歳時記 * 元旦 -天照-
「よう、…何考えてやがんだよ。」
絶壁の上に立つ銀色の孤高の影。
従者の小妖も、そして養い子だという人間の少女も連れてはいない。
「…お前か。」
やっぱり振り返る事無く佇むのはいつもの事。
ただ、その後姿がいつもより更に遠く思えるのは気のせいではないだろう。
「なあ…誰か、待ってんのか?」
諦めずに根気強く、声を掛けると。
不意に兄の肩がびくりと震えた。
「お前にしては、珍しく…勘が良い様だな。」
当たり、って事かよ。
「折角短絡的なその思考で正しい答えを引き出したのだ、早く立ち去るが良かろう。」
何だよ、待ち人と会うのに俺が邪魔だって事なのか…?
少しだけ不満な気持ちが頭をもたげて、それでも相手の後姿から目を離せずにいて、ようやく一つの事実に気付く。
「おい…震えてるじゃねえか、寒いのか?」
思わず駆け寄って掛けた声に、兄はゆっくりと顔を俯けて表情を隠して。
兄よりも低い犬夜叉の目線から僅かに見えた横顔には、一筋光るものが流れている様にも見えた。
「身体が寒いんじゃ…ねえんだな。心が寒くてたまらねえのか?それを誰にも知られたくなくて、こんな所で独りで耐えてるのか?」
ごく自然に口にのぼる気遣いの言葉。
私にそんな感情があると思うのか、と無言のままに反論してくる兄の気配には、しかし常の様な怜悧さは無い。
振り払われるかな、と思いながら差し伸ばした手は難なく兄のさらさらとした髪の感触を捉え、次いで頭ごと引き寄せた。
あまりにも何の抵抗もされない事に驚いて思わず顔を覗き込めば、静かに目を閉じたままの兄がゆっくりと言葉を発する。
「こんな時だけ…お前は父上にそっくりだな…」
親父…?
お前がこの寒空の下で一歩も動かずに待っていたのは、親父、なのか…?
親父はもうこの世を去って久しいのに、未だお前は…親父を、待ってるのかよ。
「なあ、もういい加減解放されたっていいんじゃねえのか?…親父は当の昔に死んだんだ、お前が一番分かってんだろ?」
思わず口をついて出た咎める様な言葉に、殺生丸が僅かに眉を寄せた。
「…知っている。だが、父上があの時ああして夜半に私を探しに来て下さった今日という日位…例え現の姿であらずともお逢い出来るかもしれないと思うのは…やはり私が未練を捨てきれぬからなのだろうな。」
何でそんなに静かで、穏やかな口調で言うんだよ。
普段の俺の言葉には、翻る刃でもってしか答えてくれないくせに。
それとも目を閉じたまま、俺の中に親父の面影を重ねてるのか?
それに、親父は俺の知らないこいつの姿を知ってるんだよな。
俺が知ることなど出来る筈も無い、こいつの姿を。
…俺はその時まだ、生まれていなかったんだから。
募る苛立ちを何とか抑え込もうとして出来ずに、言葉に詰る。
と、じっと見つめ続けていた瞼が不意にゆっくりと開き、黄金色の瞳が犬夜叉を捉えた。
「…父上ではなく自分を見ろ、とでも言いたげだな、犬夜叉。」
真っ赤になって黙り込む犬夜叉にちらりと目線を流して。
「もう間も無く夜も明ける。…お前の御蔭で待ち惚けはくわされずに済みそうだ。」
何でも無い事のようにさらりと言葉を発する兄は、未だその身体を捉えている犬夜叉の腕をそっと抜け出して崖へと向き直る。
ざあっと吹いて来た風がその銀糸を乱して靡かせて。
無言のままに目線を前方へとやり続ける兄に習って同じものを見つめれば、いつしか闇色の空に黄金色の光が差し始める。
「陽が、昇るな。」
その言葉が合図の様にその光はどんどんと強まって、やがて銀色の兄の姿ごと黄金色に染めかえた。
「綺麗、だな。」
犬夜叉の感嘆の声に特別な日の朝日だからな、と静かに答える殺生丸。
違う、俺が綺麗だと思ったのは…朝日じゃなくてそれに照らされたお前なんだ、と心の中だけで呟いて、そっとその場に背を向ける。
日の出、それは夜の終わる刻。
一時その生きる道が交わった兄との時間が終わる刻。
いつもの日常が、四魂の欠片を探して戦いに明け暮れる日々が又戻って来る。
それに、あの兄がわざわざ連れのガキを置いて日の出を見に来たって事は…何か一人で記憶の中の親父の残像と対話したい事があったんだろう。
だったら…多分俺はもう、立ち去った方がいい。
果たして兄に呼び止められる事は無く、犬夜叉はそのまま足を早めて仲間が宿をとっている方角へと走っていく。
兄の隣で見た朝日の清冽さが、そしてそれを浴びた兄の一種神々しくも感じられる姿が、瞼に焼き付いて離れなかった。
* * *
あの頃は、辛かった。
父上…貴方が夕刻にお出掛けになる度に、心が引き裂かれる様に感じるのを押し隠すのが大変だった。
けれど、不思議なものですね。
貴方がそうして作った私の異母弟が、今は私の心の支えになり始めている。
貴方がいない寂しさを、一時なりとも忘れさせてくれる。
そう、その言葉を使う事を昔は躊躇ったけれど、心の中で思うくらい良いだろう。
寂しいと感じずには居られないのです…貴方がもうこの世に居ない事が。
もうきっと二度と、その腕の強さを感じることなど出来ぬという事が。
朝日の投げ掛ける熱が、冷えたこの身体を温めていく。
そして弱り始めていた心に、今一度強さを与えてくれる。
来年の今日、又此処に参りましょう。…かつて貴方と共に時間を過ごしたこの場所へ。
貴方が生きていたら見守ったであろう物を、私が代わりにこの目に見納めておくから―――。
◇ 後記 ◇
『DYS』の後藤あづみ様がP-BBSにお描きこみ下さったイラストに再びインスピレーションを頂いて執筆した、『雪隠』の対で、年始がテーマでした。父君から犬君へ、お相手の世代交代が(笑)
2004/01/14 Shisui Gagetsu
||
Index ||