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銀の風





「なあなあ殺生丸、頼むって…乗せてってくれよ、学校までさ。どうせお前だって会社に行くんだろ?通り道じゃねえか。」

 毎度の事ながら腕に縋りつくようにして泣きついて来る弟に、殺生丸は渋い顔をした。

「何だ、又寝坊したのか、犬夜叉。」

 そう言い当てられてしまうと犬夜叉はぐうの音も出ない。
 両親が既に他界しているせいで、若くして一族を纏めるこの兄と同居をしているものの、食事等の生活リズムはお互いにずれていて。従って例え犬夜叉が寝過ごしたとしても、殺生丸がわざわざ起こしに来てくれる訳では無かった。

「ま、まあそうだけどよ…お前にだって責任の一端があるんだぜ、ゆうべ可愛い弟が宿題に悩まされてるっていうのに教えてもくれなかっただろ。」

 忙しげに書類鞄に必要なものを詰める兄の後ろをめげずに犬夜叉はついて回る。

「人のせいにするな。大体、教えてやってもいつもまともに聞いていないでどこかに意識を飛ばしているのは貴様だろう。」

 ぴしりと言う殺生丸に、流石に犬夜叉も困った顔をした。
 殺生丸が勉強を教えてくれるのは分かり易くて凄く好きなんだけど。どうしてもこう、何というか、兄の繊細過ぎる綺麗な白い指先とか、すぐ近くで揺れる睫毛とかに目が行ってしまうのだ。

「だからさあ、ごめんって。頼むよ殺生丸、今日だけ、なっ。」

 まったくこの押しの強さは一体誰譲りなのだろうな。
 小さく溜め息をつきながら殺生丸は自分の書類鞄を手に取った。

「さっさとしろ、ぐずぐずするなら置いていく。」

 その一言に犬夜叉は顔中に満面の笑みを浮かべると、鞄を取りに二階へ駆け上がって行った。いつも殺生丸が弟の頼みを最後には聞き入れてくれる事を、彼は長年の習慣で知っていたのかも知れない。
 それに、二度ある事は必ず三度あるもので。犬夜叉が寝坊して兄に車での送迎を頼むなど、これが最後の筈は無かった。

 ガレージに降りて行くと、其処にはもう運転手が車を準備して待っている。
 殺生丸は後部座席に優雅に腰を下ろして手元の書類を眺めていた。その隣に乗り込んだ途端、『遅い』と短い一言。それでも車から摘み出しはしないあたりが兄の不器用な優しさだと思う。
 座り心地の良いシートに身体を沈めると、途端に空腹感が犬夜叉を襲った。ぐうう、と鳴る腹の音に思わず気まずげな表情をした途端、銀色の包みがぽいと膝の上に放られる。

「食い損ねたのだろう、適当に腹の中に入れておけ。朝っぱらから倒れられてはかなわぬ。…ああ、零すなよ、車が汚れる。」

 細かい所で気の効く兄貴だよな…。
 そんな事を思いながらアルミホイルに包まれたサンドイッチに遠慮なく齧り付く。出来るだけパン屑を零さないようにほんの少しだけ、注意しながら。

「ああ…それで昨晩やっていたとかいう課題は済んだのか。」

 書類に目を通しながら思い出した様に兄が問う。
 何だよ、一応気には掛けてくれてたのかよ。

「一応やったけど…いくつか分からなかったから飛ばした。」

 サンドイッチを頬張りながらそう言う犬夜叉に、殺生丸は溜め息をつく。無言のまま左手を差し出されて、それが『見せてみろ』という兄なりの合図なのだろうと犬夜叉は受け取った。
 自宅から犬夜叉の学校までは電車で五十分程の距離である。車を使えばそれは三十分位に短縮されるが、それでも兄に問いを教えて貰う時間は充分にあった。
 鞄を開けてプリントとノートを取り出して兄に渡す。ぺらぺらと頁を繰っていた兄が、明らかに空いているその問いを見つけ、胸ポケットから出したシャープペンシルをさらさらと走らせてその隙間を埋めて。
 むしゃむしゃと口を動かしながら、犬夜叉は書かれた文字達を追っていた。

