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落華 * 拾の巻





 私が一瞬はっとする程、記憶にあるものより格段に強くなった手指の力。
 弱まる事無くどんどん強まっていくそれへ、離せと制止をかけてみても、犬夜叉は首を横に振るだけだ。

「離さ…ねえよ…。」

 掠れた声に知らず背筋がびくりと跳ねたのは何故だろう。

「答えるまで離さねえ…何でだよ!?何でいつも俺を…突き放す様なことばっかり…」

 突き放す、か…否定は出来ぬ。
 確かに私は、人の親が子にする様な優しさは与えて来なかったであろうから。半分は異母弟の為に、そしてもう半分は己の自衛の為に。
 だがその理由をそのままに明かす訳にも行くまい。

「…では逆に問おう、そうして私を捕まえておいてどうするつもりだ。」

 曖昧に誤魔化して逃げていると自分でも分かっているが、ふと脳裏に浮かんだ言葉が口から零れるのを止めることが出来なかった。

 …私は、何を尋ねている…?この異母弟に一体何を。
 答えが欲しいのだろうか、例えば―――情に訴え掛ける様な、そんな答えが。

 そんな思考が広がり、思わず自嘲せずにはいられなかった。
 恐らく私と同様にこの異母弟とて、答えに詰るだろう。明確な解答など…返っては来ぬ筈だ。

 犬夜叉の指が、ゆっくりと力を失って行く。
 私の腕にただ触れているだけになったそれからゆっくりと抜け出すのはさして難しい事では無かった。

「っ待てよ。」

 呼び止められても素直に寄り添えぬのは何故なのだろう。
 それでも無視することはせず足だけは止めた所で、犬夜叉が不意に強い調子で声を放った。

「四魂の玉には、別の使い方もあるんだぜ。」

 ―――別の、使い方…一体それは、何のことか。
 何故だか胸騒ぎがした。異母弟が再び口を開いて言葉の続きを口にするまでの数秒が随分と長く思えてならない。
 私から視線を逸らすことなく挑むように見上げて来る瞳が、この心ごと灼き尽くす様だ。

「桔梗の話では、四魂の玉を使って人間になる事も出来るんだってよ。」

 吐き捨てるが如く放られた言葉に、眩暈を起こしそうになる。
 それは、私が告げた言葉。そう、もうずっと昔、私がお前と出逢った頃に私がお前に示してみせた選択肢。
 半妖のお前に、妖怪としての生を選ぶか、人としての生を選ぶかと尋ねたのだった。当時のお前が結果的に妖怪としての生を歩むことになったのは、妖怪である私の他に頼る相手が居なかったから。
 ならば、今は…?

「…人間になるなんて考えた事も無かったが、それも悪くねえかもな。」

 人として生きることを望むというのか。
 そしてお前をそうさせた原因は…きっとその人間の巫女。

「四魂の玉を護っているという人間の巫女を愛したか。」

 声に出すつもりなどなかったのに、気が付けば口から音として流れ出していた確信にも似た疑問だった。

 ―――おかしなことを。
 犬夜叉の母親が世を去った時、私は異母弟が人として生きるならそれでも良いと思っていた筈だ。だというに、今のこの心のざわめきは何だというのだ。

『よりによって人間になるなどと…何をいまさら。』

 例えるならば、父が外に人間の愛人を作ったと初めて知った時にも似た痛みが蘇る。ぶつける場所の無い、理不尽な怒りも。
 それでもその感情はあまりにも不可解で、私はただ胸の奥に渦巻くその闇から目を背けた。

「…達者に暮らせ。」

 もう二度と会うことはあるまい。
 元々私はこの異母弟の傍近く在り過ぎることを恐れたのだから、これで何も問題は無かろう。
 あとはただ…父上がその命を賭して守った命が、幸せであってくれれば良いと、そう願い見守るのが私の役目だ。

 無意識のうちに近付いて額に落とした口付けは、かつて書物で読んだ異国の神の祝福にも似ていた。



 別れを告げたつもりでいた異母弟は、しかし何日も経たぬうちに変わり果てた姿を殺生丸に見せた。
 力なく閉じられた瞳、ぐったりとした四肢、それでも一本の異質な力の篭る矢に胸を射抜かれて大木に繋ぎ止められている。

「…犬夜叉…。」

 呼びかけたとて返ってくる声は無く、ただ空しく風に散っていくだけ。
 それでもそっと指先を伸ばして触れれば生ある者の温もりが伝わり、異母弟が死してはおらぬことを知った。

 封印されたか。
 愚かなことを…心を許したのはお前だけで、人間の巫女はお前を封じる為に四魂の玉をちらつかせただけだったということだろうか。
 それとも、愛した女になら殺されても本望だということか。

 この矢を抜けば封印も解けよう。妖とは正反対の力を持った者が作った封印だ、破ろうとすれば多少の抵抗にはあうだろうが、出来ぬことでは無い。
 そう思いつつ指を伸ばしかけて、迷いが生じた。

 …犬夜叉、お前は私が封印を解くことを望むだろうか。

 見た所、父が竜骨精に仕掛けた程に大きな封印とも思えなかった。しかるべき刻が来ればいずれ解ける…そんな予感が伴うほどに。

 ”今、私が触れるべきではない。”

 それがその時殺生丸が出した結論で。
 人の里に程ほどに近いその場所を時折見舞いながら、彼はそれからの何年もを過ごした。



 人の子の話を遠くに聞けば、異母弟を封じた桔梗という名の巫女も、異母弟と時を同じくして命を落としたのだという。重傷を負って村に戻った彼女は、四魂の玉を胸に抱いたまま炎に包まれて灰となったのだ、と。

 ”―――少し妙ではなかろうか。”

 その話を耳にした時の殺生丸の第一印象はそれであった。
 犬夜叉を封じたのはたった一本の矢。遠距離から放たれる武具であればこそ、異母弟が反撃する機会は無かったに違いない。増して心を許していたというなら尚更のことだ。
 巫女が妖を封印して自ら後追いをしたとも思えぬ。
 ふっと異母弟を封じた矢が脳裏に蘇った。巫女の持つ力に似てはいたが、何かもっと異質なものの様に感じなかったか。

 ”何か、得体の知れぬ第三者が関わっているのかも知れぬ。”

 そうしてその正体を探るものの、靄の様に曖昧なその気配はそうた易くは辿れずに、いつしか五十年もの歳月が流れていた。





◇ 後記 ◇
落華流水シリーズ前編『落華』はこれにて完結です。連載していた四ヶ月半の間、お付き合い頂きましたことに心よりの感謝を。非常に単純に、桔梗様時代が『落華』、かごめ登場後が『流水』となっております。この『落華』のみですと兄弟の心が擦れ違ったまま終わってしまいますが、『流水』では擦れ違いつつも最後には寄り添える様に執筆していくつもりでおります。(個人的に一番書きたかったのは『落華』の最初の方のシーンと、『流水』の中盤以降なので、力を入れて後半に臨みますね(笑))

2005/01/07 Shisui Gagetsu






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