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月影の下で





 何と無く予感を感じて。人気の無い裏山へと分け入って、白銀の姿を見つけた。

「…何故此処にいる。」

 弥勒の方を振り返りもせずに、気配だけでその存在を知った妖が一番に問い掛けた言葉はそれであった。

「満ちた月を見ていたら…思い出さずにはいられなかったのです、先月のこの晩に、この場所で兄上殿と共に月を眺めた事を。」

 後姿をじっと見つめながら、発する言の葉に想いを込める。

「…それで、来たと?」

 意外そうに短く返されて、ええ、と頷きながら妖と肩を並べる。

「しかし驚きましたなあ、まさか兄上殿と今宵も共に月見が出来るとは思いませんでした。」

 互いに戦場に身を置く者。守らねばならぬ者も持つ身で、こうして余人を交えずに会える機会は本当に稀少であった。
 今夜はずっと此処に居られるのですか、と少々間の抜けた問いを発してみれば、妖の金色の視線が弥勒を映す。

「貴様こそ、この様な月の晩には女を口説くのに忙しいのではないか?」

 いつもの無表情のまま、何の気はなしに返されて、苦笑する。
 私がいつも道行く女子達に戯れを仕掛けて僅かな楽しみを得ていると、この妖は何時の間に知ったのであろうか。この言葉を発したのがどこぞの女子であれば、嫉妬して下さっているのですか、と軽口で返す所だが、相手がこの大妖ではそういうわけでも無さそうだ。

「意外でしたな、まさか貴方にまでその様な風評が伝わっていたとは。…別にあれに深い意味はありませんよ、本当に欲しいと想う方は他におりますから。」

 思いがけず真面目な返答が返って来た事に驚いたのか、妖の視線が一瞬弥勒の顔を掠めて、またすぐに逸らされる。

「ならば…他の者に余計な事はせぬことだ。後々要らぬ諍いを起こす事は目に見えている。」

 …どうしたのだろう、普段彼はこんなに饒舌では無い。

「今宵は…少しいつもと違われますな…?」

 そうかも知れぬ、と妖が低く呟いたのと、風がざあっと吹いて白銀の髪が月光を反射しながら美しくたなびいたのが同時であった。
 そうして月を見据えたまま黙り込んでしまった相手の背は、どこか他人が立ち入る事を拒絶している様にも見えて、それ以上近づけずに。

「…心を何処か遠くに飛ばしておられる。」

 そう呟くのがやっとであった。

 もう何度目かの逢瀬。
 それでも、かの妖と自分との距離は変わらない。

 彼の雪の様な肌に触れた事が無い、という訳ではないけれど。それはただの戯れとして触れ、すぐに離れる事を許されたのであって、それ以上を許されている訳ではなかった。

 そう、今も。此方に背を向けて立つ妖の手を取りながらこんな言葉を掛けるしか出来ない。

「望月の晩はあまり好きではない。…いらぬ事を思い出す。」

 長い沈黙の後、ぽつりと、だが明瞭な発音でそんな事を呟かれて。
 恐る恐る、その理由を尋ねてみる。

「…いらぬ、事とは…?」

 向けられる静かな視線。不意に妖の口角がゆっくりと上がる。

「ふっ、知りたいか?」

 ああ、この方は。…こんな表情もなさるのだ…。こんな、見る者を誘惑するような、そしてとても妖艶な微笑も。
 少し迷ってから、ええ、と頷くと、視線がついと離れていく。

「…やめておけ、…知らぬ方が良い事もある。」

 それきりまるで自分と会話する事に興味を失ってしまったかの様な大妖。彼が語りかけるのは、ただ、遠く輝くあの月に向けてばかりなのだろうか。
 そんな事実が、どうしようもなく淋しくて、悔しくて。
 思わず物言わぬ妖の背をかき抱いた。