「…こうだ。…未だ理解出来ない所があるか?」

 書き終えた殺生丸が薄く瞳を閉じる様にして僅かに上を見上げ、そう尋ねて来るのはいつもの癖だ。

「いや、分かったぜ。ありがとな、殺生丸。」

 そんな風にして、登校時間中に兄は残っていた課題を全てこなしてくれた。返されたノートを鞄にしまう頃には、もう遠くに校門が見えて来ていて。

「犬夜叉様、もうすぐ着きます。」

 運転手の無機質な声がそれを告げる。
 おう、と頷こうとして、隣に座る殺生丸が座席の背もたれに深く身を預けて目を閉じているのに気付いた。

「おい、大丈夫か、殺生丸。…もしかして、車酔いしたのか?」

 流石に兄弟だけあって、兄がどうしてそんな状態になったのかには気付く。

「悪い、俺の課題見てくれてたから…」

 謝る犬夜叉を殺生丸は緩く手を振る事で制した。

「大事無い。…それに、お前のせいではないから気にする事はない。早く行け、無茶をしすぎて怪我をするなよ。」

 気丈にそう言うものの、彼の瞳は閉じられたままで。

「ほんとに大丈夫かよ、顔色悪いぞ?」

 更にそう重ねる犬夜叉に、漸く微かに潤んだ瞳が向けられる。

(うわっ…不意打ちかよ…何かすっごい色っぽいんだけど。)

 そう思った犬夜叉の心の内を兄が知る筈は無いのだろうが。

「じゃあ、行って来るけど。…ほんとに身体は大事にしろよ?それと、朝飯サンキューな。」

 それだけを告げて、車のドアを開け、ばたんと閉める。車はすぐに又、滑る様に動き出した。



「よう、犬っころ。又車でお送りか、いいご身分じゃねえか。」
「犬っころって言うんじゃねえ、痩せ狼のくせしてっ!!」
「やかましいっ、てめえだって言ってんだろうがっ」

 校門をくぐれば、最早毎日の恒例行事のような口喧嘩が始まる。
 痩せ狼と言われた、やはり気の強そうな少年は犬夜叉の喧嘩仲間で、名前を鋼牙と言った。彼の後ろで少し引き気味に成り行きを見守っているのが白角と銀太という鋼牙の子分達だ。

「おっと、今日はそんなこたあどうだっていいんだよ。てめえ、さっきの車に一緒に乗ってた美人は誰だ!?かごめと二股かけようなんて、いい度胸してんじゃねえか。」

 自分から喧嘩を振っておきながら、不意に鋼牙があっさりと矛先を変える。

「は?」

 思わず聞き返した犬夜叉に、とぼけんなよ、と鋼牙は更に眼差しをいからせる。

「一緒に乗ってた…って殺生丸の事かよ。」

 あの車に乗っていたのは殺生丸と運転手と自分だけ。
 鋼牙が”美人”と評するという事はまさか運転手では無いだろう。該当するのは気を抜けば見慣れた俺でも見惚れてしまう様な美貌の持ち主である兄しかいない。

「殺生丸って名前なんだな…。」

 名を聞きだしてぼうっとしてしまった鋼牙を、後ろの二人と犬夜叉が不審気に見つめる。

「おい。何を勘違いしてるか知らねえけどな、殺生丸は俺の兄貴だ、てめえの考えてるようなもんじゃねえぞ。」

 そう説明しても、鋼牙はどこかぼんやりしたまま。その視線は殺生丸の車が走り去った方角に向いていた。



「おい、てめえも、今日の課題当てられてただろう。勝負しようぜ。」

 二限の数学が始まる前の休み時間、鋼牙が犬夜叉にそんな勝負を吹きかける。
 彼らのクラスではそれは別に珍しい光景でも何でもなかった。暇さえあればこの二人は競争し合っているのだから。

