。」
そうします、と小さく笑う村正の方はと言えば、既に何度となくこうして酒を勧められているのだろう、頬にほんのり紅がさして酔いが回り掛けているようだ。
―――あまり酒には強くないのか。
そんなことを思う間にも又千鳥足の眷属がやって来て村正に酒を勧めて帰って行き、村正の方はと言えば笑顔を絶やさずにそれを飲み干してみせるのだ。
「…無理をするな。」
思わずぼそりと口から零れた言葉に、村正がはっとした様にこちらを見つめ、次いで嬉しそうに笑いつつ告げた言葉は意外な一言。
「初めて私に口をきいてくれましたね、吹雪。」
そういえばそうだったか…だが此方が口を開くまでも無くかれの方が俺の意を汲み取ってくれるのだから言葉など必要無いに等しかった。
それでも傍から見れば村正の方が一方的に俺に語りかけているかの様…彼としては淋しかったのかも知れぬ。
「…やっぱり優しい人ですよ。」
宴の喧騒の中でふわりと静かに声を届けつつ、村正はゆっくりと瞳を閉じて。その上体が微かに傾ぐ様子から、彼が必死に酔いから来る眠気に耐えているのだと知るのは容易だった。
「…皆あとはもう身勝手に騒いで夜を明かすだけだろう。此処では休めないというなら、どこか別室ででも休んだらどうだ?」
聞こえているだろうかと危ぶみつつも隣へそっと声を掛けてみれば、村正がぼんやりと視線を上げる。
「そう…ですね…でも…」
集まった客に悪いと思っているのだろう、ちらりと下座の方へ投げ掛ける彼の視線が複雑な色を含んでいた。
「…また体調が戻ったら広間へ戻って来ればいい。このまま此処にいるとあとどれだけ酒を勧められるか分からんだろう。」
それは流石に困りますね、と苦笑する姿が何とも儚く、そして弱弱しく見える。
そう、心のどこかでこの存在を俺の手で護ってやりたいと思うほどに。
宴を抜け出す決心をしたのだろう、脇息に支えを求めながらゆらりと立ち上がった村正が一瞬眩暈をこらえる様に体勢を崩した所を、思わず腕を伸ばして支えていた。
「送って行く、…お前が嫌でなければ。」
自分でも何故そう言ったのか分からない、俺は今まで必要以上に他者に関わる事を良しとしない人間だった筈なのに。
それでも”ありがとう”と村正の頬に浮べられた淡い笑みを見た瞬間にそんな疑問など意識の何処かへと溶けて消えてしまったのだった。
かれを送り届けた先は、今まで己が足を踏み入れた事の無い…陰陽殿の奥深くにある室。この様な場所に住まわされているという事は、余程壬生の中枢に近い存在であるのだろうと再認識せざるを得ない。
その思考を感じ取ったのだろう、村正がぽつりと言葉を投げ掛けてくる。
「…私は…四方堂の姐さんの所にいるのですよ。」
つまりはあの”四方堂”に師事しているという事なのか。太四老が長である彼女に。
「正確には…師事、というよりも育てて頂いた、と申すべきなのかも知れませんが。私の両親はとうの昔にこの世を去ったそうなので。」
さらりと口にされた言葉は、しかし普通の世間話とは異なったもの。
壬生の一族は余程の事が無い限り命を失う事は無い…だとするならば、余程の災禍が村正の両親に降りかかったということだろう。
「…いけませんね、やはり私は酔いには慣れていない様です。眠りが押し寄せて来て広間に戻る事など出来そうに無い。」
急に転じられた話題は、彼が今これ以上の事を告げるつもりは無いこと、そして俺の大雑把な憶測が外れてはいないことを暗に示していた。
「ゆっくり休め。」
低く告げた言葉に、彼はまた礼を言ってふわりと笑う。
「帰るのですね…今日はありがとう。…気が向いたら又来て下さい、私はいつも此処に居ますから。」
いつも此処に。
陰陽殿の外には出られぬということなのだろうか。
心に浮かんだ疑問に、しかし村正はふわりとした笑みを絶やさぬまま、答えを与えてはくれなかった。
「…お休みなさい。」
優しい声音に送られて暗い廊下を歩みながら、ふと名残惜しさが心につのる。帰りたくないと…ずっとあの奥殿でかれと寄り添っていたいと思う様な、不思議な心地。
この感情は何と呼ぶのが相応しいのだろう。
初めて他人によって心に満たされた微熱の如き火照りを、夜の冷たい風の中で自覚せずにはおれなかった。
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