「…どうした、法師。」

 妖が微かな抵抗をするのが、触れ合った部分を通じてぼんやりと知れる。

「お嫌ならば、この身を切り裂いてお避けになって下さい…。」

 何と無く、切り裂かれる事はないだろう、と勘が告げていた。
 かごめなどは『犬夜叉の兄は冷酷無比な男』と思っているようだったが、この妖は、無益な殺生は好まない。

 果たして、殺生丸がその毒を注ぎ込む力を持つ右腕を上げる事は無く。代わりに、かき抱いた身体からふっと力が抜けた。

「何がしたい、貴様は…。飽きもせずに私の前に現れるのは、この身体の味を試してみたいからか。」

 色欲等とは無縁に見えるこの妖怪の口から、思いもかけぬ言葉が紡がれる。

「…もし、私がそうだと頷いたなら、貴方は受け入れて下さるのですか?」

 かき抱いたままの相手の背を離す事無く問い掛ければ、再び奇妙な沈黙が辺りを支配する。

「他を当たれ、と言いたい所だが…そんなに妖の身体を抱く事に興味があるのなら、一度くらい相手はしてやろう。…だが、それを境に二度とこの様に私の前には現れるな。」

 つまり会い見える機会は戦場のみになってしまう、という事ですか。それも、殺し合うだけの相手として。

 思わず相手を抱きこんでいた両腕を緩める。
 拘束を解かれた殺生丸がゆっくりと弥勒の方に振り返った。

「…貴方は…」

 言い掛けた弥勒の台詞は、最後まで形になる事叶わずに宙に吸い込まれる。

 どうしてその様な事をおっしゃるのですか。
 こうして貴方と会うことが出来たのは、少なからず貴方も私との逢瀬を許容して下さっていたからではなかったのですか。
 そして何より…貴方は一夜限りの相手の為に、その身を差し出されると仰るのですか。

 胸の中に色々な問いが渦巻いてならない。

「…教えてやろう、法師。私の母であった女はな、妖力だけは強い女妖怪であったが、父に愛される事が出来ず、尚且つ、 人間であった犬夜叉の母がその寵愛を得たのを知って、嫉妬に狂って死んだのだ。」

 当惑したままの弥勒に、殺生丸がぽつりと掛けたのは、そんな言葉。

「哀れな末路ではあったが…私はそういう女の腹から生まれた。貴様が私に何を夢見ていたか知らぬが。夢ならば、早く醒めた方が懸命というものであろう。」

 そうして貴方は、その夢を打ち砕いて見せて下されたという訳なのですか。
 でも、それならば。貴方のその瞳に浮かぶ切ないような哀しい色は一体何なのです…?

「兄上殿…確かに貴方のその美しいお体に欲情しなかったと言えば嘘になりますが…私の本当の望みは、貴方の心も共に得る事です。ですから、例え貴方が嫌だと仰っても…私は又貴方に会いに参ります。」

 普段は飄々とした色しか浮かべぬ瞳に真摯な色を込めて弥勒が告げた言葉に、殺生丸はふっと静かに唇の端を上げた。

「…来い。…土の上で抱かれてやる趣味は無い。」



 妖が入って行ったのは、古い、しかし人の手がこまめに加えられているのだと知れる小さな堂の中であった。
 木造のその床に、月の光が静かに映る。

 弥勒がそっと伸ばした腕は、すべらかな肌に吸い込まれるようで。宜しいのですか、と小声で尋ねた言葉には、一々聞くな、うつけ者、と押し殺された声が返って来た。

 傷つける事が無い様に、丁寧にその身体を開いていく。
 殺生丸は嬌声を上げる事はしなかったが、夜の静寂の中艶やかに乱れていく息遣いは他のどんな物よりも弥勒を煽った。

「お慕い、致しております」

 耳許で囁いた言葉に返事が返って来る事は無かったけれども。昇りつめる直前に、その隻腕がそっと背に回された事が嬉しかった。



 夜が、明ければ。まるで昨晩の記憶が夢であったかのように、愛した妖は堂の中からかき消えていて。
 思わず辺りを見渡した弥勒を、微かな残り香が包んだ。

 ―――それは、彼が確かにこの腕の中にあったという証。
 昨夜の言葉が嘘でないのなら、私を捕まえてみせるがいい、と挑発された様な気がした。



◇ 後記 ◇
 弥殺創作の第二作。犬夜叉斬番600を踏んで下さった花園様のリクエスト、『切な系儚な系SSで”ちょっともぞもぞする様な///』から書かせて頂きました。幼い頃の記憶が原因で、愛や恋といったものに対して踏み出せない、そんな気持ちがコンセプトとなっております。

2003/11/27 Shisui Gagetsu






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