「何だよ、また”かごめを賭けて”とか言いやがんのか?」

 一応は面倒くさそうにそう言ってみる犬夜叉も、結局はいつも喜んで挑発に乗るのだ。
 だが、今日は。いつもと違う所が一つあった。
 それは、これに続く鋼牙の台詞。いつもなら『待ってろよ、かごめ!!』と言う所であったのだが。

「今日は違うぞ、賭けるのはかごめじゃねえ、お前の兄貴を賭けろ。」

 鋼牙の台詞にクラス中が固まる。『両手に花も今日までね〜』と冗談を言いつつ笑う女友達に肩を叩かれながら一番石化していたのはかごめかもしれない。
 いや、勝負の相手である犬夜叉か。

「てめえ…何言ってやがる、殺生丸は俺の兄貴だ、てめえのじゃねえっ」
「そんなこたあ知ってんだよ、だから俺が勝ったらてめえの兄貴に俺の事紹介しやがれって言ってんだ。」
「紹介したらあいつに何するつもりだ!どうせやましい事考えてんだろ、そうはさせねえぜ、いつも通り返り討ちにしてやらあ!!」

 勝負を受けなければ良さそうなものだが、単純思考の彼らの辞書に引き下がるという言葉は無い。
 犬夜叉が力一杯叫んだその時、丁度始業のベルが鳴った。

「…それじゃあ、当たっていた二人、前に出て。予習してきたノートを見ずに黒板でこの問題を解きなさい。」

 教師の言葉が終わるか終わらないかという間に、土煙を巻き上げそうな勢いで二人が黒板に突進する。答えの正確さよりもむしろ書き上げる速さを競っているんじゃないかとクラスメートの大半が思った。
 今年の数学の教師は前の時間に数問宿題を出し、予め当てておいた生徒達にその中から一問、ランダムに選んだ問題を何も見ずに黒板で解かせる。勿論全問完璧に予習してあれば問題はないのだが、一問だけやり残した問題に当たったりすると正に悲劇だ。
 黒板に書かれた問題は丁度今朝殺生丸が車の中で教えてくれたものだった。

 助かったぜ、殺生丸。鋼牙に負けるのだけは耐えられねえからな。…それにしても別れ際具合が悪そうだったけど、大丈夫だったのだろうか。

 ふっと思考に沈み込みそうになって、慌てて現実に頭を戻す。隣を見ると鋼牙は既にチョークを握って何かを書き始めていた。
 頭の中に、ノートに書いて説明してくれた兄の綺麗な筆跡を思い浮かべて、その通りに黒板に文字を書き連ねていく。

 …あの時殺生丸は…そうだ、こうやってた。あとはここを変形して…完成だ。
 どうでい、と横を見やれば鋼牙も丁度最後の一行を書き終わる所。
 答えは…同じか、ちぇっ、あいつもあってんのかよ。

「宜しい、二人とも席に戻る様に。」

 教師にそう命じられて、二人とも席に戻る。お互い、「又引き分けかよ…」という哀愁の様なものが顔に漂っていた。

「二人とも答えは合っています。特に犬夜叉の解答は…無駄がありませんね、見事です。」

 教師にそう評されて、犬夜叉の顔が一気に誇らしげになる。家に帰ったら殺生丸に報告してやろう、と。



 そして、時がうつろって下校時刻になった頃。
 校庭の隅で鋼牙、白角、銀太の三人が頭を寄せ合って何かを相談していた。

「おい鋼牙、ほんとにやるのかよ、そんな事。いくら犬夜叉のうちだって言ったってよ、お前はその兄さんとは面識がないんだろ。」
「馬鹿野郎、あいつの所に遊びに来たとでも言っておけばいいんだよ。…兎に角、俺は。このまま引き下がるなんてこたあ絶対に出来ねえっ!!」

