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想哭泉





 愛しいひとよ。
 君の瞳に、何も映らなければいい―――私以外の、他の誰も。
 君が育ち、巣立ってゆくのを喜ぶなんて出来ないんだ…だってそれは、君が私から離れてゆくということだから。



 湖海城でその宴が催されたのは、夏の終わりの事だった。仲秋の名月には適わぬものの、煌々と冴え渡った月が、水の都を照らす夜。
 彩七家、そしてその門家筋にあたる有力者のみが招かれるその会合―――彩七家筆頭たる藍家の主催とあれば、国中から名のある貴族やその子弟達が集まってくる。貴陽の朝賀に勝るとも劣らない勢いは、誰もが一目置かずにはおれぬもの。
 けれど、宴の仕度で慌しい城内の最も奥深い一角には、場違いなほどの静けさが満ちていた。

「…楸瑛。私だ、入るよ。」

 回廊に響いた玲瓏たる声は、この城の次代の主たる青年が、年若い弟を呼ぶ声だ。彼が押し開けた扉の向こうには、驚いた様に書物から顔を上げる若者の姿があった。

「雪那兄上。」

 略礼ではあれど、素早く立ち上がって小さく頭を下げた弟の顎を、雪那と呼ばれた青年は軽く指先で持ち上げ、まるでそれが日常の挨拶であるかの様に唇を奪う。それを受け止める弟の方も、今更抗ったり、恥かしがって拒んだりはしない。

「…どうなさいましたか、兄上。宴の仕度にお忙しいものとばかり…。」
「下らぬ集まりだ。退屈な宴の前に、お前の顔が見たくなってね。」

 手触りの良い弟の髪を梳きながら、雪那は一旦言葉を切った。

「分かっているね、楸瑛。宴にやって来る客達と、関わり合いになってはいけないよ。お前の披露目をするには、まだ早い。」

 それは、念押しの形をとった、長兄としての絶対的な命令。それを受けた弟の美しい貌に、一瞬傷ついたような影が走ったことに気付いていないわけではない。
 ―――それでも。

「…はい。」

 欲しかったのは、言質。他の誰のものにもならぬという、確かな約束。

 一度だけ、この愛しい弟を藍州から連れ出して、人に引き合わせたことがある。藍家のために、必要なことだったから。

『あの清苑公子にお引き合わせくださるのですか?ありがとうございます、兄上。ずっとお目に掛かりたいと思っていましたから…嬉しいです。』

 無垢な笑顔ではにかむ様に笑う弟に、気が狂いそうになった。たとえ誰の傍近く仕えることになろうとも、お前が一番に想うべきは私だと、心の内で叫んでいた。

『傍に置くつもりはない。連れて帰れ。』

 だから、ある意味予想通りなかの公子の拒絶に、内心ほっとしたのを覚えている。

『申し訳、ありません…雪那兄上。』
『気にすることはないよ。朝廷など、綺麗なお前にはそぐわない、汚れた場所だ。』

 優しく慰めても、悲しげに俯いた弟の表情から翳りを取り去ってやることは出来なかったけれど、そんな顔も愛しいと思ってしまうのだから、始末に終えない。

「いい子だ。…それではね、楸瑛。」

 最後に軽く弟を抱きしめてから、部屋を出る。
 腕の中にあった優しい感触が、何故だか急速に失われていくような心地がした。



 知っている―――己の才が、三つ子の兄達にも、そして弟である”藍龍蓮”にも及ぶべくもないことを。だからこそ父も兄達も、”藍楸瑛”という直系の四男を、公の場に未だ連れ出そうとしないことを。
 たった一度与えられた”外”へ出る機会は、時の第二公子であった人のたった一言の拒絶で消え失せてしまった。

『傍に置くつもりはない。連れて帰れ。』

 幼いながらに憧れていた、才子の誉れ高きその人にそう切り捨てられた事実は、どうしようもなく哀しくて。けれど、それ以上に父や兄弟達への負い目で一杯になったのを覚えている。

 ”どんな努力も惜しまないから―――どうか、藍家の一員として恥かしくないだけの力を私に。”

