懐刀
※設定
いつの世も変わらず、自分達と異なる者、特殊な強い力を持つ者を恐れ、忌み嫌う人間の世界。しかし、その人の世の頂点に立つ者は一匹の大妖であった。それを知られればいらぬ反発を招き、危険にさらされるのだと知っていた故、その妖はいつも人形を取って毎日を送っていたのだが。大妖の息子達、殺生丸と犬夜叉は腹違いの兄弟で、皇子でありながら臣下として下った身。殺生丸の母は既に没していたが、犬夜叉の母は病に苦しんでいた。その十六夜に典医として付いたのが右手に秘密を持つ典医、弥勒であった。
「よう。」
そんな言葉と共に姿を現した異母弟を、殺生丸は欄干に腰掛けたままちらりとみやった。
「…この様な時刻に…何かあったか。」
時刻はもう丑の刻。
月の無い今宵の暗闇は完全な妖である殺生丸には大して苦にもならなかったが、それでも周囲の暗さがいや増して何処か不気味な雰囲気さえ醸し出していて。
「別に、何もねえよ。…てめえこそ、こんな晩にまで寝ずの番か?」
乱暴な口調の犬夜叉から視線を外して、殺生丸は再び物言わぬ暗闇を見据える。
「この様な晩だからこそ、だ。…用が無いなら、もう戻れ。」
素っ気無い返事。
兄がそんな言葉しか返さないのはいつもの事だが、犬夜叉は無性にそれが悔しかった。
「…帰らねえよ。もし賊が現れた時にてめえ一人じゃ分が悪いだろうからな、手伝ってやらあ!!」
本当は、知っている。兄が一人でも十分に強い事、そしてその強さを捧げている唯一の相手が大妖である父なのだと。
「犬夜叉、今宵は妖力が衰える夜だろう。」
…はっきりとは言わないが、兄は遠まわしに足手まといだと言っているのだろうか。こんな時ほど、半妖である自分が口惜しいと思う事は無い。
「…ちっ、嫌な晩だぜ。」
思わず漏れた言葉に、殺生丸が弟の闇色の髪をさらりと撫でた。
「…それでも、朔の御蔭で今宵は人間共に喧嘩を売られる事も無かろう。」
ごく穏やかで、そして真実をついた言葉。
確かに朔の晩にだけ、自分の犬耳は隠れ、ごく普通の人間の見かけを得る。そして妖刀・鉄砕牙もその力を示さなくなるのだが。
「けっ、売られた喧嘩なんかいつだって跳ね返してやるぜ。だから…妖力が衰える様なこんな晩なんか…無い方がいい。」
殺生丸はそれきり何も言葉を発する事無く闇を見据え、犬夜叉は暗がりで殆ど見えぬそんな兄の横顔を眺めていた。
不意に辺りの空気が変わったのを、妖怪である殺生丸の五感が鋭く捕らえる。
(やはり、来たか…)
心中にそんな事を思いながら、未だ傍らに居る異母弟に低く声を掛ける。
「早く戻れ、…それが嫌なら、暫く父上の御簾の中にでも隠れていろ。」
だが、負けん気の強い弟がそれに素直に従う筈も無く。兄の言葉の意味するところを悟って、反応せぬままの刀を抜いた。
「どっちもごめんだぜ。…てめえ、放っといたら親父の為なら平気で自分を投げ出すだろ。」
そんな風に言う犬夜叉の言葉はある意味的を得ているかも知れない。殺生丸はそれに答える事無く、遠からず到着するであろう敵の気配に身構えた。
「やっぱりてめえらが居たか。」
「おやあ、今日は可愛い犬耳はどうしたんだあ?まあ、黒髪のお前も可愛いけどな。」
聞こえて来たのは七人隊と呼ばれる人間の賊のうちの二人の声。その後ろに物言わぬまま佇んでいるのは睡骨であろうか。
「残りの四人が何処にいるか気になるか?銀骨と凶骨は俺達の根城の守り、霧骨と煉骨は犬夜叉、てめえの母親ん所に向かわせてるぜ。」
賊の首領・蛮骨の言葉に、思わず犬夜叉の動きが止まる。
「なに…?おふくろは関係ねえだろっ!!」
我を忘れて怒鳴る犬夜叉に、蛮骨と蛇骨が笑い。思わず身を乗り出した弟を殺生丸が左腕で制止した。
「落ち着け。お前の母の所にも父上が数人守りの者を付けた。…暫くは持ち堪えられる筈だ。私が道を拓いたら…後ろを振り返らずに母親の所へ行け。」