 数学の時間の賭けに負けはしても、鋼牙の野望は治まらない様である。



 その日、殺生丸は出社こそしたものの、今一つ体調が優れず、社長としての当面の書類だけを片付けると早々に帰宅した。何かあれば自宅に連絡してくれ、と言い残して。
 この屋敷には数人の使用人を雇っていたが、ちょうどこの刻には皆出払っていて、広い敷地の中には殺生丸ただ一人であった。執事を置くべきかどうか考えた事もあったのだが、プライベートな空間を維持する事が難しくなるため、取りやめたのだ。
 自室に入り、住み込みの家政婦が綺麗にベッドメイクして行った大きな寝台に身を預ける。ひんやりとした感触が頬に気持ち良かった。

 そのままぼんやりと何時間かの時を過ごした様な気がする。玄関のチャイムが鳴る音でまどろみから呼び覚まされた。

 …何時だ…?
 もう、夕刻か。又弟が朝鍵を忘れて家を出でもしたのだろう。全く、私がいなかったら誰か使用人が戻って来るまで玄関先で待つつもりか?

 苦笑しながら、それでも少し重く感じる体を叱咤して起き上がり、一応インターフォンの受話器を取る。

「はい。」

 だが、返って来たのは犬夜叉の『開けてくれよ、殺生丸〜』という嘆願の声ではなく、聞いた事の無い子供の声であった。

「あの、俺達…」
「犬夜叉君の友達なんですけど…」

 思えばこの屋敷にあれの友人が来るのは初めてだった。犬夜叉が何処かの家に遊びに行く事は多々ある模様であったが、家で仕事に当たる事もある殺生丸を気遣ってか、彼が此処に誰かを連れて来た事は無い。
 もしや、学校で怪我でもしたのか?だがそれなら友人達が連絡に来るより先に教員から連絡がある筈だ。

「少し待っていろ、今門を開ける。」

 そう告げて門のセキュリティーを解除する。少し頭がふわふわとしたが、自らも建物を出て、門の方へと向かった。
 門をくぐった所に三人の子供が物珍しそうに辺りを眺めている。

「…犬夜叉に、何か用か?」

 殺生丸がそう問い掛けつつ近付くと三人は雷に打たれでもしたようにびくりと肩を震わせて振り返った。

「すげー…鋼牙が此処まで執着するだけの事はあるぜ。」
「変な事を言うな、いいか、おめえら、手を出したら承知しねえからな!!」
「わ、分かったよ、親分…」

 そんな三人の小声の会話が殺生丸の耳に届いていなかったのは幸いか。

「いえ、ちょっと遊びに来たんだけど…」

 言い掛けて、いざ来てみれば言うべき言葉が見つからない鋼牙が困ったように横を見る。
 と、その語尾をさらうかのように殺生丸が口を開いた。

「未だ犬夜叉は帰っていないが…待つのなら居間で待つがいい。」

 一度も友人を連れて来なかった犬夜叉。今回も彼が招いたというよりはこの小さな客人達が勝手に押し掛けて来た、といった所か。
 悪い子供には見えなかった、居間を貸しても特に問題はあるまい。

 殺生丸が先に立って館の中へ戻ろうとした時。

「うわあっ、お前ら何してやがる!!」

 門の外から犬夜叉の叫び声が飛んで来た。ようやく帰宅したらしいその姿を見て、鋼牙が『やべっ』という顔をする。

(いいか、一生に一回ぐれえお前に頭下げて頼んでやるから俺に話を合わせろ!!)
(やなこった!!大体てめえは賭けに負けたじゃねえか、殺生丸にちょっかい出すんじゃねえ!!)