 灯りを落とした自室を青白く照らす月に向かって、何度そう祈ったか分からない。そしてそれは、今夜とて例外ではなく。
 陽が完全に落ち、月光が辺りを彩り始める頃、楸瑛は目を落としていた書物を閉じ、ふっと蝋燭の炎を吹き消した。月明かりを頼りに足を踏み出す先は、奥庭院だ。
 湖海城の奥庭院は、抜け道を正しく辿れば、藍州一の湖・龍牙塩湖へと繋がる。それを楸瑛に教えたのは、弟の龍蓮だった。

『愚兄その四、一緒に来い。無風流な城に籠められてばかりの兄上に、いい事を教えてやる。』

 戸惑う楸瑛の手を引っ張って、龍蓮は彼を何度も城から連れ出したものだ。兄達や父は、それに気付いているのかいないのか、或いは藍龍蓮の行動ゆえにか、何も咎めはしなかった。

『楸兄上、忘れるな。入り口は狭くとも、”外”は確かにそこにあって、楸兄上の瞳に映るのを待っている。』

 いつものことだから、もう既に慣れてしまいはしたけれど、自分より七つも年下とは思えない大人びた口調でそう諭され、力なく笑んでいた自分。
 いつしか、龍蓮が旅に出て藍州に居ない時でも、独りで湖のほとりへと降りる様になっていた。
 部屋に居ても、”外”に居ても、自分が独りであるということに変わりはないけれど、それでもその場所でなら、ほんの少し呼吸が楽になるような気がして。

 垣根で隠された境目を何度も潜り抜けながら、既に通い慣れた道を辿る。木々に覆われた道が最後にぱっと開けた瞬間、光を受けてきらきらと煌く湖水を見るのが好きだった。
 誘われる様に水際に近付き、沓を脱いでそっと片足を浸す。ひんやりとした感触が心地良くて、そのままもう一方の足も水の中に進めようとした時、思いがけず、強い力で楸瑛の腕を引きとめる手があった。

「何をしている。」

 聞こえたのは、耳慣れぬ声。この場所で他の人間と出会ったことはかつて無いのに、とはっとして振り返れば、其処には豪奢な着物を身に付けた、一人の男の姿があった。年の頃は兄達と同じくらいだろうか…そして、その着物の色は、鮮やかな紅。
 彩七家直系の者しか身に着けることを許されぬ”準禁色”―――それではこの男は紅家に所縁の人物なのかと思った瞬間、反射的に身体が後ろへ逃げていた。
 けれど、楸瑛の背後にあるのは広大な龍牙塩湖。しまった、と思った時には既に足元がふらつき、身体の均衡が崩れていて。そのまま水の中へ無様に倒れこむことを覚悟した楸瑛だったが、予想した衝撃は訪れず、代わりに紅の色に身体を抱きこまれていた。
 足元を見れば、沓を履いたまま水に浸かった、相手の足。豪奢な衣の裾とて、水をたっぷりと含んでしまっている。

「…っ、申し訳ありません。」
「構わん。」

 咄嗟に口から零れ出た謝罪の言葉に、相手は事も無げに返事を返した。楸瑛の顔から視線を外す気は無いらしく、身を支える為に抱き寄せられた体勢もそのままだ。

「あの…?」

 戸惑った楸瑛が思わずそう問い掛けるのへ、男がじっと瞳の奥を覗き込む。

「湖の妖精かと思えば、生身の人間だな。…入水でもする気だったのか?お前の目には生気が無い。」

 はっきりと告げられた内容に、楸瑛は思わず首を振った。自分の目に生気があるとは思わないが、命を水底に沈めようなどと考えたことはない。

「そんな…ただ、水が冷たくて心地良いゆえ、少々足を浸していただけです。」
「…ふん、確かにな。」

 反論すれば、男は至極あっさりとそれに頷き、楸瑛を抱き寄せたまま岸へと上がった。

 岸辺の手頃な岩を選び、並んで腰を下ろす。それは奇しくも、龍蓮と幾たびも時間を過ごしたのと同じ岩で。初めて会った人間とまるで当たり前のようにそうしている事に、不思議な感慨を覚えた。

「夜だというのに軽装だな。この辺りに住んでいるのか?」
「…はい。」
「あまり人慣れしていない。歳は幾つだ。」
「…十六になります。」
「世の中を知るに遅くはない年齢だな。藍州から出たことは?」
「…一度だけ、貴陽へ。」
「貴陽か。忌々しい都だ。…どう思った。」
「さあ…すぐに藍州へ戻されましたゆえ。けれど…きっと今の私では釣り合わぬ場所だったのでしょう。」

