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Sincerely -A.Ver.-


「確かにアルウェンの事は愛している。だがレゴラス、俺はお前を手放したくはないんだ。勝手な願いだと分かってはいるが…どうか俺を置いて西方の島へなど、渡らないでくれ。」

 華奢なエルフを木の幹に押し付けて、熱くその耳許に囁いている男が一人。人の世の王となるべくして生まれ、見事に指輪戦争を制した男。勝利を手にし、数日内には念願のエルフの姫との結婚式を控えていた。


 此処はイシリエンの森の中である。自分達の種族の時間の終わりを感じ取り、西方の島へ渡ろうとするエルフ達が徐々にこの地に集まって来ていた。レゴラスの故郷である闇の森のエルフ達も又然り。
 そんな中、緑葉の王子も一つの選択をしたのであった。人の王であるこの男の婚礼が済み次第、この地を去り海を渡ることを。苦しい旅を続ける途中、何度も情を交わしたことが有ったけれど、心の何処かで、解っていた。
 この男と運命を共にすべきなのは自分ではない…彼に必要なのは王族の血を残せる聡明な女性なのだと。それはエルフの夕星、裂け谷の姫であると。


「頼むから…せめて俺が死ぬ迄は…。」

 そう掻き口説きながら、アラゴルンの手がレゴラスの体を撫で始める。上がって来る息の下で、レゴラスは寂しげに微笑んだ。

「…離して。」

 そう声を掛けても聞き届けられる筈は無く。施される愛撫は激しさを増していく。

「…酷い人だね、貴方は。誰も居ない中、一人残される私の気持ちなど考えたことはないでしょう?」

 何を語りかけても解ってくれる気配は無くて。ああ、又こうして抱かれて誤魔化されてしまうのか、と絶望した。でも今度ばかりは…貴方がどんなに頼んでも、私は海を渡るから。最期の別れの時位、優しい想い出にしたかったのに。

(…助けて…)

 傷ついた心が知らず悲鳴を上げても、目の前の相手は感じ取ってはくれなかった。


「其処で何をしておる。」

 不意に掛けられた低い声。はっとして振り返った先には、威厳ある金色の影。

「…父…上…。」

 レゴラスが喉の奥から搾り出した声に、アラゴルンが思わず押さえつけていた手の力を緩めた。その隙を逃さず、レゴラスはアラゴルンの腕を抜け、父王の立つ場所へと走り去った。
 気付かぬ内に零れていた涙を、父王の長い指がそっと拭う。

「…先に戻っておれ、緑葉。闇の森の者達も先程着いた所だ。」

 そっと背中を押してやると、レゴラスは覚束なげな足取りでその場を後にした。


「さて。」

 スランドゥイルの視線が鋭く人の王を射る。その厳しい空気に、流石のアラゴルンも抗する事が出来ずにいた。

「そなたが我が緑葉に何をしていたかなど、見れば分かる。」

 吐き捨てるように発せられた言葉には激しい怒りが込められていて。

「せめて自分が死ぬまで側に留めたいだと?ふざけるなよ。」

 ゆっくりと近付いて来たスランドゥイルは不意に短剣を抜くと、アラゴルンの首筋にぴたりと狙いを定めた。

「哀しみは我らエルフを死に至らしめる。裂け谷で育てられたそなたが知らぬとは言わせぬぞ。」

 剣の切っ先を押し付けられて、アラゴルンは微動だにしなかったが、その瞳は光を失わぬままである。

「愛したら、その全てを自分の物にしたいと望むのが人情というものだろう?」

 人の王が低く口にした言葉に、スランドゥイルは眼差しを更に険しくさせた。

「"愛したから"と側に縛り付けて、その後あれがどうなるかはお構いなしか!?」

 激昂した後、スランドゥイルはいつの間にか鷲掴みにしていた人の王の襟元を解放した。

「…話にならぬわ。あのように抗っていても…そなたが望めば恐らく緑葉はこの地を去らぬだろう。…たとえ父である私が止めてもな。だがあれがそなたの為に命を落とすような事にはさせぬ。思い上がるなよ、人の子よ。…お前ごときに私の緑葉の命を奪われてたまるものか。」

 そう吐き捨てると、スランドゥイルは振り返りもせずにその場を後にした。




 無情に日々が過ぎて行く。父スランドゥイルの予想に反して、アラゴルンがどんなにしつこく頼んでも、レゴラスがこの地に留まる、と首を縦に振る事は無かった。


 そうしてアラゴルンとアルウェンの婚姻の式も終わり、いよいよエルフ達が港から旅立つ日がやって来て。夕星王妃は父であるエルロンド卿と宮殿で別れを告げたのか、波止場まで見送りに来てはいない。

 船へと乗る架け橋の前で、レゴラスは佇むアラゴルンをゆっくりと振り返った。仲間と共に海を渡る、と固く決意したつもりでも、この男の瞳を見ると心が鈍る。
 アルウェンの様に口に出して運命を託す事はしなかったけれど、この人の王は自分の魂を連れ去って行くだろう。西方の島でこの体が生きていても、彼を置き去りにするこの心は死んでいるようなもの。
 月日が傷を…癒してくれる日は来るのだろうか。

 長いこと互いに瞳を見詰め合った。不意に、アラゴルンの唇が言葉を形作る。それに音声は含まれていなかったが、その動きでレゴラスには理解出来た。

『そんな切ない瞳で俺を見つめるくせに…西へ渡るのか?残れ、…他の誰でもない、この俺の側に。』

 レゴラスの唇が、きつく、噛み締められる。息子の様子の変化に気付いた父王が、ゆっくりとその背を支えた。

「心をこの地に残すのならば、無理に旅立たずとも良い、緑葉。…こうなるような、気はしていたのだ。心配せずとも、そなたが哀しみに沈む前に必ず迎えに参ろう。」

 肩を抱き寄せながらそっと囁く父王に、レゴラスの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
 アラゴルンがゆっくりと歩み寄ってくる。

「人の王よ。…暫しの間、緑葉は預けよう。心しておけ、お前に命ある限り、二度と私の緑葉を泣かせるような真似はするな。」

 その言葉に、人の王はゆっくりと頷いた。





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