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檻 -ORI- [前編]


 罠を仕掛けよう、望むものがこの手に堕ちて来る様に。
 冷酷な男と言われても構いはしない、あの存在ならばきっとこの渇きを癒してくれよう。そう、私と同じく孤独であった筈の異母弟に、ああして笑顔を与えたのと同様に。


 異母弟・九郎義経の源平合戦に於ける活躍は凄まじかった。兄上、と投げ掛けられる瞳は変わらない真っ直ぐなもの…それでも異母弟の力にどこか恐ろしさの様なものを感じ始めたのは否めない。
 天空に二つの太陽は並び立たぬ、源氏の家も然り。ならば滅ぼしてしまおうか…これ以上この心の孤独を思い知らされる前に、あの弟を。
 それに最も適した時期はいつだろうか…それはきっと平家とのこの長きに渡る戦の決着が付いたその瞬間。

「貴方。手をお下しになるのなら、この私にお任せ下さいませね。」

 華の様な笑顔を浮べて、いつの間にか傍へ来ていた政子が言う。もう随分と長く盟友の様にして付き合ってきた女だが、この女には己と同じ孤独な匂いを感じた。

「…ああ、その時が来たなら…な。」

 ふっと微笑って応えた台詞に、政子の紅い唇が邪悪に笑んだ。


 そうして時は移ろい、早馬が次々と進軍の様子を伝えて来る頃。頼朝は戦地に居る手駒である景時に伝令を、そして監視役として政子を送ることになる。

「ふふ、生かして捕らえるんですの?…まあ宜しいですわ、生きたまま翼をもがれた鳥の絶望は死んだ鳥のそれよりも大きいと申しますものね。」

 そんな言葉を残して発った政子と弟の一行の帰還を、鎌倉に腰を据えたままひたすらに待った。そう、美しい小鳥が手の内に入る瞬間を。




 長きに渡る戦が終結を迎えたのは、青すぎるほどの晴れた空の下。平家の将は皆生け捕りにして詮議に送れという鎌倉からの命令に反して、数名の将は自ら海の藻屑と消えた。

「まずいですね。」

 小さく呟いた弁慶の言葉に、九郎が苦しげな瞳で振り返る。

「…ああ。兄上の命令通りにすることが出来なかった。きっとお怒りになるだろう。」

 それでも九郎が導いた圧倒的な勝利なのだから、と慰める暇も無く、頼朝の妻である女の姿が視界の端に映った。

「政子様。」

 楽しんでいる様な笑みを浮かべた彼女に従順に礼を取ってみせる九郎の姿は、弁慶の心に波紋と不安を呼び起こす。

 ―――隙を見せてはいけない。九郎、君の戦いはこれからの様ですよ。

 心の中でそう念じた瞬間、政子の視線が弁慶の方へと廻って来た。

「鎌倉殿が九郎の一行を謀反の疑いで取り調べる様にと仰せですわ。さあ景時…あの方のご命令は覚えていますわね?」

 謀反。ああして兄に尽くし続ける九郎に限ってあり得ぬ行動。それでもそうして疑いをかけるのは、鎌倉殿の明らかな作為であろう。そして今ここでどんなに抗ったとしても、その手から逃れる事は出来ない。
 政子の言葉に苦しげな顔をしつつ景時が立ち上がるのを、何か酷くゆっくりした映像として捉えた。縄を掛けられて馬に乗せられ、打ちひしがれた様子の九郎に掛ける言葉も無い。

 ―――鎌倉殿。九郎は貴方の座を脅かすことなど考えてはいません。九郎は…異世界からこの地に現れた白龍の神子と漸く絆を結んだ所だったのです。きっと戦が終わったなら二人で平穏に過ごすことを望む筈…それなのに貴方は九郎にそんな事すら許すまいと仰るのですか。

 心に湧き起こるのは憤りか、哀しみか。誰よりも大切に想ってきた九郎がこうして苦しむのを見ていられなかった。
 ああ、出来うることならば、この身を盾にしても守るのに。己が九郎の一番になることはもうなくとも、彼のこれからの人生の礎くらいにはなれる、それだけで満足なのに。


 鎌倉までの道々、放り込まれた牢は完全な独房。

「ほほほ、お悩みのご様子…鎌倉殿が内密に貴方をお呼びですわよ、弁慶。」

 夜半、不意に現れた政子の姿にはっと顔を上げる。
 鎌倉殿が密談を持ちかけて来るなど…その真意は計り知れないが、考えようによっては又とない機会であった。何とかして突破口を作れれば良い…そう心に決めて腰を上げる。

「行く気になったようですわね。…見張りの者に送らせますわ、夜の内に先に鎌倉へ御発ちなさい。」

 手首は後ろ手に縛られたまま、そして脇を固める護衛は六人、武器は随分前に取り上げられたきりで懐に隠してある懐刀のみであるとすれば、ここで下手な行動はせぬ方が得策というものだった。
 夜通し馬で駆けて、朝日が山の端に昇るのを見た頃、漸く鎌倉の外れに着く。睡眠すらずっと取っていない筈なのに、不思議と頭は冴え渡っている。

「湯浴みをして奥殿へ来るようにとの仰せです、仕度を急がれる様に。」

 源氏の御殿に着くや否や、身柄を引き取りに出迎えた御家人にそう告げられて、よもや、と思い当たる事があった。これでも長い事寺に籍を置いていた身…権威ある男が他の男を組み敷くというその行為がさして珍しい事だとは思わぬけれど。

”九郎…。”

 心の中で、今は離れている親友に呼び掛ける。
 自尊心などかなぐり捨てて遊び女の様に頼朝に媚を売ってもいい、ひっそりと愛しく想い続けた彼の人の命さえ救えるというのなら。
 自らにそう言い聞かせる様にして踏み出した足取りは、それでもやはり重く縺れていた。

 手は拘束されたまま湯で身体を清められて、白い装束を着せ掛けられた後に鎌倉殿の自室へと連れて行かれる。

「…来たか。」

 昼間でも不気味なまでに薄暗いその室内から発せられたのは、九郎の兄である男の低い声。

「随分大人しく従った様だな。策士のお前が私の誘いに応じて抵抗もせずに此処へ来た…何か狙いがあろう?」

 何と答えたものかと戸口に立ち尽くす弁慶に、頼朝は手振りで入室を促す。

「まわりくどいのは好かぬ。…取引だ、お前が私の望みを叶えるというならば、私もお前の望みを叶えよう。」

 ―――意外だ。もっと有無を言わさず虜囚としての辱めを受けるのかと思っていた。それなのに取引とは…まるで此方にも同意を求めている様。

「…九郎の命を…いいえ、共に戦いし仲間達皆の命をお助け下さるというならば。」

 低く、しかしはっきりと告げた言葉には暫しの沈黙。それに続いて咽喉の奥から発せられた小さな笑いが部屋に響いた。

「ふ…中々に欲が深い。代価は高いが…厭うまいな…?」

 ”欲が深い”…否定は出来まい。それでも頼朝の言葉は彼がその条件を容れたことを示していた。

「私に従え…どんな時も逆らうこと無く身をまかせよ。お前が私の捕われ人でいる限り、そしてあの者達が私に楯つかぬ限り、奴らの命は保証しよう。」

 その言葉を最後に、静かな足取りで此方に近付いて来た頼朝の手が、腰に装束を留めていた帯へと掛けられる。





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