 問い掛けられて、それに答える―――淡々とした会話ではあるけれど、驚くほど素直に、気負い無い本音が零れて。失態だったか、と直後に理性の声が警告するも、大丈夫だというかのように頭を撫でられた。

「お前が釣り合わなかったのではなかろう。上辺だけが美しい、残酷な場所だ。お前を連れ戻した人間は、出来る限り長く、あそこからお前を遠ざけて手中で守りたかったのだろうよ。」

 それは、慰めているというよりもむしろ、絶対的な事象をそのまま述べているかの様な声音。

「けれど私は…守られるだけではなく、父上や兄上達のお役に立ちたかった…」

 反論するかの様に呟かれた小さな囁きに、男ははっと手を止めて、楸瑛の顔を凝視する。

「…!…そうか、お前…すぐに気付かぬとは私も気が緩んだものだ。」

 ”藍家の四男か”と突如として真実を言い当てられて、血の気を失ったのは楸瑛の方だ。そう、この男の醸し出す空気に呑まれて、まともな思考などあまり働かなくなっていたけれど、自分はこの男の衣装の色から、その出自を知っていた筈ではなかったか。

(そうだ、紅家の方が藍州に居る理由など、今宵の宴の為以外にない。宴が開かれているこの時間に、何故この方が此処に居るのかは分からないけれど、雪那兄上から客人と関わるなと念を押されていたのに。)

 長兄の言葉は絶対のもの―――普段いかに優しく接されてはいても、兄達が己に逆らう者に容赦せぬ怜悧さを兼ね備えていることを知っていた。

「申し訳有りません。もう、行かなくては…」

 全てを断ち切るかの様に立ち上がった楸瑛を突き動かしていたものは、兄に失望されたくないという恐怖であったろうか。
 けれど、木立ちの方へ駆け出そうと地面を蹴る前に、離さぬというかの様に腕を捉われた。

「何を恐れている。幾ら私でも、別にお前を取って食いはしない。」

 覗き込んで来る瞳は、真実を映す鏡。心の内を全て見透かされているようで、思わず背筋が震える。

「御放し…下さい。私は未熟者ゆえ、宴のお客人とは関わっては失礼にあたります。」

 開放を願う言葉は、懇願にも似て。それでも、掴まれた腕は逆に緩やかに引き寄せられた。

「何を言う。藍家の四男といえば、あの三つ子が独占欲を丸出しにする秘蔵の宝と専らの評判だ。此処で会い見えたのは、遥々藍州まで足を伸ばした、唯一の収穫と思うているが?」
「…ご冗談を。”秘蔵の宝”は”藍龍蓮”たる弟の方でしょう。私はただ…外に出すには不十分ゆえに奥に籠められているだけです。」
「謙遜は時に美徳だが、お前はもっと己を知るべきだ。尤も、そんな誤解をさせたままにしているあの三つ子にも責任があるがな。」

 至近距離でそんな言い合いをして、それでも尚逸らされぬ視線に、逃げることを諦めたのは楸瑛の方だ。

「大方、宴の間は部屋から出るなとあの鬼畜どもに命令でもされたのか?安心しろ、奴らに知られる前には帰してやる。」

 優しいのか意地悪なのか、ふっと口許を笑ませた男は、そんな言葉と共に楸瑛を元の場所へと座らせた。
 交わされるのは、取りとめもない会話―――何気ない話の中に、大切な核が巧妙に織り込まれているかのような。それでも、身内以外の人間とこんなに長い時間共に過ごしたのは初めてで、楸瑛は少し嬉しかった。

「…月の位置が変わったか。そろそろ現に戻らねばなるまいな…お前も、私も。古狸を黙らせるには、此度の宴に全く顔を出さぬ訳にも行かぬ。」

 だからこそ、男が不意にそう告げた時、胸の内が少しだけ寂しくなって。

「藍州の夜を、どうぞお楽しみ下さいますよう。」

 型通りの拱手をしながら、その喪失感を誤魔化す。
 そんな楸瑛の心中を察したのか、男は満足そうに目を細めた。

「近い将来、お前は必ず中央に出て来るだろう。…貴陽で待っている。」

 予言とも約束とも取れる言の葉を残し、彼はさっと踵を返す。湖水を帯びて湿った筈の衣の裾は、いつの間にかすっかり乾いて、元の紅色へと戻っていた。

(名前すら、聞けなかったな。紅家の、恐らくはとても中枢に近い方であることは想像がつくし、調べようと思えば調べられぬことも無いけれど。)

