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雪原





「わあ…お日様に雪がきらきら反射してすごく綺麗だね。」

 感嘆の声を上げるのは、さくり、さくりと雪を踏む妖が初めて天生牙にて生き返らせた少女。
 白銀の雪原に、空だけが澄み渡って晴れたある冬の日の事であった。

「…でも、こんなにお日様が照っていたら、雪、溶けちゃうのかなあ…。折角、凄く…綺麗なのに…。」

 残念そうにそう言うりんに、邪見が『雪などまたいくらでも降るわ。』と宥めている。

「ええーっ、でも邪見様はこの雪が融けちゃうの、勿体無いと思わないの?」

 尚もそう言い募る幼子に、年老いた小妖は『思わん』とげんなりとした返事。

「…りん。雪が降るのも、こうして積もるのも。…やがて融けていくのも自然の理だ。季節が巡れば又同じ様に雪野原を目にする事もあろう。」

 見かねた殺生丸がぽつりとそう呟けば、口論していた二人は一斉に静かになって主を見つめた。邪見は助かった、という顔で、そしてりんは純粋に主が言葉を掛けてくれた事を喜んで。

「はいっ、殺生丸様。」

 ―――殺生丸様を初めて見た時、何故だか脳裏に雪のイメージが浮かんだけれど。殺生丸様は強いから、ある日突然りんの前からいなくなってしまわれたりは、しないよね…?

 元気に返事をした後に幼い子が自分に小さく問い掛けた言葉がかの大妖の耳に届いたのか否か、知る者は誰もいない。



 陽が沈んで、相変わらずきんと晴れ渡った空を、月や星が彩る頃。
 りんに邪見と阿吽を付けて近くの森で休ませ、殺生丸は再び昼間の雪原に佇んでいた。

 そうして、その光を反射して白銀に輝く姿を少し離れた場所から見つめる来訪者が一人。

 ―――殺生丸…怖いぐらいに雪と月光とにとけこんでいやがる―――。

 かつて幼い頃は兄上と呼び慕った相手は、いつの頃からかこんなにも遠い存在だ。敵対し、自分の命を守る為とは言え、俺はあいつの左腕を切り落としてしまった。

 あんなにも強い兄が、あっさりと自分に左腕を斬られ、風の傷を打たれて見せたのは…単に彼が油断していたから、という理由ではない様な気がするのは俺の思い上がりか?
 彼がその身を以てして、俺に戦い方を教えてくれたのだと思うのは。

「其処にいるのだろう、犬夜叉。…この様な刻に、何をしている…?」

 此方に背を向けていた筈の相手から、風に乗って低く声が届き。犬夜叉は慌ててはっと現実に立ち返った。

「…別に、何にもしてねえ。何となく夜眠れなかったから、散歩代わりにふらついてたらてめえが居ただけだ、殺生丸。」

 何でもないようにそう返せば、殺生丸はそうか、と呟いたきり再び沈黙に戻る。

「なあ、追い返さねえのか?」

 それっきり自分から興味を失ってしまったかのような兄に、犬夜叉は焦れた様に声を掛ける。
 好意は諦めなければならないとしても、敵意位は向けて欲しい。”無関心”は最も敬遠すべき感情だから。

「何だ、追い返して欲しいのか。」

 優しい声音ではなかった、いつものように無表情な声ではあったけれど、紛れも無く彼が自分を気に掛けてくれていた証。

「んなわけないだろ。」

 答える自分の言葉はとんでもなく間の抜けた物だったけれども。

「ならば黙って雪見でもしていろ。」

 兄が放って来た言葉は、寒い雪の夜に不思議な温かさをもたらすものであった。

 今なら嫌がられないかな、と思って、佇む相手に一歩一歩近付いて行く。
 その間兄はずっと身動き一つせず。ただ、月光を浴びていた。

 いいのかよ、あと三歩ですぐその隣まで行けちまうぞ?

 それでも全く動かぬ相手に、犬夜叉もそれ以上は近付き難かった。

「なあ、殺生丸。…お前、本当に俺の事を殺したいのか?」

 心の中だけで呟いたつもりだった。…でも、思わず音声に乗せて口から送り出してしまった疑問。

「…さあ、どうだろうな。そうだと思えばそうとも取れようし、違うと思えばそうとも取れよう。」

 無視されるかと思っていたけれど、そうではなく。返って来たのはそんな謎掛けであった。
 兄の言葉の意味がうまく汲み取れず、犬夜叉の忍耐の糸が切れる。

「だあっ!!そんな回りくどいこと言われても俺には分かんねえんだよっ!肯定か、否定か、どっちかにしろよ!」

 夜の雪原に叫び声がこ木霊して。

「相変わらず短気な奴だ。」

 此方を向いた兄の口の端がほんの少しだけ上がっているのが見て取れる。

「生き物の心が一つの要素だけで成り立っているのではないと理解できる様になったら…いずれお前にも答えが分かろう。」

 又もや謎掛けの様な言葉を残して、兄は音も立てずに踵を返す。

「待てよ。…取り敢えず、今殺す気はねえんだろ。なら、こんな雪の日くらい、此処に居てもばちはあたんねえんじゃないか?いくらお前が『忙しい』と言っても、もう夜だしよ。…どうせ、眠らねえだろ?」

 思わず呼び止めた犬夜叉の視線の先で、兄はふわりと足を止めた。

「…ほう。少しは成長した、というわけか。」

 そう言って自らの纏う毛皮の上に優雅に腰を下ろした兄と共に初めて見た一面の銀世界は、しんと心に染み透るようだった。



「なあ、朝が来て陽が昇ったら…融けちまうんだな。…こんなに、綺麗なのに。」

 融けて消えてしまうのは、滅多に無い兄と過ごすこの時間も同じ。このまま時を止めてしまえたらどんなに良いだろう。

 ふと、すぐ側で兄が微かな笑い声を喉から漏らす。

「…りんと同じ様な事を言う。」

 …あのガキと一緒かよ。
 兄にこんな笑いを浮かべさせる幼女の事を思い出して心なしかむっとする。

「で?あのガキには何て言ったんだよ。」

 不機嫌そうな犬夜叉の様子を見て、殺生丸は又僅かに笑みを浮かべた。

「自然の理だ、季節の巡りを待て、と。」

「そうかよ。」

 この兄らしい慰め方だと思う。
 きっとこの言葉で幼女の憂い顔は満面の笑みに変わったのだろう。



 殺生丸は…何処か雪に似てるよな。
 …風にも似てる。

 なあ。
 跡形も無く融けて消えてしまう雪は。
 気まぐれに通り過ぎてもう戻ってこない風は。
 残された者の事を少しでも心に記憶しているのかな。



 考えに沈んでしまった犬夜叉の頭を、風の様に何かが撫でた。
 はっとして見上げても、其処にはもう何も無くて。

「沈んだ顔をするな、お前には似合わぬ。…と父上が見たら仰るに違いない。」

 先程見た時と僅かに違う位置に座した兄がじっと己の隻腕を見つめていた。




◇ 後記 ◇
 指輪ジャンルの時代から御世話になっておりました、『CAROL×2』の奈月ゆう様から個人的に拝領したイラストに添えさせて頂いた犬兄弟です。数年経った今読み返してみると、当時の私の殺生丸理想像が書き綴られている気がしたり(笑)

2003/12/13 Shisui Gagetsu






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