In the Afternoon
闇の森から名目上は使者として訪れたその王子は、任務後の僅かな余暇を裂け谷で過ごしていた。若き純血のシンダールである彼は、滞在中その軽やかな歌声で谷のエルフ達を楽しませていたが、何故か今日はその姿が見えずに。
何気無い振りを装って谷の重鎮がそんな彼を探し始めたのは昼下がりの事。時折彼が居る事もある谷の主専用の庭園にも、流れ落ちる美しい滝壺の近くにも彼は居なかった。
ふっと思いついて木立の中の散歩道を辿ってみる。確か少しだけ開けた草原があった筈。
草を軽く踏み分けてその場所へと向かうと、案の定明るい金色が目に飛び込んできた。一面に広がる草の絨毯の上に緩やかに座り、心持ちぼんやりとしている。いつもその唇から流れ出てくる歌は今は聞こえていなかった。なにか考えに沈んでいるであろう事が見て取れる。
声を掛けるべきか、それともこのまま引き返すべきかと暫しの間悩んでから、結局グロールフィンデルはその後姿に声を掛けた。
「レゴラス王子。」
グロールフィンデルが掛けた声に、緑葉の王子は驚いた様にさっと振り向き、その拍子にさらりとした金色の髪がふわりと散る。
「!金華公…いつから其処においでだったのです?」
深い翠の瞳に自分が映るのを認めて、グロールフィンデルはそっと王子の傍に座り、その髪に優しく手を差し入れた。
「そのような、他人行儀な呼び方をなさらなくてもいいのですよ。ただ、”グロール”と呼んで下さればいいのに。」
王子の瞳が困ったように揺らめき、その唇が「でも…」と言葉を形作るのを、グロールフィンデルは空いた方の手をその唇に押し当てる事で止めた。
「さあ、呼んでみて下さい。…それとも、私の親愛の情など迷惑ですか?」
王子が困惑するであろう事を知っていて言ってみる。心持ち口の端を上げて。
「そんな、とんでもないです、…あの、…グロール…。」
案の定困惑して顔を赤らめた王子が自分の名を呼ぶのを、グロールフィンデルは微笑んで受け止めた。
「…貴方は、とても穏やかな方なんですね。伝説のバルログバスターだからか、御髪の色が父上に似ておいでだからか、とても鮮烈なイメージがあったけれど…。」
ふっと俯いたレゴラスが、そんな言葉を紡ぐのに、グロールフィンデルはほんの少し目を細めた。
「貴方の今の言葉をエルロンド卿の双子の御子息に聞かせたら何と言うか。きっとグロールフィンデルは鬼のように厳しいのにって反論するに違い有りませんよ。」
軽く笑ってからすっと語調を真面目なものに変える。
「闇の森の王は…息子である貴方にも”鮮烈”なのですか?」
少しだけ、間が有って。答えがぽつりと呟かれる。
「ええ…父上は…とても激しくて…私は時々父上が分からなくなる…」
下を向いたままそう答えるレゴラスの表情に僅かに影が差したと感じたのは、気のせいではないだろう、金華公は思った。長年培った勘で何となく察しが付いてはいた、この王子とその父親の間には特別な何かが有る、と。
「王子。誰しも、心の奥底には秘めた想いがあるものですよ。お父上の激しさの裏には、何かが秘められているかもしれないし…」
と、そこで一旦グロールフィンデルは言葉を切り、王子の耳許に唇を寄せる。
「この私とて、貴方に見せる穏やかな表面の下に何を潜ませているかは分からない。」
囁く様にそう告げ、相手の耳元に軽く口付けると、金華公はそっと立ち上がった。
「御機嫌よう、緑葉の王子。もうすぐ日も翳ります。もう少しだけもの思いに沈んだら、早めに館にお戻りなさい。」
軽やかにそう告げると、足音を立てる事も無くその姿は森の中へと消える。
今は未だ、閉ざされた扉を開ける時ではない、とそんな事を思いながら、金華公は既に長い影を落としている夕日を眺めやった。
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