 湖のほとりに再び独りきりになって、楸瑛はぼんやりとそんなことを思う。
 自信に満ち溢れた芯の強さ…彼の言葉の端端には、それが感じられた。自分には無いそれを持つかの人に、無意識のうちに惹かれていたのかもしれず。

(貴陽、か―――本当に、行ける日が来るのだろうか。)

 戸惑う様に瞳を揺らしながら、楸瑛はまたじっと湖面を見つめるのだった。



 さくり、と。背後に砂利を踏みしめる音が響いたのは、紅家の客人が去ってから四半刻ほど経った頃。今度は一体誰が訪れたのかと振り向いた楸瑛は、風に翻る『藍』の正装に凍りつくことになる。

「雪那、兄上…」

 ”どうしてここに…それにまだ、未だ宴は続いている筈なのに”―――弟のそんな心の声を読み取ったかのように、雪那は感情の読めぬ冷たい笑みを口許に佩いた。

「お前が何度も龍蓮と時を過ごしたこの場所を、兄である私が知らぬと本気で思っていた訳ではないだろう、楸瑛。それに、宴に三人で行儀良く並ぶ必要は無いんだよ…お前やごく一部の人間を除いては、誰も私達を見分けられない。今頃は、二人のうちのどちらかを私だと思っているだろうね。」

 静かな声音で説明を与えながら、一歩、二歩、と弟の方へ足を進めた雪那は、二人の間の距離が無くなると、突如として弟の首許を片手で掴む。

「…っ…!」
「初めて私との約束を破ったな、楸瑛。しかも、よりによってあの男と。」

 言い訳は無用というかの様に、ぎりぎりと手指に力が篭められて、楸瑛は苦しげにむせた。

「お前に会ったなどと、紅黎深は一言も口にしなかった。けれど、移り香がしたんだよ、楸瑛…一体二人で、何をしていたの?」

 ああ、あの人はそういう名なのだと、今の状況にそぐわぬ事を思った瞬間、叩きつける様に岩の上へ組み伏される。

「…お前は誰のものだい、楸瑛?」
「藍…家の…」
「そうだ。お前が紅家の人間と余計な関わりを持つことが、藍家の為になるとでも?」

 畳み掛けるような問いは、どんどん楸瑛の逃げ場を奪って。首を戒める手が、謝罪することすら許してくれない。

「楸瑛」

 名を呼ばれ、ふっと首筋から圧が退いた。反射的に息を吸い込んだ途端、唇に鋭い痛みが走って、兄である人に噛まれたのだとぼんやり思う。

「本当は、こんな形で手に入れたくはなかったけれど。放っておくとお前は他の者に奪われてしまうから、仕方がないね。」

 呟くように囁かれ、次の瞬間には、今まで受けたことの無い深い接吻がなされて。兄の言葉の意味を理解する時間など与えられずに、口腔内から体内の全てを吸い尽くされるようだった。
 ―――こんな口付けは、知らない。

 雪那が漸く唇を解放したのは、随分と長い間、濃厚な接吻を続けた後だ。

「唇は、あれには奪われていないようだね。でも…あの男にお前の移り香がした様に、お前の衣からもあの男の移り香がするよ。」

 言うが早いか、彼の手は素早く弟の着物を割り開く。

「…っ…兄上…!?」
「まさか肌にまで、香りが移ってはいないだろうね…?」

 屋外で肌を晒されかけて、必死で抵抗する楸瑛のことなど物ともせずに、雪那は露わになった楸瑛の首筋や肩を強く吸い上げた。
 痛みに息をのむ弟と、瞬時に真っ赤に染まった所有印に満足げに笑んで、雪那は更に袷を開いてゆく。現れた薄桃色の胸の飾りに吸い付き、もう一方を指先でこね回すと、楸瑛は未知の刺激に悶える身体を持て余した。

「気持ちがいいのかい、楸瑛?女のようだね。随分と感度がいいけれど、まさか以前にも誰かに触らせたことがあるのかな。」

 意地悪く言葉で責めながら、するすると帯を解いてしまう。
 胸への愛撫はそのままに、躊躇い無く局所へ指を伸ばすと、震えている弟の分身をゆるゆると扱いた。

「それともこの位なら、自分で慰めているのか。」
「あ…そ、んなことっ…」
「そう?でも流石にお前の歳なら、吐精する快感は知っているだろう?…私が、いかせてあげようか。」

