留守居

-『闘月』斬番伍千打御礼 薫様 江-



それは、いつもと変わらぬ少し天気の悪い明け方の事であった。
父の寝所で目を覚まし、日の出前に自室に戻ろうとそっと起き上がった殺生丸を強い眩暈が襲って。
それでもゆっくりと立ち上がろうとした所で、意識が途切れて、次に気がついた時には上から心配そうに父親に見下ろされていた。
ちらりと視線を横に流せば、閉じた障子から微かに差し込む陽光が眩しい。

「…気がついたか。」

ほっとした様に微笑む父にどれくらい意識を失っていたのか、と問えば一刻程だという。
慌てて身を起こそうとして、肩口を父にしっかと押さえられた。

「そのまま寝ていろ。…突然倒れるから驚いた。」

申し訳ございません、と頭を垂れる殺生丸に、父王は優しい笑顔を返した。

「いや…お前くらいの年齢の頃には良くある事だ。大丈夫か?
毎晩毎晩無理をさせすぎているのかと反省したのだがな。」

最後の方は冗談めかしてそんな事を言う。
果たして殺生丸は父王の予想通り、その頬を見事な朱に染めたのだった。

そのまま普段通りの一日が始まるかに見えた早朝の数刻は、だが廊下から呼びかける強張った声に寄って破られる事となる。

「御屋形、緊急の事態でございます。
出城から伝令が戻り、北の部族が反乱を起こしたと…。
ご存知の通り北の蛮賊の武力は侮れません、兵を送るならばそれなりの人選をせねばなりませんが…」

そこまで語って言い辛そうに口ごもった側近に、闘牙王がどうしたのか、と声を掛けた。

「間者が食事に毒を盛ったらしく、将の殆どが体調を崩して出陣出来ぬと使いを寄越しました。」

其処まで聞いた後の闘牙王の決断は早く、一瞬の後には『私が出る』と判断を下して。

「すぐに行く故、仕度をしておけ。」

主の命を受けて扉の向こうの影が早足で場を去った。




「厄介な事になったが…出陣せざるを得まい。
…あの部族は何度話し合いの場を持っても、約を守ろうとせぬからな。
―――――依りによってお前の具合が悪い時に傍についていてやれずに済まぬが…。」

緊迫した空気をその表情に乗せて振り返る父に、しかし殺生丸は緩く首を振って身を起こした。

「大丈夫です、一瞬眩暈がしただけでございます故、今はもう大事ございませぬ。私にもお供させて下さいませ、父上のお役に立ちたいのです。」

まっすぐに見上げて来る視線に優しい笑みを返しつつも、父王はそれは駄目だ、と首を振る。

「お前の気持ちは嬉しいし、その妖力も頼りになるが、此度は館で休んでおれ。
万が一戦の途中でお前が倒れてしまったら…私は死んでも死にきれぬ故。」

ですが、と反論し掛ける息子を口付けで封じておいて『良いな?』と念を押す彼に、殺生丸もそれ以上言葉を接ぐ事は出来なかった。




「御武運を」

かつて出陣する父の背中を見送るしか出来なかった頃に小さく呟いたのと同じ台詞を告げて。
目の前で本性に姿を変え、旋風の如く出陣して行く父王を送り出した時、又も小さな眩暈を感じて殺生丸は柱へと身を預けた。

―――――朝方ほどに強くは無い。
放っておけば治るだろう…。

そんな事を思いながらその場所へと腰を下ろす。
今の自分では尊敬する父の心配の種にしかなれないかも知れないけれど…やはり父上と共に出陣をしたかった。
万が一にも父に危険が及ぶ事あらば、この身を呈してでもお守りしたいのに。
…もし密かに父の後を追ったなら、父上はお怒りになるだろうか。
戦場まで行くのではなく、高台から眺めるだけなら…?

