落華 * 八の巻
異母弟と共に過ごした最後の朔の日以来、私は自分でも極端に思える程にあれと会うことを避けた。
『…なあ…傍に居て欲しいんだ。』
ふとした瞬間、耳に蘇る声。
あの時、私はそれが…決して嫌ではなかった…むしろ嬉しく思う感情の揺らぎがあった気さえする。だが…それは絶対の強さを持つべき私の中の、弱い一面…妖怪である誇りに賭けても捨てねばならぬ部分。
あれに何かあれば、この身にはその気配が伝わるだろう。それが無いということは…つつがなく過ごしている筈。
―――大きく、なったろうか。
同じ父の血を受け継いだあの異母弟は、成長したならば一体どんな若者に育つのだろう。
かつてより父に命じられて犬夜叉に仕えていた冥加が何やら考え込む風情でふらふらと宙を飛んでいるのに行き会ったのは、そんな時節。
「…どうかしたのか。」
普段ならば他者の事になど殆ど干渉せず、また関心も持たぬ殺生丸ではあったが、冥加の様子に何やら胸騒ぎを感じて低く声を掛ける。
果たして冥加ははっとした様に視線を上げて此方を見た。
「殺生丸様…お久し振りでございますな。」
無言のままに先を促せば、冥加は僅かに逡巡した後に困った表情を浮べて。
「犬夜叉様でございますが…『四魂の玉』なるものに興味を持っておられる御様子ですじゃ。何でも望みが叶う宝玉と言われておりますが、あれは同時に争いを引き起こす邪悪な玉でもございますから…わしはどうにも心配でこうして案じている所なのです。」
…四魂の玉…風の噂には聞いた事がある。
「…そう簡単に望みを叶える術などありはせぬ、という事か。」
低く呟いた殺生丸の言葉に冥加は小さく肯いて言葉を継いだ。
「今は人間の巫女がその玉を守っている様ですが、犬夜叉様はその人間と随分頻繁にお会いになっているご様子で…。」
―――人間、か。
単なる玉のみの話ならばまだ単純であろうが、人間が関わっているとなると…これは少々厄介な問題と言うべきなのだろう。
粗方の話を聞き終えると、殺生丸は知らず知らずここ何年も追う事の無かった異母弟の匂いを、気配を探し始めた。
己の弱さは、封じられる。
―――だが、取り返しの付かぬ事になってからでは遅いのだ。
かのノミ妖怪の話を聞いてから徐々に大きくなるこの不協和音の如き悪い予感は気のせいでは無い様な気がした。
今宵の月はもう、新月になろうかと言うほどに細い月。朔が近付いているのだ、と其処まで考えた時、ふと思い当たる事がある。
四魂の玉―――どんな願いをも叶える玉。では…あれの願いは何であろう。
数多の妖怪達は強さを手に入れる為にその玉を欲すると言うが…果たしてそれは犬夜叉に於いても同様なのか。
長い間離れていたが故に、私にはそれを察する事が出来ぬ。それなのに突然四魂の玉を求めるのを止めよと言った所で、自立した異母弟が私の言う事に耳を貸すとは限るまい。
僅かな躊躇いが胸を過ぎる間に、己の血の中に濃く流れる妖の血が、探す相手の居場所を知らせた。
まずは気配を消して木々の間を進む。
屋敷を与えはしたが、こうして野に宿を求める方が妖怪の性には合っているのだろう、犬夜叉はこの森の木々の間で夜を越している様だった。
程無く大きく枝分かれした大樹の枝で休む異母弟が目に入って、僅かに大人びたその顔を思わずじっと凝視する。
気配を解き放ってさくり、と歩みを進めるのと、犬夜叉が信じられないものを見るようにその瞳を開けるのが同時。
「な…兄…殺生丸…?」
驚く声が、記憶しているそれよりも格段に低い。
確実に時が流れ、幼子が少年へと成長していった証なのだろう。
そして…そうだ、別れる前に私は名で呼べと言ったのだった。
異母弟の声で自分の名を呼ばれる事に一瞬何とも言えない満足感を感じるのを止められぬ己が少し恐ろしかった。
「四魂の玉を…求めていると聞いた。」
人間の様に要らぬ口上を差し挟むのは好みでは無く、単刀直入に用件を告げる。
何故それを知っているのかと呆気に取られた様な異母弟へ、玉を使ってどんな望みを叶えたいのかと尋ねれば、一旦は何か言葉を飲み込む様にもごもごと口篭った彼は、やがてはっきりとした口調で返事を返して来た。
「…強い力が…半妖じゃなくて、本物の妖怪になれる様な強い力が得たい。」
その様子から、異母弟が求めているものが決して強さだけではない事、そして何らかの理由でその心が酷く不安定になっている事が感じ取れるものの、その原因が何で有るのかまでは知り得ない。
「聞き入れるか否かはお前の自由だが…四魂の玉に手を出すのは止せ。その様な物で強さなど手に入りはせぬ。」
互いの間に暫しの沈黙が落ちる。
「…っ…何でそんな事言うんだよっ!!」
純粋な憤りのままにそんな言葉を発して犬夜叉がその大樹から下りて来たのと、まるで押さえつける様に着物の上から両腕を掴まれたのが同時だった。
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