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St. Valentine's Day
-2004/02/14-
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「本日の御予定です、到着までに目をお通し下さい、父上。」 朝の通勤ラッシュで少々混み始めた道路を、白い外車が悠然と走っていく。 この辺りでも有数の大会社の社長・闘牙のいつもの出勤風景だ。 後継者であり、現在は副社長として父の補佐の地位にある殺生丸を同乗させて朝の短い時間を楽しむのが彼の日常であった。 差し出されたその紙を見やれば、綺麗な文字で予定が書き込まれたタイムテーブル。 普段なら『分かった』と肯く父親であったが、今朝は少し勝手が違って。 一通り目を通した後、それを渡して来た相手の瞳をじっと見つめる。 「なあ、殺…?」 それに少々たじろいだかの様に殺生丸の瞳が伏せられ、一息ついてからそれが再び父の視線を受け止めた。 「何処か…不都合な点がおありでしたか?」 硬質なその言葉に、父親の瞳が微かに細められる。 「不都合といえばそうとも言えるし…そうでもないといえばそうでもないな。」 謎掛けの様な言葉をかけられて、殺生丸は小さく溜め息をついた。 「父上…何かご希望があるのなら、早くお申し付け下さい。」 そう返されて父の口の端が微かに笑みの形を浮かべる。 「今日は何の日だか分かっているか?」 唐突な、問い。 無言のまま思わず目線で問い返せば、何かを企んでいそうな悪戯な視線が返ってきた。 「外の浮かれた空気を見て、何も思い出さぬか?」 「”浮かれた”とは…?まだ店などは開いて居りませんし、この時間帯に道路が混み始めるのもいつもの事ですが…?」 そうではない、とすぐ隣に座る長子の肩を引き寄せて、その耳許に口を寄せて直接声を注ぎ込む。 「今日はバレンタインだろう…?」 低い声に直接耳朶を撫でられて、殺生丸の肩が一瞬びくりと震えた。 それを悟られぬようにと、慌てて返事を口に出す。 「…あ…ああ、左様でございましたか。 ならば…午後の予定を御空けになりますか?」 この恋人達の一大イベントとして名高い日を父親がわざわざ口に出したという事は・・・・・・何か既に誰ぞと約束でもしているのだろう、いくつになっても随分と女にもてる様子だから。 『なんだ、空けてくれるのか?』と子供の様に笑う父は何処か確信犯の様にも見えたのだけれど。 社内に入れば、二人とも途端に若い女子社員達に取り囲まれる。 「社長!!副社長も…義理でも良いですから受け取って下さい!!」 「私のも是非!!」 闘牙の方は毎年のこの光景はいつもの事だが、今年から補佐についた殺生丸には驚きだったらしく、幾分困惑気な視線が父に向かって投げられて。 闘牙はそんな息子に『大丈夫だ、受け取っておけ』と小さく囁いてやった。 「しかし父上…この様に沢山…一体どうするのです?」 漸くその群れから離れて社長室に落ち着き、殺生丸は両手一杯に渡された品を眺めやる。 「どうもせぬさ、甘味が欲しくなった時にでも喰えばいい。 日持ちせぬ品でもないからな。 …受け取ってやらぬと折角用意してくれた気持ちが水の泡だ。」 闘牙がそう言って豪快に笑う姿はやはりやり手の実業家のものであった。 「ああ、ちなみにな、殺。 本命からの贈り物は当日に口にせねば駄目だぞ、効き目が消えてしまう故。」 笑みを含んだ次の台詞は、何処か悪戯っ子の様な響きを含んでいたのだが。 「予定の執務は以上です、父上。」 昼休みの少し前、机上の書類を手際よく纏めながら、殺生丸がそう告げる。 「何だ、随分と早いな?」 僅かに驚いた目をして座ったまま見上げて来る父親は、だが幾分嬉しそうに顔を綻ばせていて。 「残りの案件は急ぎのものではございませんでした故。 …それよりも…どなたかとお逢いになるならば身支度もお有りなのではございませぬか?」 微かに表情が曇る所を父に見咎められまいと、殺生丸はそう誤魔化す。 