そんな事を考えていると、不意に自分の方をじっと見つめる幼い視線に気付いた。

「兄上。」

呼びかける声は半妖の弟のもの。
何だ、と目線で問い掛ければ躊躇いがちにすぐ傍まで寄って来る。

「…具合、悪いのか…?」

簡潔な問いに何故この弟がその様な事を知っているのかと疑問を感じて、すぐに父が出陣前に言い置きをして行ったのだと思い当たった。
妖怪にとって誰かに弱みを知られてしまう事は是が非でも避ける事態なのに。

「俺じゃあんまり役に立たないかもしれないけど…何か必要なものとか、有るか?」

物言わぬ兄に犬夜叉が心配そうな視線を向ける。

「…大事無い。
父上の御言いつけ通り、少し休むことにする。
もし父上から何か伝令が入ったら知らせてくれ。」

それだけを告げて弟が肯くのを確認すると、殺生丸は静かに自室へと戻った。




横たわって過ごすこと数刻。
眠りが訪れるわけではない、けれど先程眩暈と共に訪れていた不快感も消え、随分と身体の具合が回復したのが感じられた。

太陽の位置から察するに、もう昼過ぎ…であろうか。
父上からの伝令が来た気配は無い。
精鋭とはいえ少数の部族ゆえに、もしかしたらすぐに決着が付くかも知れぬと思っていたが…。
幸い体調も快方に向かっている、今からでも様子を見に行こうか。

そんな事を考えて起き上がると、襖から犬夜叉がひょっこりと顔を出した。

「起きたのか?」

既に寝着から普段の物へと装束を改め始めている兄の姿にはっと息を呑む。
まさか、と言い掛ける弟の言葉を遮るかの如く殺生丸は短く言葉を放った。

「出掛けて来る。」

かつて父から賜った妖鎧を着けて犬夜叉の横をすり抜けようとした殺生丸の腕は、しかし未だ幼い異母弟の手にしっかりと握り締められる事となる。

「駄目だよ、兄上。兄上に何か有ったら父上も、それから俺も哀しいだろ。」

私が無理に出陣しようとした時には止める様に、と父上はこの弟に言い置いて行ったのか。

「様子を見に行くだけだ、戦場に飛び込みはしない。」

宥める様に言葉を掛ける殺生丸だったが、腕をつかむ犬夜叉は困ったように縋りつく。

「自分からは飛び込まなくても…向こうから巻き込まれるかも知れないだろ。
どうしてもって言うんなら俺も行く!」

「…未だ初陣も済ませてはいないだろう?
もしお前に何かあったら父上に顔向けが出来ぬ。」

互いに一歩も譲らずに視線を交差させていると不意に館の中が騒がしくなっている事に気付いた。

「…腕を放せ、犬夜叉。…様子が妙だ、見に行かねばなるまい。」

数瞬前まで言い争いをしていた時とは一変した厳しい兄の顔に、犬夜叉も思わず手を放して後に続いたのだった。




急ぎ足で移動し家老を捕まえて問い質すと、殺生丸の姿を見て彼は心底安堵の色を浮かべた。

「おいででしたか、殺生丸様。
どうやら出城を襲った部隊は陽動だったらしく、別働隊がこのお館に向かっているとか…御屋形様が出陣なさってほぼもぬけの空の状態の今、どうやって応戦したものかと頭を悩ませておりました。」

それだけを聞くと、殺生丸は『そうか』とのみ応えて館の玄関へと足を向けた。

―――――振りかかった火の粉は掃わねばならぬ。
それがこの幼い弟の住む館であるなら尚の事だ。
…父上も、もしいらしたなら同じ事をするだろう…例え自分の体調に一抹の不安が残ったとしても。

私は、父の血を受け継いだ純血の妖怪だ。
危険を感じている時に、そう簡単におめおめと負けはしない。

そんな言葉をまるで言い聞かせる様に自分へと呟いて、息を整える。

「兄上、いくら少ないとは言っても家臣たちも居るんだから…絶対に無理はするなよ。」

追ってきた犬夜叉に軽く肯いて見せて、やって来るであろう敵を待ち構えようと地面を蹴って上空へと上がった。

―――――自分一人の身を守るならば難くは無いが…守るべきものがこの館となると少々厄介かもしれぬ。
だが、父はすぐにこの作戦に気付くだろうから…父が本隊を率いて戻るまでの時間さえ稼げればそれで良かろう。

