Feel like teasing
「…エルロンド様…」
「…エルロンドと…呼んでみてはくれぬか…?」
「そ、そんな、主たる貴方を呼びつけになど…」
言葉の終わりを、掬い取るようにしてたたみ掛ける。どうしても、その慎み深い形の良い口から自身の名を紡がせたかった。
名は、呪。それを呼ぶことは最上の睦言でもあるのだから。
「よいのだ。そなたに名で呼ばれたいのだ。私の望み、叶えてはくれぬか…?」
ほんの、僅かな距離から瞳を覗き込まれて。対するエレストールの瞳が潤む。
「エ…エルロンド…」
途切れ途切れにそう発音しながら、雫の揺れる黒耀の瞳が酷く扇情的で。
「…エレストール…」
覗き込むエルロンドの視線も熱を帯びる。その熱さに耐え切れなくなって、視線を逸らさずにはいられない。
「…そ、そんなにじっと御覧にならないで下さい…恥ずかしいではありませんか。」
目元を僅かに赤く色づかせたエレストールが抗議するのに、エルロンドは穏やかに微笑んだ。
「想い人の顔を見ていたいと思うのはいけないか…?」
恥ずかしげも無くそう告げられて、思わず瞳を伏せてしまう。
「き、卿…そのような御戯れは…」
やっと紡ぎ出した言葉に、拒絶する様な響きは欠片も無く。エルロンドはそっとその頬に触れ、俯けられた顔を自身の方へと向けた。
「戯れ?戯れに思うか?…目を開けよ、エレストール…。」
主の温かい手の平の感触に。びくりとエレストールの肩が揺れ、閉じられた瞳が再び外気に曝される。
「卿っ…」
慌てた様に反応を返すエレストールに、エルロンドはふっと微笑むと、優しく額を触れ合わせた。瞳が間近に迫り、唇は未だ少しだけ遠い…絶妙な、距離に。
「…ふ…愛いな。エレストール…。」
そんな睦言と共に。
「愛いなどと…何をおっしゃるのです…」
顧問長が耳まで真っ赤に染まって反論したのは、ほんの少し、昔の事。まだ想いが通じ合ったばかりの頃の、ささやかな恋の駆け引き。
時刻はもう夕刻。一日の執務も、そしてロスロリアンからの使者の訪問も無事に終わったある日のこと。
「お疲れ様でした、卿。ロリアンのお使者も、無事に帰途につかれた様です。…誠に、ご立派になられた…押しも押されもせぬ、裂け谷の主に…」
ふっと、感慨深げな台詞がエレストールの唇から漏れる。ずっと、見守って来たのだ、彼が未だギル=ガラド上級王の下にいる時分から。自分は文官であったから、剣の指南等は出来なかったけれども。
「エレストール…そなたがいればこその今の私だ」
穏やかに見つめ返したエルロンドがそんな言葉を返す。
「そのようなお言葉を頂けるとは…嬉しく思います、卿。私の力など微々たるものですが、ずっと貴方のお側に御仕えする事をお許し下さい」
我ながら格式ばった忠誠の言葉だとは思ったけれど、ずっと側を離れたくないと想うのは本当。たまには、素直に言葉に乗せてみるのも悪くはないだろう。
対するエルロンドは、僅かに目を見張り、それから嬉しそうに微笑んで。
「許すも何も…そなたがいなければ私はこの地で生きることも出来ぬよ、エレストール。 ずっと、側に。」
愛しげに掛けられた約束の言葉。
「…私も…です。
小さな、小さな、声で返す。それでもエルフの耳に届くには充分で、エルロンドは思わず顔を綻ばせた。
ふと思いついて、少しだけ意地悪を仕掛けてみる。
「…聞こえぬ…」
低くそう呟いて、もう一度その口からその言葉を聞きたい、と願う。自分の台詞に僅かに目を見開くエレストールが、僅かに拗ねたような表情を作った。
「意地悪を、仰らないで下さい、聞こえていらっしゃるくせに…。」
少しだけ睨み上げるようなその視線に笑って取り成す。
「…嬉しい言葉を言ってくれたのだ。もう一度、エレストール。もっと近くで。聞かせてはくれぬか?」
視線がふっと和らいで。代わりに困惑したような表情が現れた。
「…ずるいですよ、卿。 貴方にそう言われたら、私が断れるはずなど無いことを御存知の筈なのに…。」
そんな表情にさえ、更に愛しさが増して。
「ならば言うてくれるな?」
優しい口調でたたみ掛ける。暫く躊躇った後、エレストールは静かにエルロンドの側へ歩み寄った。相手の耳元に唇を寄せて、小さく囁く。
『貴方を愛しております、と申し上げたのです。』
言い終えた瞬間、そのまま腰を抱きしめられて。
「私もだ。離さぬ…エレストール…。」
耳朶を甘く噛まれ、次いで口付けを受ける。
「ああっ」
敏感な耳朶に触れられ、思わずエレストールの口から嬌声が上がった。はっとして口元を押さえるが、既に出てしまった音声を引き止める事など出来よう筈も無く。
「ふ…可愛いな…」
そう呟かれて、熱くなっていく頬に気付かれたくなくて。相手の肩口に顔を埋める。表情が見えないと、知らず気分が大胆になって、普段は告げぬ睦言を囁いてみる。
「ずっと…離さないで下さい…。」
吐息まじりの声は、まるで誘っているようにも聞こえて、エルロンドは相手の腰を抱く腕の力を強めた。
「離しはせぬと、申しておろう…?そなたが望んでも離さぬ…。」
私がこの方から離れたいと思う時など、きっとないだろう。どんな時でも、お側にお仕えしたい…そう、離れたいと思う時が仮に来るとしたら、それはきっと私の存在がこの方の役に立てなくなった瞬間だろう。誰よりも大切に想う方に、迷惑など掛けられないから。
「こうしていると…何だかとても落ち着くのです。」
ふっと頭の片隅に浮かんだ思考を打ち消すように言葉を紡ぐ。
「私もだ。心穏やかになる…。」
穏やかな響きに一瞬感じた心の痛みが溶けていくような気がして。エレストールは黙って主の胸に頬を寄せた。
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