 嫌々をするかの様に首を振った楸瑛の髪が、岩の上に散る。

「こちらは…どうだろうね。初めてかどうかなど、他の場所と違って、挿れれば一目瞭然だ。」

 そんな言葉と共に雪那の指先が軽く叩くのは、後孔の入り口。信じられない場所を探られて、楸瑛の瞳が恐怖に慄いた。

「な、にを…」
「怖いの?…そうだね、乾いたままでは酷か。」

 言うが早いか、雪那は弟の身体を抱き上げると、そのまま湖の中へと移動する。足を浸す程度ではなく、どっぷりと腰が浸かる深さまで―――雪那が身に着けている藍色の正装と、楸瑛の身体にかろうじて纏わり付いている衣が湖水の中で絡み合ってゆらゆらと揺れた。

「…っ…」
「冷たくて気持ちがいいね、楸瑛。私達の初夜には、悪くない舞台だ。…忘れようとしても、記憶に染み付いて消えないだろう?」

 言葉はとても優しげなのに、雪那の指は容赦無く弟の胎内に侵入を果たす。身に覚えの無い圧迫感に楸瑛は苦しげに喘ぎ、感じる締め付けの強さに雪那は満足げに笑んだ。

「誉めてあげよう。此処は誰にも与えずに、ちゃんと守っていたんだね、楸瑛。」

 私が初めての男だというなら、乱暴にするのは止そうか、と耳もとで囁く兄に、楸瑛は必死で助けを求めるほかない。そうする間にも、侵入を果たした指は縦横無尽に狭い後蕾を暴いてゆく。

「雪那…兄上…っ…お願いです、もう…お許し、下さい…ああっ…苦、しい…」
「許す…?ああ、私の言い付けに背いて紅黎深と関わったことか。ふふ、許してあげるよ、楸瑛…今夜を境に、ちゃんと心も身体も私のものになれたらね。」

 強引な約束と共に、挿入された指の数が増やされて。

「ねえ、まだ苦しいだけかい、楸瑛?段々と蕾が綻んで来たよ…それに、此処…此処に触れると、お前の身体が撥ねるね。」

 穏やかに語り掛けながら、ぐりぐりと一点を刺激する雪那に、楸瑛はたまらず小さな悲鳴を上げる。

「いいんだろう?お前の中が熱くうねって絡み付いてくるよ。初めてなのにこれほどとは、お前は素質があるね。…ああ、此処が誰が来るとも知れぬ”外”だから余計感じているのかな?」

 意地悪に責めながら前をもゆるゆると刺激すれば、美しい顔が苦しげに歪んで。恐らく自らの身体の反応を必死で抑えているのだろう。
 そんな弟の姿に、雪那の瞳がすっと細められた。

「…楸瑛。私に逆らうな。お前が拒めば拒むほど…私は幾らでも残酷になれる。」

 それまでと変化した兄の声に、楸瑛の肩がびくりと震えるのが分かる。
 怖がらせたい訳ではない、頭ごなしに支配したい訳でも―――けれど、この愛しい弟を自分だけのものにしておく為に、使う手札を選んでいる余裕など無かった。

 凍り付いたように此方を見る弟の唇に、己のそれを重ね、その隙に自らの衣服を解き放つ。既に十分存在を主張している分身を、先程まで指で愛撫していた場所に擦り付けると、反射的に弟の腰が逃げるのが分かった。

「逆らうなと言っただろう?…ねえ楸瑛、私がお前にどれほど執着しているか、まだ分かっていないの?」

 逃がさぬというかの様に抱擁をきつくして、強い力で先端を押し込む。弟の口からはあまりの衝撃から細く高い悲鳴が迸り、無意識の内の行動ではあろうが、初めて雪那の背に爪が立てられた。
 それを止める事無く、雪那は更に身体を進める。

「いいよ、楸瑛…傷跡は、今夜が夢幻でなかった証だ。」

 龍牙塩湖はその名の通り、真水ではなく、豊富に塩を含んだ水を湛える湖―――律動を繰り返す度、撥ねる水飛沫が傷口にかかってひりひりとした痛みがはしったが、それすらも甘美で。