 その駿足でもって一瞬後には門扉の所まで戻った鋼牙と、いまだ門扉の外にいる犬夜叉が睨み合って小声で言い争う。
 静かに近付いて来た殺生丸に、二人共ぴたりと口を閉ざしたが。

「何をしている、入らぬのか、犬夜叉。」

 そう言われて、途端に犬夜叉は気まずそうな顔をして。

「…鍵忘れちまったんだよ、朝。」

 …やはりか。随分と慌てていたから、今日もきっと忘れているのではないかと思っていた。
 無言のままセンサーに指紋を照合し、再び門扉を開く殺生丸に、犬夜叉が門の中に駆け込んで来る。

「おい、そんな仕組みがあるなんて知らなかったぞ、俺のもそれにしてくれよ、毎度毎度鍵を忘れてたらかなわねえだろ。」

 早速兄にまとわりつきながら犬夜叉が鼻を鳴らす。

「…これは中から扉を開く事しか出来ぬ。」

 返って来た答えはそんな短いもので犬夜叉はすぐにしゅんとした表情になったのだが。

「…っておい、殺生丸、お前凄い顔色だぞ。大丈夫かよ。」

 間近で兄の顔を見上げて、犬夜叉は一発でその体調不良に気付く。外に出て来た最初より、今の体調は確実に悪化していた。

「ああ…少し眩暈がする程度だ、大事無い。だが、此処でお前の友人をもてなしてやる余裕はありそうにないな。先に部屋へ戻るが、ゆっくり遊んで行け。居間も、台所も好きに使って構わぬ。」

 犬夜叉の耳許に低くそれだけを告げて踵を返そうとした兄を、その腕を掴む事で犬夜叉が止める。

「今にも倒れそうじゃねえか、俺が連れてってやるからちょっと待ってろ。…やい、鋼牙、今日は見逃してやらあ。てめえ、足が速いのだけが取り柄なんだからちょっと薬局行って来てくれ。来た道にあっただろ、いつもの薬出してくれっていえば薬屋の親父には分かる筈だから。代金は家に付けて貰えばいいから心配ねえ。」
「お、おう。」

 犬夜叉が兄の手をセンサーに照合させて再び門扉を開くのと、鋼牙がそこから飛び出して行くのが同時だった。
 残る白角と銀太が所在無さ気に犬夜叉を見る。

「わかってるよ、てめえらはお付きで来たんだろ、別に怒っちゃいねえ。ちょっと俺の鞄持ってついて来てくれ、俺は殺生丸を運ぶからよ。」

 犬夜叉がその荷物を二人に預けて兄の背に手を掛ける。弟が何をしようとしているか瞬時に察した殺生丸が慌てて止めるが時既に遅く。

「意地張ってんなよ、落としゃしねえから大丈夫だって。ただでさえ軽いんだしよ。それに体調の悪い時に無理して動くなっていつも医者に言われてるだろ。お前、ほんと自分の身体の事になると無頓着だから…」

 自分の身体を抱え上げた犬夜叉がぶつぶつと呟くのに、やがて黙って身を任せた。

 殺生丸は元気が取り柄の弟とは違って体の調子を崩す事が多かった。自分の事となると無頓着で、仕事を優先させるからかも知れないが。
 そしてそんな兄の看病をするのも、犬夜叉は慣れたものであった。居間の暖炉に火を起こして、その側に寝椅子を運んできてぐったりとしている兄を座らせる。

「寒くねえか?」

 そっと問い掛けてやると目を閉じたまま大丈夫だ、と掠れた返事。思いついて挟ませた体温計は、兄に微熱があることを示していた。
 と、玄関のチャイムの音が不意に鳴り響く。
 がちゃりと受話器を取り上げた犬夜叉の耳に飛び込んで来たのは鋼牙の叫び声。

「やい、犬っころ。貰って来てやったぜ。有難く受け取れよ!!っていうか、早く門を開けやがれ!!」

 セキュリティーボタンを押して門を開けながら、犬夜叉が耳を押さえる。

「くっそー、殺生丸の為じゃなかったらぜってー開けねえ。」

 憎まれ口を叩く犬夜叉に白角と銀太は思わず笑った。
 建物の入り口の鍵を開けてやると、鋼牙が鼻息荒く入って来て。この屋敷はセキュリティーが固すぎなんだよ、とぼやく。