視線は対峙した相手の三人から離さぬまま、低い声が強い響きで夜の冷気に冴える。
「へえ…お優しいこってすねえ。俺と兄貴と睡骨なんか、一人で軽く相手が出来るとでも言いたげだなあ。」
にやりと笑んだ蛇骨が、早速その背に負った蛇骨刀に手を掛けて。次の瞬間にはその仕込み刀が複雑な動きでもって二人を襲う。
殺生丸は難なくそれを避け、抜刀した闘鬼神の剣圧で逆に相手を吹き飛ばした。
「へえ、中々やるじゃねえか、蛇骨の攻撃を受け流すとはよ。」
そんな風に言いながら今度は蛮骨が蛮竜を抜く。
「じゃあ、俺のこれはどうだ!!その細っこい身体で受けられるかよ!!」
腕っ節の強い蛮骨の振り回す大鉾・蛮竜の威力は確かに強い。
もっともかわしてしまえば問題は無いのだが、背後に妖力を失っている弟と父の休む寝殿を庇った状態では中々に厄介だった。
それでもぎりぎりと刃を押し返す殺生丸に、犬夜叉が必死で声を掛ける。
「おい、何で親父を呼ばねえんだよ、殺生丸!!どうみても多勢に無勢じゃねえか、くやしいけど俺は今は足手纏いにしかならねえし。」
そしてそんな犬夜叉を振り返らぬまま、殺生丸も声だけを放った。
「馬鹿な事を申すな、こやつらの狙いは私でもお前でもなく父上だ。父上を呼んだらそれこそ相手の罠に屈した様なもの。」
兄の言葉が正論だと分かっていながら、犬夜叉は唇を噛み締め、そして漸くある事実に気付く。
館の前でこれ程に派手な戦いが起こっているのに、大妖怪たる父が気付かぬ筈は無い。気付いていないとすれば、それはこの目の前の兄が結界を張って外の喧騒を中に伝えぬ様にしているからだろう。
「馬鹿野郎、結界なんか解けよ!!それだけだって妖力を使っちまうんだろうが!!」
悲痛に叫ぶ犬夜叉の背後に、不意に今まで動く事の無かった睡骨が立ち、一瞬後には犬夜叉を地面に押さえつけていた。
「…剣を引け…さもなくばこいつは殺す…」
睡骨の手に装備された武器は既に犬夜叉の首を狙っていて。妖力さえ失っていなければこんなへまはしなかったのに、と犬夜叉が唇を噛む。
「…かまうこたあねえ、俺はそう簡単には死なねえよ。だから…」
顔を顰めながらそう言う犬夜叉に睡骨の武器が更に近付けられるのと、殺生丸の妖気がざわりと揺れるのが同時だった。
(何だ…?)
兄が怒りのあまり原型に戻ろうとしているのではない、何故ならば優美な人形を取るその姿はつい先程までとなんら変わりがないからだ。
でも確かに場の空気が変わった。一体何が・・・と思う矢先、真後ろの御簾がするりと跳ね上げられ、犬夜叉を押さえつけていた睡骨の喉元が刀に突き刺されていた。
「無事か、二人とも。」
何だよ、親父が此処にいるって事は殺生丸が結界を解いたのか。…俺が、捕まったりしたから。
「睡骨っ…!!てめえ、よくも俺の弟分を…」
眦を吊り上げる蛮骨と、『ようやっとお出ましか…』と唇を歪める蛇骨。
父に向かって投げ打たれた蛇骨刀を割って入った殺生丸が咄嗟に跳ね返す。続いて渾身の力で繰り出された蛮竜の一撃は父が受け返した。
狭い場所で渡り合うのは不利であったので玉砂利の敷いてある庭へそのままひらりと敵を誘う。
「父上…犬夜叉の母の許へこやつらの仲間のうち二人が出向いているとか…犬夜叉を連れてそちらへお向かい下さい。」
互いに背を守る形になった父へと向けられた殺生丸の言葉に、父の眉が寄せられる。
「…お前はどうする、殺生丸。」
本当は、聞かずとも息子が答えるであろう内容は分かっていたけれど。
「…此処を片付けてから伺います。」
小声でそう言う所へ、蛇骨の声が割り込んで来た。
「何をごちゃごちゃ話してんだあ?!!」
