蘇生 -05-
「…いいですよ、吹雪。貴方がそう望むのならば、私は何も厭いはしません。」
俺の誘いへ何の驚愕も動揺も無くそう答えて来た相手。
彼を、ひしぎを抱くのは決してこれが初めてでは無い。村正が去った後、俺の心が荒ぶった夜に幾度と無く抱いたものだ。
最初はどちらが誘ったという訳でもなく、ただその場の雰囲気がそうさせた。
時々、ふと疑問に思う。
何故この男は俺の様な者にこうしてどこまでも従おうというのか。村正に従うというのなら分かる…あれはとても人望が厚かったから。
…だが、何故俺に。
俺がひしぎの身体を抱きながらも村正のことしか考えられずにいるのだと…村正の様にさとりの力を持たぬまでも人の心の機微を察するのが上手い彼は当の昔に気付いているだろうに。
俺や村正に比べると僅かに力で劣るというものの、太四老の一員である実力があれば俺の腕を拒むことくらいは可能な筈。
それなのに、俺が望むのならば何をも厭わぬのだと、そう言うのだ。そうしてその言の葉を聞いた瞬間、餓えきった俺の心に僅かばかりの癒しがもたらされる。
―――俺は…この言葉が欲しかったのだろうか。ひしぎに言われたのと同じ台詞を…村正に言って欲しかったのだろうか。
村正の高潔な優しさも、凛とした意思の強さも愛しく思っていたけれど、それと同時に…俺だけを見てくれはしないその瞳を淋しく思っていたのだろうか。
だからこそ俺はあれの歩む道とは正反対の道を選んで歩んだのかも知れぬ。
『吹雪…分かっては、くれないのですね…』
遠い昔に村正が最後に呟いた一言が、そしてかれと遠ざかっていた間、夜毎己を悩ました一言がふと耳に蘇った。
どうして分かってくれないのですか、と責めるでは無く、ただ深い諦念のみを押し込めたその言葉。
そして彼は…この壬生を去って下界へ下りていったのだ。
様々な想いを振り切るように歩んでいく行き先は…人知れず村正を閉じ込めている俺の私室の続きの間。
結界で封じて来たゆえ寝台の上から動けはしまいが、その”さとり”の能力で隣の室で行われている此方の行動を読むくらいお前にはた易いことだろう、村正…?
そうして俺の行動を知った時…普段聖母の如き笑みを浮かべ続けていたその頬にどんな表情が上るのか、それを見てみたい。
この続きの間は控えの間として使っていることもあって、私室にあるものよりもやや簡素ではあったが、少々休憩を取れる様にと寝椅子を置いていた。
部屋に入るやいなや後ろ手に鍵を掛けて、その寝椅子の上で常以上に時間を掛けて、且つ相手の快感を高めることにのみ重きをおいてひしぎを抱く。
金糸とぬばたまの黒髪…髪の色も、そして長さも何もかもが違うのに、抵抗が無いというその一点のみが村正と同じで。
上気した相手の表情を見ていると、かれの面影が被って見えた。
『吹雪―――!!』
互いに高まって上り詰めた瞬間、何故だか村正の声でそう呼ばれた様な気がして、高まりきった意識がふっと原点に帰る。
…これは…?
かれの持つ”念”の能力が俺に向かって放たれた結果なのか…?
いや、それにしては強い力を感じなかった。
とすれば、彼の反応を欲して止まぬ俺の心が編み出した幻聴であるのだろう。
思わずはっとした様な表情を作っていた俺に気付いていただろうに、ひしぎは特に何事も問い正すことも情事の余韻を引き摺ることも無く、身支度を整えるとただ静かに室を去って行った。
「…ゆっくり休んで下さい。」
最後までそうして気遣いの言葉を口にして。
ひしぎを抱く時はいつもそうだが、すまない、と己に似合わぬ感情を抱くのはいつもこの瞬間。
そうして気遣われることが何より嬉しいのに、どうやっても村正以外の人間を己の心の中の一番に出来ぬことへの謝罪の心が頭を擡げる。
どんなに俺が想っても、そして身体を抱く事を許してはくれても、大勢の中の一人としてしか瞳に映してくれぬかの人のことなど、忘れてしまえればと何度も思ったけれど、長い時間の力を借りてもそれは無理な事だった。
ゆっくりと腰を上げて私室へと戻ると、其処には先刻俺が室を出た時と変わらぬ様子の村正の姿。
―――お前の反応が知りたくて罠を仕掛けてみたが、俺が与えた疲れが重過ぎて、気を失ったまま気付かなかったか。
残念に思う気持ちと何故か安堵が相まって、複雑な溜め息が漏れた。
…安堵…?何故その様な気持ちが浮かんで来るのだ。
俺は己の罠が効を奏することを望んでいたのでは無かったか。それとも心の何処かで村正を傷付けたくない、あるいは俺のこの浅ましさを知られたくないと思っていたとでもいうのか。
「…籠の中の眠り鳥はお休みのままか。まあ良かろう、時間はこの先いくらでもあるのだからな。」
まるで自身に言い聞かせるようだ、とそう思いながらそんな独り言が口をついて出る。長い時間が有るがゆえに、かれの素顔を曝した姿を見る機会はいくらもあろう、と。
寝台に上がって何気無く村正の身体を引き寄せると、ぐったりと力を失ったままに俺の腕を受け入れたその身体がほんの一瞬、僅かばかり強張った様な気がして。
もしや眠った振りをしているだけなのやも知れぬ、とそんな考えも頭に浮かぶ。
無論このまま無理矢理に事実を問いただすのも良い…が、例え振りにしてもこうして俺の腕に身体を預けてくれるというのなら、このまま夜明けまで過ごす位は許されても良いのではないか。
尤も…先刻の行為に気付いて尚知らぬ振りを通されるのであれば、俺の仕掛けた罠は意味を成さなかったという事にはなろうが。
顔を寄せた村正の髪からは華の様な優しい香り。
その香りに引き寄せられるかの如く、俺は常に見ぬ深い眠りへと誘われて行ったのだった。
そう、その数刻後に夜明けの冷気がまるで習慣の様に俺を目覚めさせるまで。
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