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落華 * 伍の巻





 ―――これで、良かったのだろうか。

 少し厳し過ぎるのではないかと思わなかった訳では無い。
 だがこのままいつまでも手を差し伸べ続けていたならば…異母弟が自ら強い力を手にする日なぞ永遠に来ぬというだけではなく、己の中の妖怪としての生き様が消えていってしまう様な気がして。
 半分は異母弟の為、残りの半分は認めたくは無いが己の為であった。

 離れる時が、来たのだ。
 元々我らは己独りの力で生きる種族…それは父上がご存命の頃とて変わらなかった。…そう、あまりにも緩やかに流れる時間を異母弟と共に過ごす中で、自分の傍に彼が居るという事がいつの間にか当たり前に思えてしまっていたけれど。

 僅かな恐れが、ふと胸に浮かぶ。

 もしも再び今宵の様にあれが敵に殺されかけている場面に遭遇したなら…?
 いや、独りで生きる力を身に付けさせようというものの完全に放り出すつもりは無く、こうして影から見守らずにはいられないとするならば、そういう事態に陥るのもほぼ必然と言えるだろう。
 その時私は…まるで見知らぬ他人を見る様にあれを見捨てることが出来るというのだろうか。

 ―――父上がその命に代えて助けた忘れ形見の命を…?
 そして私が父から確かに受け継ぎたいと願った意思の向く先を…?

 きっと最後には手を差し伸べてしまうのだと心の何処かで声がする。
 ならば何故突き放す…己から離れさせる様な真似をする…?

 矛盾した思考がかつて無いほどの痛みをもって脳内を占める。
 最近の殺生丸には決して珍しい事では無かったが、彼は大樹の枝に腰掛けたまま唯欠け始めている月を見上げて夜を過ごしたのだった。



 その日から殺生丸が犬夜叉と共に暮らした屋敷へと戻る事は無くなった。

 あの屋敷は…丸ごとすべて異母弟に与えるつもりであったから。
 私と…そしてかつて父の掛けた結界に守られた、それなりに安全な屋敷…それを最も必要とする者があるとすれば、それは私でなく彼だろう、と。

 そうして自身は近くの林の木々を宿りとして、屋敷からそう遠くない場所に。傍に強い妖気があるだけでも、厄介な敵への僅かな牽制になるだろうから。

 一週間も経たぬうちに異母弟は外で生きて行く為の鉄則の様なものをそれなりには学んだ様であった。

 ―――あとは…朔の晩か。まさか朔の夜を外で過ごす様な愚は冒すまいが…。

 その晩は僅かに警戒を強めつつ屋敷を見守っていた殺生丸は、しかしその予想を裏切られる事になる。

 漆黒の髪。
 母親を通じて父から譲り受けたという火鼠の衣を身に纏った、最初に迎えに行った時よりも随分と成長した彼の影が屋敷の裏門から滑り出る。

 ”何をやっている。朔の夜の事、誰にも悟らせるなと言っただろう。それでは自ら触れ回っている様なものだ。”

 傍に居たならば間違いなく浴びせていたであろう叱責を胸にしまいながら自分の今居る場所を動かず、匂いの動きだけで異母弟の行き先を追う。
 最初はただ、木々の間を彷徨っているだけの様であった。けれど…一刻も経たぬ内にその気配は真っ直ぐ此方へと向かって来て。
 すぐさま立ち去るべきか、それとも彼の訪れを此処で迎えるべきか一瞬迷ってやはり立ち去ろうと踵を返しかけた時、思いの外近くから呼び掛けられる。

「待って…行かないで。やっと見つけたのに…朔の晩だから会えるかなと思ってた…。」

 わざわざ危険を冒してまで館を出て来たのは私に会う為だと言うのか。
 私に会って、どうするつもりだった…?あの日ああして突き放してみせたこと、よもや忘れている訳ではあるまいに。

 振り返った瞬間、胸の中に異母弟が飛び込んで来て身体ごと強く抱きつかれる。
 己の腕が行き先を見失って暫く揺れた。

「俺が引き取られてから兄上はずっと厳しかったけど、でも優しかったし…朔の晩だけは俺が甘えても許してくれた。俺は兄上が大好きだったんだ。あの時俺が独りで勝てるだけの強さを身につけていなかったから…兄上はもう俺の事を嫌いになった…?」

 ―――何と、不可解なことを。
 私は…この異母弟に対して好きだの嫌いだのという感情を持ったことなど…無い筈だ。いつだって彼は庇護し、育てる為の対象であったのだから。
 成長するに従って、もうそうせぬ方が良いと思ったから離れただけのこと。

「…屋敷に戻れ。朔の晩には気を付けよと私が言った事、よもや忘れたわけではあるまい。…私も…今宵は屋敷に戻る。」

 機械的に己の声が告げるのと、犬夜叉がそっと私から手を離すのが同時。
 自分も屋敷へ戻ると言った言葉には、話があるのなら屋敷の結界の中で聞いてやろうと暗に意図を含ませて。
 何か言いたい事を飲み込むかの如く犬夜叉が屋敷の方角へ戻って行くのを見送って、自身も空を通って屋敷へと戻った。





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