「まあ鍵をいつも忘れてる俺としては同感だけどよ、しょうがねえだろ。下手にセキュリティーを緩めて俺が目を離した隙に殺生丸が痩せ狼に喰われてた、なんて事にならねえようにしねえとな。」

 相変わらず犬夜叉は憎まれ口をたたいて。鋼牙はそれに目を吊り上げた。

「殺生丸、居間にいるから静かにしろよ。」

 不意に音量を抑えた犬夜叉の声に鋼牙も声を抑える。
 扉を開ければ寝椅子に横たわる美しい影。

「おい、貰って来た薬をかせ。」

 犬夜叉が鋼牙の持っていた紙袋を受け取ると台所から水を汲んで来て薬と一緒に盆に乗せ、兄に差し出す。

「飲めそうか?ほんとは何か口に入れてから飲んだ方がいいんだけどな、お前いつもこういう状態の時は何も喉を通んないだろ。」
「ああ…」

 器に伸ばされる細い綺麗な指先に、すぐ側で眺めていた鋼牙は思わず目を奪われる。と、少し潤んだ殺生丸の視線がそちらに巡って来た。

「…世話を掛けたな、客人。」

 それが殺生丸なりの礼の言葉だと知って、鋼牙の顔が赤らむ。

「ちぇっ、礼なんか言うことないぜ、殺生丸。こいつは家宅侵入者だからな、罪滅ぼしでえ。」

 横から気に入らなそうに犬夜叉が文句を言うのを殺生丸が片手で制して薬を口に含み、水でこくりと飲み下す。

「あの、俺の名前は鋼牙だ。」

 出し抜けにそう言う鋼牙に、『覚えておこう』と小さく応えを返すと殺生丸は静かに瞳を閉じて又寝椅子に頭を預けた。

「なあ、鋼牙…今日はもう帰った方がいいんじゃないか?」
「そうですぜ、親分。親分の目当てのお方は体調がお悪い、これ以上ここにいるのは…」

 脇からそう話しかける二人を鋼牙の鉄拳が見舞う。

「分かってんだよ、そんなこたあ。」

 ぎろりと睨みを利かせて、今度は一転して熱情的な瞳の色を浮かべて殺生丸の寝ている側に寄り。それが彼の相手を口説く時の癖なのかどうなのか、力なく上掛け毛布の上に投げ出されている殺生丸の手を取った。

「それじゃ、俺は帰るけど。…大事にしろよ、犬っころが看病する筈だからよ。」

 犬夜叉も、そして子分の二人も、その台詞には思わず凍りつく。
 対する殺生丸は。…僅かに口の端を上げて笑っていた。

「…面白い子供だな。」

 今度は犬夜叉がにやりとし、鋼牙は『子供扱いかよ…』とげんなりし、そして残りの二人は冷や冷やと成り行きを見守る。



 結局そのまま鋼牙達は帰って行ったのだが。
 弟である犬夜叉は、兄がほんの少しあの悪友を気に入っているのであろう事に気が付いていた。殺生丸の隣に腰を下ろして赤々と燃える暖炉の火を見つめながら、ぽつりと溜め息をつく。

「…どうした…?」

 静かに問い掛けて来る兄の手に、犬夜叉もそっと触れてみて。そんな弟を、殺生丸も振り払う事はしない。

 数時間後、暖炉の前には少し広めの寝椅子に寄り添って眠る兄弟の姿があったとか。



◇ 後記 ◇
 現代版だとどうしても弟に甘い兄君になる拙作。この作品で頂いたリクエストで初めて鋼牙×殺の美味しさに気付いた私は未熟者です(笑)機会があったら、鋼牙と犬夜叉を連れて兄上が別荘へ避暑に行く話とかも書いてみたい。

2003/12/25 Shisui Gagetsu






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