壷中の天
<2>
「おお、立派な刀を差しとるのう…是非うちの神社の家宝に欲しいもんじゃ」
それが第一声なのか、と犬夜叉もかごめも思わず心の中でつっこみを入れる。台詞を口にした本人はと言えば、神社の蔵に納められていたという怪しげな品々の鑑定に夢中だったのだが、殺生丸の刀に随分と興味を惹かれた様子だ。
「じいちゃん…”家宝”はちょっと無理があるんじゃ…刀は殺生丸のもので、うちのじゃないんだから。」
かごめの祖父は孫娘の言葉に心底残念そうな顔をした。
「!!そうじゃ、草太の嫁に貰おう。そうすればうちの守り刀じゃ、持ち主付きでのう。」
何とも突飛な発想である。しかもかごめの婿ではなく、草太の嫁…妖怪であるという事を全く踏まえていないこのじいちゃんの発言には突っ込みどころが多過ぎて突っ込めない。
「…え?僕のお嫁さん?もうそんな話してるの、じいちゃん。気が早いなあ。」
タイミング良くと言うべきか悪くと言うべきか、丁度後から部屋に入って来た草太に犬夜叉とかごめの顔が強張る。
「い…いや…ちょっとした冗談よねえ、じいちゃん?」
「そっ、そうだよな、殺生丸は男だからな、嫁にはちょっと出来ねえもんな。」
必死のフォローを物ともせず、草太は邪気の無い笑顔を浮べた。
「犬の兄ちゃんの兄ちゃんが僕のお嫁さんになるんだ!?良かったぁ、美人なお嫁さんで。」
かごめも犬夜叉も、つかつかと殺生丸の方へ寄って行く草太の首根っこを掴んでこれ以上話をややこしくするのを止めたかったが、すっと伸ばされた腕が草太の身体ごと膝の上へと攫っていく方が早かった。
「人間の子供、私は妖怪で且つ男だ。…お前の嫁には向かぬ。年頃になったなら己に合った相手を探した方が良い。」
静かで穏やかな口調には、彼らの発言に対して怒った様子は微塵も無い。けれど分かったかと宥める様な殺生丸のその言葉に、草太もその祖父も僅かにがっかりとした様な顔をしつつも、惚れ惚れとした憧れをその表情にのせた。
結果、草太は殺生丸の膝の上に収まり、犬夜叉とかごめは事の成り行きに付いていくのに精一杯だ。
「流石に手馴れてるわねえ、子供の扱いに。りんちゃんの事もああやって膝に座らせてあげたりするのかしら。」
ややあってから妙に感心した様に呟くかごめに、犬夜叉は少し不機嫌そうな顔をした。
「りんってあいつが連れてる人間のガキだろ。ったく、半妖の俺にはあんなに厳しかったくせに、何で人間のガキには優しくしてやるんだよ。」
ぶつぶつと呟かれた言葉は、しかししっかりとかごめ一家の耳に入っていて…勿論それは妖怪として優れた聴力をも持つ兄の耳にも入っただろう。
「「「…ヤキモチ(かのう)…?」」」
見事なまでの三重音声に聞き返されて、犬夜叉は顔を真赤にして手を振り回した。
「うるせえっ、変なこと言ってねえで、お前『てすと』なんじゃなかったのかよ。『勉強』しなくていいのかよっ!!」
この切り返しは思いのほか功を奏した様だった。何しろかごめは勿論、草太の方も近日中に計算と漢字の『てすと』があったのだから。
「…お座りっ!!」
痛い所を突かれてご機嫌斜めのかごめが思わず反射的に叫んだ所で、犬夜叉が畳へとのめり込む音が響いた。
「…ここでやるわ、うるさくて集中出来ないかも知れないけど、私の目の届かない所であんた達兄弟にバトルを繰り広げられるよりはましよね…」
ぶつぶつと呟いたかごめが取り敢えず参考書を持って来ようと自室へ向かい、草太の方もドリルを持って居間に戻って来た。先程から無言のまま座っている殺生丸が気になるのか、かごめと草太の兄弟はちらちらとそちらを見やりつつ、勉強道具を広げる。