蛇骨が繰り出した刀が殺生丸を狙うと見せかけて背後の父を襲う。跳ね返そうとして間に合わず、咄嗟に身をずらして父を庇った殺生丸の腕に一筋、鮮血が滴った。
「殺生丸っ」
今はただ濡れ縁から見守るしか出来ない人間の姿の犬夜叉がその光景に痛々しそうに兄の名を呼ぶ。
「へえ…意外だったなあ、冷徹そうな面して、自分を犠牲にしてまで親父殿を守るたあね。」
蛇骨が再び口の端を歪めるのと、父が低く下の息子に声を掛けるのが同時だった。
「…犬夜叉、お前に渡した鉄砕牙を今一度私に返せ。」
抑えていながら、十分な怒りの篭った父の声に、犬夜叉は黙って求められた刀を腰から外し、庭先に向けて投げる。くるりと空中で一回転したそれは、一瞬を置いてまるで引き寄せられる様に父の手へと納まり、瞬時に錆刀から見事な妖刀へと変化を遂げた。
「風の、傷っ」
犬夜叉のそれとは又違う刀の振り方に蛮骨が驚いた時にはもう遅く。その硬さを誇った大鉾に僅かな皹が入っていた。
「…今日の所は一旦引くぜ、蛇骨。」
武器に傷がついては戦うのが困難だと判断したのかそう言い捨てる蛮骨に、蛇骨が『分かったよ、大兄貴。』と頷き、喉を貫かれて絶命したであろう睡骨に一瞬視線をくれると屋敷を抜け出そうと塀を越える。
「追いまするか、父上。」
問い掛けた殺生丸の腕を掴み、父である大妖はゆっくりと首を振る。
「…その様なことよりも、そなたの手当てが先だ。弥勒は何処におる。」
半ば独り言の様に呟かれた問いへ、『おふくろの所にまだいると思うぜ』、と近付いて来た犬夜叉が答える。
「この程度の傷、自分で手当て出来まする。…父上は犬夜叉を連れて、早う渡られた方が良い、あの二人が退いたからとてあちらも退いたとは限りますまい。」
父の前に膝を折り、今尚冷静な言葉を紡ぐ殺生丸を、父はそっと目線で制した。
「済まなかった、世話をかけたな、殺。」
「まったく、あんた達が来るのがもうちょっと遅かったら私達みんな死んでたんだからねっ!!」
凄い剣幕で犬夜叉に文句を言っているのは、犬夜叉の母のお付きの侍女となったかごめである。
犬夜叉の父が予め張っておいた結界と、居合わせた他の者達の御蔭で何とか持ち堪えられたものの、煉骨の炎と霧骨の毒を一度に相手するのは至難の業であったらしい。
「しょうがねえだろ、俺達だって大変だったんだよ。」
不機嫌そうな顔になるのは、未だ夜が明けない為黒髪のままの姿の犬夜叉。
その近くでは、父に促されて仕方なく着衣の袖を捲った殺生丸の腕の傷を典医でもある弥勒が手当てしていた。
「これは…急所には達していませんがそれなりに深いですなあ…随分と痛いのではありませんか、殺殿。」
雪の様な肌にくっきりと残る紅い痕に眉をひそめつつそんな事を言う弥勒に、しかし殺生丸は大事無い、とそっけない返事だ。手早く巻いた包帯の上からその腕へと弥勒がそっと口付けを落とした時には、彼は何も言わずただ腕を預けていただけだったけれど。
朔が明けるまであと数時間。
無言のまま弥勒の隣に座している兄と、その兄が夜半に触れた自分の黒い髪を見やりながら、犬夜叉は妖力が戻る朝へと思いを馳せた。
何を考えているのか未だに思考が読みきれぬ怜悧な兄。
それでも、その言葉や行動が不意に胸の中に温かな灯火を点して行くのは何故だろう。そう、自分の一番嫌いな朔の夜にさえもぼんやりとした光を投げ掛ける灯火を。
◇ 後記 ◇
花園様から拝領した2004年御年賀DLFイラストが、何とも見事な平安衣装でしたので、御礼も兼ねて平安パラレルを書かせて頂きました。表面上はそっけなくとも、実はそっと弟を見守ってやっている兄…というのが私の中でのイメージなのかも知れません。
2004/01/06 Shisui Gagetsu
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