Sincerely -G.Ver.-
「エルロンド卿よりの書簡でございます。」
裂け谷の重鎮である金華公が闇の森に脚を伸ばしたのは、谷の主からの書簡を携えての事だった。僅かずつではあっても、闇の勢力が力を取り戻し始めている。その件で闇の森にも注意を促そうという意図で送られた書簡であった。
「御苦労であったな。書簡には明日貴公がお帰りになる迄に目を通して置く。」
森の王、スランドゥイルは用件を聞き終えると淡々とそう言った。暗に今宵はもう下がれ、と命じられて、金華公は少し眉を顰める。
謁見の間にはかの王の数少ない側近が居るばかりで、この地に住む多くのエルフの姿は見えない。そう、あの緑葉の姿も。
「スランドゥイル様。時に、緑葉の王子はどちらにおいでです?」
面と向かってそう問いかけると、スランドゥイルの瞳が鋭い光を宿した。口元に儀礼的に浮かべていた笑みは、少々意地悪い物へと変化している。
「ほう?…裂け谷の金華公が我が緑葉に特別な用事でも?」
相手にかなりの圧力を掛ける話し方ではあったが、金華公も負ける事無く強い視線を返した。
「用事など無くとも…お会いしたいと思ってはいけませんか?」
双方の気配が挑戦的な物へと変わる。
「付いて参れ。」
短く命じて席を立つ王に、グロールフィンデルも無言で続く。連れて来られたのは森の中の、少し開けた野原であった。
「抜け。」
一瞬何を言われたのか理解出来ずにいると、再び命じられた。得物を抜け、と。
「刃を交えながらなら話を聞いてやらん事も無い。」
そう言い放つと、森の王は素早く地面を蹴る。どちらが持つ剣も、エルフの名工が鍛え上げた真剣だ。一瞬後には鋭い金属音が辺りに木霊した。
(くっ、早い上に強引な剣を使う方だ。)
(中々やるではないか。一太刀が重くてかなわぬ。)
打ち合う事数十回たっても、未だ決着はつかぬままである。二人とも引く事をせず、互いの意思を伝えるのは交える刃だけであった。
「王よ、このように激しく打ち合っていては何も話すことかないませんがっ」
荒い息の合間に金華公が叫んだのを合図に、双方が間合いを取って離れた。暫しの静寂。夕刻の森の空気が爽やかな風となって間を通り抜けた。
「それで?金華公は我が緑葉をお気に召して下されたのかな?」
漸く息を整えた後、スランドゥイルが発した台詞はやはり意地の悪い物であったのだが。
「弟の様に思って下されたか、はたまたもっと別な感情を抱かれたか。」
互いへ向ける探るような眼差しは変わらぬままで、二人とも手に下げていた抜き身の剣を鞘へと戻す。
「…もっと別な感情を、王。」
「…ほう。それを私に言うとは余程度胸があると見えるな。して、今までにそういうお相手は居られなんだか?私はついぞ耳にせなんだが。」
「長く生きて居りますから、皆無とは申しませんが。裂け谷での奉公でそのような暇が無かった事もございますし。…でも私をこれほど大胆にさせたのは貴方の王子が初めてです。」
険しかった森の王の瞳が不意に和らいだ。
「貴公もか。私もかつてあれの母を愛したくせに、あれを見てしまうと他の全てが色褪せて見える。…自分の息子にこのような情を抱くなど、業の深い証かもしれんがな。」
柔らかく発せられた音声は、未だかつて金華公が聞いた事の無い物だった。スランドゥイルが元来た方向へとゆっくりと踵を返す。
「そなたの心意気に免じて、邪魔立て致すような真似はするまい。緑葉ならこの時間は庭園に居る。」
背中越しに声を放られて、金華公はそっと頭を下げた。
庭園へと足を伸ばせば、森の王の言葉通りレゴラスがハンモックに揺られていた。
「緑葉の君。」
気配を絶って近づいてから、そう声を掛けると、閉じられていた翠色の瞳が大きく見開かれた。
「金華公!?闇の森においでだったなんて存じませんでした。」
頬に純粋な笑みを浮かべるレゴラスに、グロールフィンデルは穏やかに笑いかけた。
「貴方の父上の所に、エルロンド卿からの書簡をお届けに上がったんですよ。双子の御子息ではなく、私自身が伺ったわけは…」
ふっと言葉を切って、ハンモックに身を預けたままの王子の耳許に口を近付ける。
「貴方に、お逢いしたかったからですよ…。」
途端に、薄闇の中でも判る程に、王子の肌が桜色に染まる。その様子が愛しくて、金華公は王子の顎をそっと指で固定し、唇を重ねた。
「金華…公…。初めて、唇に触れて下さった…。」
歌うように囁かれた台詞と潤んだ瞳に誘われて、もう一度深く口付ける。今度の口付けは、長く、激しいもので。二人は息が上がるのも構わず互いを求め合った。
不意に、パキリ、と。聞こえよがしな木の葉を踏む音がして。二人は慌てて間に距離を取る。
音のした方を振り返れば、豪奢な金の髪を風になびかせた森の王が立っていた。そっと二人の方に歩み寄って来る。
「緑葉よ。」
間近で呼びかける声はこの上ない慈しみに満ちていて。怒られるのかと一瞬身を固くしたレゴラスはほっと肩の力を抜いた。
「…そなたの想いは、叶ったか?」
その、言葉に。レゴラスの顔に恥らう様な笑みが浮かんだ。
「…はい、父上。」
小さく囁かれた言葉は父王の耳にのみ届いたのかも知れない。
「此処はもう冷える。そろそろ中に入るがいい。」
何事も無かったかのようにそう言うと、父王はレゴラスをハンモックから抱き上げた。華奢な体は、父王の腕にすっぽりと収まる。
「あの、父上?」
戸惑うような息子の声を無視すると、父王はくるりと金華公に向き直った。抱き上げた息子を、彼の方へと差し出す。
「緑葉の部屋までそなたがこのまま連れて行け。体が冷えてしまっている、寄り道などするでないぞ。」
森の王の意図を汲み取って、金華公は緑葉の王子をそっと受け取り、彼の父王がしていた様に抱きかかえた。レゴラスが恥ずかしそうに、しかし幸せそうな表情で俯く。
「…それでは、失礼致します。」
金華公がそう言うと、スランドゥイルはその耳許で彼にだけ聞こえる音で呟いた。
『言い忘れたが。この森の中で、私に緑葉の嬌声を聞かせるような真似はするなよ。』
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