神久夜 -KAGUYA- [02]
一つの寝具に背を向け合う様にして横たわった夜半、灯りを吹き消してから半刻もせぬ内に後ろからはヒノエの規則的な寝息が聞こえて来た。ヒノエの若さのせいもあるのだろうが、度重なる熊野との往復で疲れているのだろうかと少し気遣わしく思った時、背後で寝返りを打つ気配を感じたのも束の間、次の瞬間には腰元をヒノエの腕に引き寄せられていて。
「…ねえ。」
囁く声は耳のすぐ近く。兄のものとは異なる音質であるのに、ずっと昔に聞いた兄の吐息の如き声音を思い出してしまうのは、やはり彼らが親子であるが故なのか。
「眠らないの?それとも、ここに俺が居るんじゃ眠れない…?」
悪戯っぽく囁かれた言葉に直接は答えずに、『離して下さい』と小さく抗うも、ヒノエの腕は緩みはせずに。
「こっち向いてよ。」
肩を支点に身体ごとくるりと回転させられて、暗闇の中とはいえ間近に甥の顔を見つめることになる。
「…どうしたんです、君はもう休んだのかと思っていたのに。」
沈黙が怖くて発した言葉だったのに、『嘘寝入りだよ』と一言発したまま、ヒノエはその瞳でじっと此方を捉えるばかりだ。その姿が又もや遠い昔の面影とかぶりそうになって思わず目を伏せた所で、それを許さぬとばかりに強く顎を掴まれた。
「俺を見ていられないのは、俺を見てると誰かさんを思い出すから?」
あまりにも的を突いた言葉。…そんな事すら、もう気付いてしまっているというのか。否定は出来ず、増して肯くことも出来ず、やりきれない気持ちになった所で、ふっとヒノエを取り巻く空気が柔らかいものに変わった。
「…困らせてごめん。ねえ、俺がずっと小さい頃はさ…良くあんたの所に潜り込んで眠ってただろ…?あん時と同じだと思って、余計な事は考えずに今は眠りなよ。」
―――同じでは、有り得ない。あの時まで後戻りするにはあまりにも多くの年月を、そして業を重ねて来てしまったから。
それでもそれを分かっていてこう言ってくれるのは、ヒノエの優しさなのだろう。再び寝返りを打つことなく、ヒノエの方へ顔を向けたままゆっくりと瞳を閉じると、今は解いている髪をしなやかな指にさらりと梳かれた。
「…ねえ、夢の中で聞きなよ…?返事はしなくていい。熊野に戻って来いよ…俺や死んだお袋に遠慮してるならそんな心配は無用だからさ。もしまだ親父が好きなら…傍に行ってやればいい、親父もずっとあんたを待ってる。…俺がこんなこと言うの、あんたが好きだからだって、覚えといてよ。」
閉じた瞼の下で涙ぐみそうになった時、更に近くへと引き寄せられて頭を強く抱かれた。
普段の習慣のせいか、翌朝はやはり早い時刻に目が覚めた。手水を済ませ、頼まれていた薬を二・三調合し終えた所へ、やはり目覚めて身支度を整えたらしいヒノエが顔を出した。
「おはよ。…ねえ、朝飯、ご馳走してくれるだろ。」
大したものは作れませんよ、と言いつつも腰を上げれば、ヒノエは炉辺に腰を下ろしてぱちぱちと爆ぜる薪を見つめている。彼の深い朱色の髪と焔の色が美しい調和を示しつつ其処にあった。
「昨日は言いそびれたけど…平家の怨霊が益々力を増して来てるって…?」
投げ掛けられた問いに是、と肯く。怨霊の正体、浄化の方法などについて長年色々な場所で調べては来たけれど、未だ実用的な答えは得られないままだった。
「京の情勢は熊野としても無関係って訳には行かないからさ、これからは俺もこっちで様子を見ることが多くなる。…平家の政策と街の人の声の両方が掴める場所がいいから…六波羅あたりに潜もうかと思ってるんだけどね。」
ヒノエの言う事も一理あった。そもそも熊野の血縁者である己がこうして京で薬師をする傍ら調べ物を続けているのも京の情勢をいち早く掴む為なのだが、自身ではろくに熊野に戻らない己が動くよりも若頭領であるヒノエ自身が動いた方が確実だろう。
「…そうですか。僕の方でも掴んだ情報があれば君にお知らせしますよ。何か困ったことがあったら…何時でも僕を頼って来て下さいね。」
子供扱いするなよ、と軽く口を尖らせたヒノエだったが、普段の様な憎まれ口で返してくることは無かった。
疲労回復の効用もある薬草を香料として僅かに入れた粥に軽く味付けして漬物を添えて出し、二人して朝餉を済ませた所で、外から来客を告げる声があった。
「弁慶、居るか?」
それは幾年か前に出会ってから交友関係にあった清和源氏の子孫である少年。ヒノエよりは幾つか齢が上だが、当時己は彼のあまりの率直さに驚いたものだった。
「九郎。朝早くから、どうしたんです?」
待っている様にとヒノエに告げて一旦庭先へ出て九郎を呼び入れれば、「兄上から文が届いたんだ」と嬉しそうな笑顔が返って来た。
「鎌倉殿は何と…?」
「挙兵する時に備えて、信頼出来る人脈を作っておけと仰せだった。」
そんな会話をしながら部屋に戻ると、ヒノエのどこか面白がっている様な視線にぶつかる。
「ヒノエと言うんですよ、僕の甥です。昨晩訪ねて来て、昨日は此処に泊まったので。それからヒノエ、彼が源九郎義経…君なら分かりますね。」
弁慶が初対面である二人を紹介したのもそこそこに、ヒノエが好戦的な笑みで九郎に語り掛けた。
「聞こえてたよ。…ねえ、”信頼出来る人脈”の一員として俺の叔父貴も入ってたりする訳…?」
初対面の相手に宜しくと挨拶するでもないヒノエの口調にむっとしたものの、自分より年下の者が言う事だから、と九郎はぐっとこらえる様子。そしてヒノエの問い掛けた内容は全く外れでも無い様だった。
「その事だが…」
”弁慶、力を貸してくれないか”とそう言う九郎を遮る様に、ふっと微笑む。
「少しだけ考えさせて下さい、九郎。…勿論、大切な友人である君の力になるのはやぶさかではありませんよ。」
初めの印象は今一つだったのかも知れないが、九郎とヒノエは気が合わないわけでも無い様で、暫く話をした後にそれぞれ昼前には何処かへ出掛けて行ったのだった。
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