「仕度か…まあ、あるにはあるが…。 それよりもお前、俺が誰と逢うのか興味は無いのか?」 不意に腕を引き寄せられ、勢いで近付いた唇をちろちろと舐められながらの問いに、殺生丸は思わず渾身の力で父から離れた。 親と子という血の繋がりがありながら、肌を重ねた事さえある父親。 父の事は嫌いではなかったし、早くに亡くなった母の面影を忍んでの事であろうとさして抵抗感を覚えずに受け入れた。 …けれど、今日のこの振る舞いは…何だか胸の奥がずきずきと痛む。 私に…逢瀬の相手を尋ねて欲しいのですか、父上…? 誰か愛しいと想う相手が出来たのなら多少の手助けは致しましょう、されど…何故その相手の事を私に知らせようとなさるのです…? 黙ったまま書類を手に取る息子に、失言だったと気付いたのだろうか、闘牙は『悪かった』と低く呟く。 「…いいえ。御気をつけてお出掛け下さい。」 そんな言葉と共に殺生丸は後ろ手に扉を閉め、社長室を出て行く。 そして、静かなその音の後に闘牙の大きな溜め息が続いて。 「ああ…絶対にまた誤解させてしまったな… あの切なげな表情も凄くぐっと来るんだが、どうもうまく行かぬなあ…」 一つ大きく伸びをすると、それでもどうやら外出はするらしく、闘牙は上着を手に取った。 そして、小一時間経った頃。 殺生丸の私室の扉から、ノックもすることなく闘牙が顔を覗かせる。 「…っ、父上!! どうなさったのですか、もうお出掛けになったのでは…?」 机に向かっていた殺生丸が顔を上げてそれを迎えた。 「出掛けたさ、”仕度”をしにな。 …後は待ち人を迎えるだけ、なんだが?」 無言のまま見上げて来る愛息子のペンを握る指先を掴んでもう一押し。 「午後は予定を空けてくれると、そう言っていただろう?」 『それは父上の予定を…』、と言い掛けるのを軽くその唇を空いている方の人差し指で触れる事で止める。 「…頼みを、聞いてくれぬか?」 彼が決して自分の頼みを断ることなどないと知っていてこの様な物言いをするのは、随分と図々しい話かもしれぬが。 果たして殺生丸は、微かに目を伏せた後にペンにキャップを被せた。 「全く…明日の執務の量が増えても知りませぬぞ、父上…?」 呆れた様にそんな台詞を呟きながら。 それでも殺生丸の頬はほんの少し薄紅色に染まっていた。 「こ、これは…?」 父が殺生丸を連れて来たのは、まさに自分達が住んでいる自宅。 綺麗に整えられた屋敷は朝出た時から特に違いは無かったが、食堂のテーブルの上だけが異様な風体を呈していた。 「先程買って来たのだ、中々壮観だろう?」 いつの間にか殺生丸の丁度背後にあたる位置に佇んだ父親が笑いながらそんな事を言う。 テーブルの上に置かれているのは大量の食料品で。 思わず呆れ顔で固まった殺生丸に、闘牙は尚も機嫌良く次の言葉を紡ぐ。 「いや、別に全て使えという意味ではないぞ? ただ、お前は料理をさせても見事な腕だろう、今宵は俺に作ってくれぬか、と思ってな。」 (…本当に、子供の様な人だ。 いつも私をこうして驚かせて、楽しんで居られるらしい…。) 心中で小さく呟きながらも、殺生丸はそっと卓上のものに手を伸ばした。 闘牙はと言えば、相変わらず嬉しそうにその様子を見守っていて。 「…あまりじっと此方を御覧なさいますな。 料理をお望みなのでしたら、致します故…ああ、何方か客人をお呼びになるのですか?」 父が手回し良く雇いの料理人に休暇を出してやったのであろう、今は無人のキッチンに入って行きつつの殺生丸の問いに、闘牙は一瞬驚いた顔をした。 「いや…? 誰も来ぬぞ、特別な日の夜は特別な相手とのみ過ごすと決まっている故、他の誘いは断った。」 追い掛ける様にキッチンへと足を踏み入れて、闘牙はそんな言葉と共に後ろから殺生丸の肩を抱き込んで。 追加の様にその耳に囁きを流し込む。 「殺…デザートまで、フルコースで頼むぞ?」 え、と問い返す暇もなく、闘牙は又機嫌良くキッチンを出て行ってしまった。 父の言動で僅かに火照った頬を冷ますかの様に、殺生丸は手元の材料に目をやる。 ”デザート”を強調して行かれたという事は…やはりそういう意図でいらっしゃるのだろうか、甘い菓子の材料になりそうな物を探せば、随分チョコレートの種類が多い。粉も買ってあると言う事は…ケーキか何かをお望みなのだろうか。 結局父はそのまま数時間殺生丸を一人にしてくれたので、作業は思いの外手際良く進んだ。 盛り付けや、最後の飾りつけを残して粗方の事が済んだ時、玄関の扉が開く音が聞こえる。 「ただいま…何かいい匂いがするけど、こんな早え時間から一体…?」 姿を現したのは弟である犬夜叉。 妾腹の弟だったが、母である人が亡くなった後は闘牙に同じ屋敷へと引き取られた。 キッチンでいい香りをたてている品の数々と休憩を入れるかの様に居間のソファに沈み込んでいる兄の姿を見て、思わず驚きの表情を浮べる。 普段なら、多忙な兄が自分か帰宅する時間帯に家に居てくれることはない。 「ああ、帰ったのか。」 殺生丸がそう言うのと、不意に居間の扉がばたんと開けられるのが同時。 「犬夜叉…お前な、今日くらい誰かとしけこむ位の甲斐性は無いのか。」 突然現れて、冗談にも苦笑を浮べてそんな言葉を吐く父親に、犬夜叉はけっ、とそっぽを向く。 「俺は親父みてえにお盛んじゃねえからな。 …一応受け取るだけ、チョコは受け取ったぜ?」 「ほう。流石は俺の息子、と言いたい所だが…最後のチョコは俺の物だからな、横取りするなよ?」 何だか訳の分からない台詞で挑発して来る父親に、二人の口論は更に熱を帯びて。 呆れた様にソファから立ち上がった殺生丸に、二人とも慌てて口を閉じた。 「何処へ行くのだ、殺?」 父のその問いに殺生丸は軽く小首を傾げて。 「自室に戻ります、少々疲れました故…それに先程途中になってしまった書類も処理せねばなりますまい?」 生真面目な言葉を返されて、闘牙は思い出した様にああ、と言葉を続けた。 「その書類な、やっておいたぞ?お前にばかり色々頼むのも悪いからな。」 普段はさして仕事に几帳面な方でもないのに、こうして時折気遣いを発揮する父親に、殺生丸は微かに笑みを浮かべてその場を後にする。 「何だよ、二人とも、仕事抜けて帰って来たのか?」 末の息子が投げ掛けた疑問に、闘牙は『だが結果的に仕事も完了だ』と自慢げに胸を張った。 犬夜叉はそんな父親を一種不審そうに眺めながらその帰宅理由を尋ね、闘牙はと言えば何を当たり前の事を聞くのかと言わんばかりに息子を眺めやる。 「なんでって…そりゃあお前、男ならバレンタインには本命からチョコを貰いたいと思うだろう? でもあいつは放っといたら絶対チョコをくれそうにはないからな…強引に作らせてみたわけだ。」 あいつ、が指し示す人物が一人しかいない事に思い当たって、犬夜叉の方が途端に顔を真っ赤に染めた。 「親父…それでさっきから妙な事を言ってたんだな…? 最後のチョコは俺のものだ、ってつまり、俺には分け前はねえのかよ!?」 意地悪気な笑みを浮かべた父親は、『料理の分け前には預からせてやるから有難く思え』とひらひら手を振りながら居間を出て行ってしまう。 何処に行ったのかは、推して知るべし、であった。 「ったく、大人げねえ親父だよなあ…」 残された犬夜叉の声が呆れた響きを伴って居間に響いた。 「殺?入るぞ?」 返事を待たずに扉を開けて、薄暗い室の中で求める相手が寝台に横になっているのを見つける。 薄手のガウンを纏って父親の方をぼんやりと見つめて来る姿は随分と艶めいていて。 「疲れたのか?何も掛けずに休んでは風邪をひくぞ?」 寝台の上に自分も腰掛けながら、未だ横たわったままの息子の頬をそっと撫でる。 「父上…?」 僅かに身じろぐ殺生丸の横にそっと身体を滑り込ませ、安心させる様に囁きかけた。 「大丈夫だ、今日はそなたが作ってくれた夕餉を口にする前に手を出す様な真似はせぬ。」 何もせず、ただ抱き合って互いの温もりを分け合う、そんな午後がゆったりと過ぎて行く。 いつの間にか二人して寝入っていた様で、目覚めた時には腕の中の相手は居らず、代わりの様に丁寧に上掛けが掛けられていて、闘牙は慌てて寝台から身を起こした。 