「お前の内部にも、きっと傷がついているね。湖水に触れれば痛いだろう。可哀想だけれど、その痛みがあれば、今夜のことを忘れまい?」

 既に半ば意識を手放した状態の弟の中に、激情を注ぎ込む。それとほぼ同じくして、弟の分身からも白濁が溢れ出し、透き通った湖水にとけていった。

 大切に、両腕で抱き上げて。衣服でそっとくるんで、先ほど楸瑛が座していた岩の上に寝かせる。濡れた衣服のままというのは気が咎めたが、夜とはいえ、まだ暑い気候を思えば風邪の心配は無さそうだった。
 飽く事無く髪や頬に口付けを落とせば、まるでそれは創世の交わりのようで。

「一時の激情の代償に、後に残るは苦悩のみ、か。」

 自嘲のように囁かれた雪那の言葉を引き取ったのは、静かに近付いて来た二つの気配。

「「雪。」」

 綺麗に重なったその声は、生まれた時から生を分け合ってきた者達のものだ。常人には到底見分けられぬほど似た外見でも、各々の本質は確かに異なる。

「宴は父上に押し付けて来たよ。」
「もうすっかり酔漢の馬鹿騒ぎでしかないから問題ない。」
「紅黎深が、雪を止めに湖へ行けと言うので抜けて来たけれど…」
「今回だけは、黎深に感謝せねばならないのかな。」
「…元はといえば、黎深が此処へ来て楸瑛に出会ってしまったのが不幸の源だけどね。」

 間を空けず繰り出される片割れ達の言葉は、例えそれが暗に長兄への苦言を呈する代物であったとしても、行き場を失いかけていた感情を鎮めてくれる。

「…雪。龍蓮が戻るよ。」
「さっき鷹が知らせてきたから、もう着く頃だろう。」
「きっと、真っ先に此処に来る。あの子も、楸瑛が大好きだからね。」

 宥めるように両脇から肩に触れられ、雪那は漸く静かに立ち上がった。

「…分かった、この場は龍蓮に任せよう。楸瑛の意識が戻った時、私が枕元に居ても、怖がらせるばかりだな。」

 珍しく気弱なことを呟く雪那に、両側の二人は苦笑して顔を見合わせる。

「そうとも限らないけどね。でも雪の愛情は楸瑛には伝わりにくいかもなあ。」
「楸瑛は雪を”兄”として慕うというよりむしろ、”主”として従っているから。」
「このまま湖海城に篭めておくなら、雪から離れていくことはないだろうけど。」
「雪が本当に望む関係には繋がらないね。」

 岩の寝台に横たわったままの弟の身体に、次兄と三兄がそっと己の上着をかけてやり、両側から頬に口付けを落とした。

「「愛してるよ、楸瑛。雪にも、龍蓮にも負けないくらいね。」」



 飛び立つ水鳥の羽音と共に、藍家の末弟が姿を現したのは、三つ子の兄達が城に向かって姿を消したその直後。

「愚兄その一も、思い切ったことをする。執着とは、厄介なものだな。」

 まるで荒ぶる海神への供物の様に岩の上に取り残されたすぐ上の兄を見下ろして、龍蓮はぽつりと呟いた。

「楸兄上に関しては、私も人の事は云えぬか。」

 長身ではあるが、華奢な兄の身体を、ぐいと抱き上げる。歳の離れた龍蓮の腕にかかる負荷はそれなりのものだったが、兄の全てが今自分の腕に委ねられていると思うと、愛しさばかりがつのった。

「雪…様…」

 ふと、楸瑛がうわごとにそんな呼び名を呟いて。龍蓮は、思わず腕の中の哀しげな兄の顔をじっと見つめた。
 それはきっと、楸瑛がまだ幼い頃に長兄を呼んだ呼び名。立場も欲も、焦りも執着もなく、ただ純粋に優しさと思慕のみが満ちていた頃の。

「…なんだ。結局は両想いではないか。」

 少しだけ悔しげに龍蓮はそう呟き、腕の中の兄の額にそっと口付けを落とした。

「これくらいは、許されるだろう?雨降って地固まることを願っているぞ、愚兄。」

 天つ才たる彼が、その瞳でどんな未来を見たのか、知る者はいない。それでも、夜空に瞬く星の輝きは夜半を過ぎて一層さやけさを増し、海のように広き湖に降りそそいでいた。
 そう、まるで今宵そこを訪れた者達の未来を導くように。





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