程無く遠くに敵と思われる一団が現れる。
大勢引き連れている様だったが、大半は雑魚。
父やその側近をして『精鋭』と言わしめたであろう妖怪は二・三人位と見受けられた。

「何だ、なよっこい兄ちゃん。
もうすぐここは戦場になるからよ〜、綺麗な顔に怪我したくなければ立ち去った方がいいぜ?」

更に近付いて殺生丸の存在に気付くと、雑魚の一人が下卑た声でそんな事を言う。
それに無言の圧力を掛けておいて、隊の長らしき相手をじっと見据えた。

「…気付かれぬと、思ったか?
すぐに我が父もこの場へと戻られよう。それまで私がお相手する。」

静かにそう告げると相手方が俄かに浮き足立つ。

「その頬の紋様…大将の御長子か。
だが、我等の任務は妖犬一族の館を制圧すること。
貴方を倒せずとも館を燃やせればそれで良い。
此方もそれまで時間稼ぎをすれば良いという事だ。」

言葉付きは丁寧でも、瞳に浮かぶ光が何とも不快な敵方の長が手下達へと合図を出して、勢力を二分させた。
妖怪の大半が、脇から館の方角へと一斉に移動を開始する。
…だが、それも大して長くは続きはしなかった。

「ぐぉぉ…」
「うわあ、体が熔けるっ…!?」

断末魔の叫びが至る所から聞こえる。

「解ったろう。
不用意に近付いても我が結界に阻まれて自らの体を滅ぼすのみ。
私を倒さぬ限り館には手を出せぬと思え。」

館を守らねばならぬ、と思った時にかつて父がしていたのを見様見真似で結界を張ったのだった。
弱い結界では意味を成さぬから、自身の毒の血を使った強力な結界を。

機械的に攻撃を繰り出し、後から後から向かって来る敵を斬り捨てるうちに、殺生丸の体にも段々疲労が出て来る。
それでもそんな気配は微塵も見せずに殺生丸は腕を動かし続けた。

―――――心なしか、体中が熱い。
まるで、妖気が溢れて身の内に滾っているかの様な。
朦朧とはしているのだが、今なら幾らでも攻撃が繰り出せそうな気さえした。

父上は…『お前位の年齢の頃には』と仰っていたか。
妖力が不安定になるという意味か、それともそれが強力になるという意味かどちらであろう。

目の前に現れる妖怪達を粗方斬り終わったかに思える頃。
不意に、向かって来た筈の目の前の妖怪が自分ではない刀の一閃の元に倒れ伏し、力強い腕に身体ごと抱きしめられた。

「お前の御蔭で助かったが…変わらず無茶をする。」

苦笑交じりに、でも嬉しそうにそう告げられて安堵のせいか又意識が遠くなっていく。

闘牙王自身が帰陣したのであれば、僅かに残った敵などものの数では無い。
程無く彼は腕の中に己の愛息を抱きしめて館へと入った。

『身の安全を得るまでは身体の具合に関係無く戦う…いつの間にか随分と強い精神力を身に付けたな。
父はお前を愛しく思うと同時にとても誇りに思うぞ、殺。』

聞いてはいないだろう息子の耳にそんな言葉を囁きかけながら。




「父上っ」

途端に駆け寄ってくるのは半分人間の血が混じった、下の息子。

「兄上は…?」

無事だ、と応えつつ愛しげに気を失ったままの兄の髪を指に絡める父を、犬夜叉はほんの少しだけ妬ましく思ったのだった。









『闘月』伍千打を踏んで下さった薫様への斬り番御礼創作です。
『どうしても父上自らが行かなくてはならない戦に、出掛けてしまう事になって寂しいけど止める事など出来ない切なさ』『間に兄好きの弟も。父上が心配で自分も出掛けようとした兄を意地でも行かせない!!という感じで。』と細かい素敵お題を頂きました…!!御蔭で作成が早まりました、合わせて御礼申し上げます。
半端な終わり方をしているかも知れませんが、やっぱり兄は具合が悪かろうが何だろうが父上の為に健気に戦いそうな気がしてこの様な物が…。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

2004/04/30   牙月紫翠@管理者 拝