居間の扉を開けると、機嫌良さげな犬夜叉から第一声が掛けられる。 室内では、小さな卓子を挟んで兄弟が向かい合っていた。 卓子の上には本が数冊…学校の教科書であろうか。 「よお親父、お目覚めかよ。殺生丸に宿題教えて貰ってたぜ。」 何だか嫌な予感がして表情を硬くした父親の傍まで来て、犬夜叉が今度は小声でもう一声。 「・・・腹が減ったから…味見もさせて貰ったけどな。」 何の話かは聞かずとも理解出来、思わず『なっ』と露骨に叫び声を上げそうになって何とか自分を抑える。 それでも恨めしそうな視線で犬夜叉を睨む事だけは止められず、諦めたかの様に犬夜叉が『冗談だよ』と呟く。 「腹減った、って言ったらあいつ、他の物は食わしてくれたけど、チョコだけは食わしてくれなかったぜ。 脈有りじゃん、親父。良かったな。・・・ちょっと、悔しいけどよ。」 半刻程で夕餉にしますから、と言い残して殺生丸がキッチンへと消えるのを、父子二人してそわそわと見送って。 「あいつ、料理も上手かったんだな…知らなかったぜ。」 ぽつりと呟く犬夜叉に、『俺の御蔭で殺の手料理を食えるんだからな、感謝しろよ?』と闘牙が悪戯っぽく笑った。 料理はといえば、申し分の無い出来で。 デザートで犬夜叉にも同じチョコレートケーキが出された事に不満を述べもしない程、闘牙は上機嫌で夕餉を楽しんだ。 「ああ、犬夜叉、片付けは頼んだぞ?」 そんな事を悪びれなく言って兄の腰に腕を回す父親を、犬夜叉は諦め顔で見送る。 「はいはい、分かってるよ… まあ美味いもん食わせて貰ったし、これ位やっといてやらあ。」 「さて、これで無事本命からもチョコレートを受け取れた、という訳だ。」 二人きりで父の部屋に連れ込まれた途端、首筋に熱い感触を受けて、思わず肩がびくりと跳ねる。 「イベントに乗じて馬鹿な真似を、と思うかもしれぬが、やはりお前からのが欲しくてな…振り回してしまった、怒っているか?」 至近距離から見つめてくる瞳はどうしようもなく甘い光を宿していて。 対する殺生丸の瞼がゆっくりと閉じられ、闘牙の首筋に遠慮がちな腕が回された。 ―――――貴方に振り回されるのも、貴方が突然子供の様に言い始める我儘に付き合うのも嫌ではない。 貴方に必要とされるという事は、私にとって何より嬉しい事だから。 そして父が『俺が誰と逢うのか興味は無いのか』と尋ねてきた時にこの胸の内に湧き起こった不可解な感情の波に飲み込まれなくて済むから。 「いいえ、父上…怒ってなど…」 小さな応えの声に誘われるかの様に二人の距離が近付く。 直に触れる互いの感触が普段よりも更に熱く、本能的な欲を煽った。 「一月後の贈り物は…何が良い?」 接吻の合間に尋ねた問いへ、殺生丸がその首を緩く左右に振って。 父の頭を抱く腕に微かに込められた力が、『何の品も求めはしない、叶うならばただ傍に居て欲しい』、とそんな願いを映し出している様にも思えた。 バレンタイン用即席パラレルです。…何とか…間に合った!? 相変わらず我儘な父上を目指してみました、途中意外にもシリアス風味になってしまって我ながら焦ったり…バカップルにするつもりだったのに(え?) その上、書いている私自身が未だかつて一度もバレンタインのチョコレートを用意するという行動に出た例が無いので…きっとリアリティーに欠ける話に仕上がっている事でございましょう。 しかしねえ…バレンタインというのは罪な行事だと思いますよ(笑) お菓子屋さんの陰謀というのは本当かも…(←そんな夢の無い発言を) ああ、でも今年は前日にチョコを頂きまして『いつも有難う』と…嬉しかったし美味しかったなあ。感謝を表す日としても有りなのやも知れない。 真面目な話に戻って…『父上は甘党なのだろうか…?』今回最大の疑問はこれでした。兄上は何だか甘いものは苦手なイメージがあるんですが、父上は結構甘いものも好きそう…というのが私の意見なんですが。 それにしても終わり方がやっぱり微妙…即席ですのでお許しを…。(言い訳?) 2004/02/14 牙月紫翠@管理者 拝 |