犬夜叉は何とも暇そうに畳の上に寝転がりながらその様子を眺めていた。このとんでもなく非日常的な光景が思いの外平和的なのは気のせいだろうか。殺生丸もさしてやる事が無く暇だったのだろう、傍らに陣取って計算を始める草太の持っているドリルをじっと見つめて何事か考え込んでいる様だった。
「おい殺生丸、てめえ、そんなの見て分かるのかよ。」
数分間じっとそのドリルを見続ける兄へからかいを含んだ声音で犬夜叉がそう尋ねた時、殺生丸は忙しく視線を上下左右にと動かしていて、一瞬異母弟の言葉への反応が遅れた。
「…どうした、犬夜叉。」
この兄が聞き返して来るなど何とも珍しい事で。その分兄は草太の持っていた『どりる』に興味を示していたという事なのだろう。
「…いや、そんなの見て分かんのかと思って。」
兄から返って来た何の敵意も無い反応に少々拍子抜けしながらも犬夜叉が繰り返すと、殺生丸は僅かに首を傾げた。
「…この世界にしか無い記号だ、初めは分からぬ。だが規則がある記号の様だから…じっと見ていればその規則が見えて来るゆえ、全く分からぬという事は無い。…いくつか規則に外れた例外もある様だが。」
殺生丸のその言葉に、又もや居間に居た全員の視線が集まる。
「殺生丸…何ていうか、流石よね…。もしかして、その例外って…。」
ぼそりと呟いたかごめの声に、草太が僅かに慌てた顔をして。
「…草太が間違えた所じゃろ。」
じいちゃんが妙にはっきりとその言葉を口にした。
何処、と鉛筆を握りなおす草太に殺生丸はその尖った爪の先で幾つかの箇所を指し示し、他の面々はその様子を感嘆の思いで見つめる。
「凄いわ…犬夜叉、あんたのお兄さん、現代で欲しいお兄ちゃんナンバーワンかも知れないわよ。」
目をきらきらさせてそう言うかごめへ、『なんばーわんって何だよ』と呟きながら犬夜叉は幾分不機嫌そうだ。かごめはそれをものともせずに脇に積んであった自分の参考書のうちの何冊かを抜き取り、どさりと殺生丸の前に置いた。
「殺生丸、どうせこっちに居る間は暇でしょ?気が向いたら是非これを読んでみてよ。それで分かったら是非ともあたしの試験勉強を手伝って!!」
何とも強引なかごめに普段の殺生丸なら眉を寄せる所だろうが、今はどうやら目の前の書物に僅かなりとも興味を挽かれたらしく、その頁を繰り始めた。
小半刻が経って、『ごはんよー』という何とも間延びした声と共にかごめの母が皆を食堂へと呼んだ。人数が多い事もあって、食卓は随分と賑やかだ。
「草太、何考え込んでるの?」
「あ、姉ちゃん。いや、『犬の兄ちゃんの兄ちゃん』って、呼びにくいなあと思ってさ。」
「な、成る程ねえ…確かに呼び辛いかもねえ…」
「うーんと…よしっ、これからは殺兄ちゃんって呼ぶからね!!」
え…?
犬夜叉がびくりとして兄の方を眺めやる傍らではかごめと草太の兄弟がこんな会話を繰り広げ、台所からもう一皿を持って戻って来たかごめの母親はそれを小皿に取り分けながら次の言葉を発した。
「疲れちゃったかしら、殺ちゃん。」
この母にしてあの息子あり…しかも殺生丸には何の断りも無しかよっ?
…犬夜叉がそんな風に思った事は本人しか知る由もない。
そうしてこの日が奇しくも…兄が何か食べ物を口に運んでいる姿を犬夜叉が見た最初の日であった。
2004/08/16 Shisui Gagetsu
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