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残照-ZANNSHOU-

002:LOVE SONG





 身体を支える柔らかな布の感触。
 そして遠く微かに聞こえる静かな音曲。
 ゆっくりと身を起こせば、自分を囲むのは見慣れぬ風景であった。

 咄嗟に蘇る、意識を失う前の記憶。
 父の墓から不思議な光に導かれて見知らぬ世界へと迷い込んでしまい、どういう偶然の結果か稀な大怪我を負ったのだったか。
 今はもう血に濡れた襦袢は何処かへ取り払われ、代わりに長い清潔な布がこの身を包んでいる。そろそろと脚を動かすと微かな痛みは走ったものの、寝かされていた台から降りられぬ程では無かった。
 こんな時はこの身に流れる純粋な妖の血の効力を思い出さずにはいられぬ。普通の人間の血であったなら、あの事故では生きていられなかったろう。

 部屋の隅にある扉らしき物に近付くと、聞こえていた音曲が近くなった。
 そっと耳を澄ませてみるものの、詞の意味は分からぬ。…異国の言葉なのであろうか。
 それを聞いているのは誰か、とそっと扉に手を掛ければ、予想に反して扉は何の抵抗も無く開いた。
 錠か何かが降りているのではないかと思っていたが―――。



「意識が戻ったのか。…あれだけの傷を負ってもう動ける様になるとは大したものよ。」

 扉を開けた直後、部屋の向こう側から掛けられた声にびくりとする。
 …そうだ、この世界には父上に姿も声も異様なまでに似通った男が居たのだった。

「痛みは?」

 聞いて来る相手に否、と返しながらついつい父の面影を重ねてしまう。

「その様に私の顔をじっと見つめて如何したのだ。…互いに尋ねたい事が沢山あろうが、幸い時間はたっぷりとある。知りたい事があらば問うがいい、出来うる範囲で答えよう、…少なくとも私の方ではな。勿論そなたにも答えて貰うつもりではいるが。」

 そんな事を言いつつ近付いて来た男が不意に私の身体ごとを抱え上げた。
 普段であったならこの位軽く避けるだろうが、今はまだ本調子ではなく、行動を起こした相手の外見の妙も加えてされるがままになる。

 下ろされたのは、先程寝かされていた台よりも少し高度の低い、柔らかな革張りの台の上。
 相手はと言えば、私の座す向かい側にある、やはり似たような台に腰を掛けている。

「ソファが珍しいか。」

 周りを見回していた私の行動を不審に思ったのであろう、相手がそんな事を問う。
 …ソファ…か…この台の事を言っているのであろうか。
 黙って見返した私の瞳の中に肯定の意を受け取ったのか、相手がそれ以上『ソファ』について問う事は無かった。

「…まずはそなたの名を問おうか。記憶喪失でも無い限り、名が分からぬという事はあるまい…?」

 小さく溜め息を付いた後、目の前の男が質問を開始する。
 …確かに名ならば、大して迷う事も無く答えられような。

「…殺生丸。」

 遠い記憶にすら既に残っていない幼い頃、不仲だった正妻が産んだ私に父が唯一自ら与えた名だ。

「…信じられぬ事だが…やはりそなたは別の世界からの客人の様だ。この時代の者にしては、そなたの名は随分と長いゆえな。…良い名だが、この時代に生きるには不便だろう。余人のいる場所では短く『殺』とのみ呼ぶことにしよう。」

 余人のいる場所では…?この男は私を何処かに連れて行くつもりなのであろうか。

「私の名は『闘牙』、だ。」

 続いての相手の台詞で背筋に戦慄が走った。
 『闘牙』―――名まで亡き父と同じだなどと…何か悪い夢か、もしくは随分と都合の良い夢でも見ているかの様だ。

「…顔色が悪い。私の名が、そなたの何か嫌な記憶でも呼び起こしてしまったかな?」

 嫌な記憶だなどと…そんな事は無い。ただ…目の前のこの男にどう接したら良いのか、それが分からぬのは事実であった。
 父との共通項を見つける度に、それが父の生まれ変わった姿であるのではないかと期待をしてしまう自分がいる。

「出来る事なら、私の名がそなたの顔を曇らせた訳を教えて貰いたいものだがな。」

 その声は思いの外近くから聞こえて。はっとして顔を上げればいつの間にか相手は私が座すそのすぐ隣へと移動して来ていた。

「その治癒能力の高さといい…そなた『ヒト』ではあるまい…?古にその血がついえたと言われている妖の一族のものか?」

 妖―――確かに私は妖怪だが、それは貴方もではないのか、『闘牙』…父上と同じ名を持つ男よ。
 無言のまま暫く視線を絡ませた後、『闘牙』が苦笑の様なものを浮べた。

「そなたの瞳を見れば答えは察しが付くが…如何せんそなたは随分と口数が少ないのだな。」

 そう言ってそっと私の髪を梳く仕草が又かつての父を思い起こさせる。

「ほら、又…まるで亡霊でも見ているかの様な瞳で私を見る。ああ、それとも…畏れているのか、そなたが目を開いた途端に私が周囲にいた者達を消したから。」

 …違う、畏れてはいない。あちらの世界では命の遣り取りなどいつもの事であったのだから。

「…この、曲は…?」

 意図的に話題を変えれば、誤魔化されてくれた訳では無いだろうが、『闘牙』はあっさりとその視線を楽曲が流れてくる源となっている箱の様なものに移した。

「ああ…手近にあった楽曲をかけていただけだが…そうだな、言うなればラブソング…恋しい相手を想って歌う曲か。」

 恋しい相手を想って歌う曲…この音曲を唇に乗せれば恋しい人が再び戻って来るという訳ではあるまいに。

「そなた…誰か恋しく想う相手でも居るのか。」

 再び問いの矛先を向けられて、動揺が胸を騒がせる。

「いいえ。…もう、居りませぬ。」

 そう、私が何よりも愛した相手はもう失われてしまったから。私自身が黄泉の国へと旅立つまで、二度と再び会い見える事は叶わない。

「…そうか、悪い事を聞いた。」

 初対面では冷酷に見えたこの男に不意に意外な優しさをもって頭をぽんぽんと叩かれて、懐かしさの様なものを憶えてならなかった。
 まるで、父親に甘える幼き子供の様な心地。
 現実には私自身が幼い頃、父がそうして私に構ってくれた事は無かったのだけれど。


[2004/06/09]





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