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揺風 -YOUHUU-


 ゆらり、ゆらりと…まるで風に吹かれる柳の枝そのままに生きて来た半生。もし人がそんな己の姿を知ったなら、きっと侮蔑の眼差しを向けるのだろう。それが恐ろしくて、どんな頼みごとをされても二つ返事で引き受けて”頼り甲斐のある自分”を演出して来たけれど。

「僕の頼みごとを実際に引き受けてくれなくとも良いんです。ただ…”大丈夫”といつもの様に笑って、僕に束の間の安堵を与えてくれませんか…?」

 源氏の軍が誇る策士である男にそんな風に言われるとは思わなかった。
 頼み事は、”九郎を頼みます”とただそれだけ。…そう、まるで自分自身は消え失せてしまうが故に、誰かに大切な親友を託したいというかの様に。

「俺なんかでいいの?…俺はさ、ほんとに駄目な奴だよ。」

 茶化すことも、深く追求することも無く応えたのは、相手がそれを望んでいるのだと肌で感じたから。口からぽろりと零れ落ちた自嘲の言葉は、不意に唇を封じるかの如く伸ばされたしなやかな指に遮られた。

「景時…言ったでしょう、引き受けてくれなくとも良いんです。…貴方が笑ってくれると、その笑顔がまるでのどかな昼の光の様で…僕はどんな困難なことでも出来そうな心地がするのですから。」

 彼にそんな風に思われていたなど、知らなかった。鎌倉殿の弟である九郎の無二の親友…ずっと同じ陣に居れば顔を合わすことも少なくなかった筈なのに、これまで驚くほどに個人的な接点が無かったから。

「…さよなら、景時…貴方もどうかご無事で。」

 唇に触れていた優しい感触が去るのと、彼のそんな言葉を聞くのが同時だった。


 そうして、その翌日。戦の最中に弁慶は叛旗を翻してみせたのだ。神子の機転で源氏の軍の甚大な被害は食い止められたものの、その神子は既に弁慶自身に何処かへ連れ去られ、九郎はこれまでの信頼の裏返しに心に酷い痛手を負った。

”景時…九郎を頼みます。”

 機械的に口に運んではいるものの、食も眠りも進まない様子の九郎を見ていると、ふっと頭の中に彼の声が甦る。

 ―――無理だよ、軍師殿。君じゃないと…こんな状態の九郎は慰められない。

 前夜、彼とあんな会話を交わした折に、引き止めておけば良かったろうか。去り際の彼は完璧な微笑で己の感情を隠していた…九郎は弁慶の言葉通り彼が源氏を裏切ったのだと信じているだろうが、前夜の彼のあの様子を見れば、彼の行動の根底にあるものは裏切りではなかろう。

「…何をやっている。」

 九郎の天幕の近くで見張りをしながらそんな事を考えていると、いつの間にか天幕から出て来ていたのだろう、九郎がすぐ後ろに立っていた。

「夜番をしていただけだけど…ごめん、ちょっとぼうっとしてたかな。」

 九郎はそれを咎めることもせず、ただ隣に並んで夜空を見上げる。

「闇夜…か。照らす星の一つすら見えないな。」

 星にも月にも見放された夜…まるで片腕とも言える存在を失った九郎を暗に喩えているかの様な。

「九郎…目に見えるものだけが真実とは限らないよ。真っ直ぐな君には理解し辛いかも知れないけど、軍師殿には何か思うところがあった筈だ。」

 せめてもの助言としてそう言うも、九郎が俯いた頭を上げる気配は無い。

「どんな理由があったというんだ。あいつは…俺の傍に居ても戦は終わらないからと、そうはっきり言っていたじゃないか。」

 押し殺された声音には、諦めにも似た苦渋が浮かんでいた。

「…昨日ね、軍師殿に会ったんだ。”九郎を頼みます”ってそう言われたよ。それから俺にも”どうかご無事で”って。…源氏に害を為そうとする人間の言う台詞じゃないよね。」

 二言目に掛けた言葉は幾分説得力があったらしく、九郎ははっとした様に息を呑んだ。

「あいつを信じてもいいと、お前はそう思うのか。」

 改めてそう尋ねられると明確に答える事は出来ない。それでも、心の中では既に彼を信じ、力になりたいと願っている自分がいる。

「…一晩考えさせてくれ。もしあいつが一人で戦う気なんだとしたら、手を貸してやりたいからな。」

 此処に来た時とは違った空気で立ち上がった九郎の声には、一軍を率いる指揮官としての威厳が戻っていた。

 ―――見事なものだ。何と見事な絆だろう。
 若い頃京で出会ってから友情を育んだという二人の間には、きっと何者も立ち入れないのだろうと思った時、ふっと気付くか気付かぬかという程の小さな痛みが胸を過ぎった。


 翌朝、九郎は厳島への進軍を全軍に号令した。厳島…平家に所縁の深いその土地は、未だ源氏の侵攻を受けずに残っている場所で、恐らくは其処に敵の総大将も、そして弁慶も居ると踏んだのであろう。

「あいつが本当に裏切ったというなら…その時は俺がこの手で倒す。そうではないというなら、精一杯力になってやるさ。…あいつはいつも他人のことばかりで自分の悩みは絶対に打ち明けないからな。」

 決意を口にする様にそう呟いた九郎の言葉に、僅かに苦笑してしまった。
 ―――結果的には彼の頼み通り、己は九郎の精神を守ってやれたのかも知れない、と。


 大軍を引き連れていることもあり、海路厳島へ渡る事が出来たのは、その朝から二つの夜をまたいだ夕刻の事だった。不気味なまでに静まり返った島には人影が無いばかりではなく、怨霊の姿も無い。

 …既に、全てが終わった後だというのか。それならば彼は…そして神子は一体何処に。

 焦燥に駆られつつ足を向ける場所は島の最深部である、舞台。何かの儀式をやっていたかの如く祭具が並べられたその場所の中心に、見覚えのある黒い長衣が見えた。

「弁慶っ!」

 罠ではないのかと警戒するでもなく走り出した九郎に、皆が従う。弁慶はうつ伏せに倒れた身体の影で、その身をもって龍神の神子を庇っていた。

 二人とも呼吸はあるだろうか。まさか間に合わず命を落としている様なことは…。

 胸に湧き起こる不安をそのままに二人の傍らに膝を付く。神子の方は白龍に抱き起こされて微かに身じろぐ様子で、幾つかの掠り傷を除いては無事の様子。されど弁慶の方は、九郎がその背に手を触れた瞬間に掌にべたりと付いた血糊の紅色が酷く鮮やかで。絶望的な表情で呆然となった九郎から彼の身体の重みごと引き受けた。
 身体はまだ温かい。恐る恐る首筋に手を当ててみて、微弱ながら脈を感じることにほっと一息付いた。

「…大丈夫だよ、九郎。重傷だけど、きっと助かる。」

 根拠など無い。それでも、願うように、言の葉の呪縛でその命を留めるように、そう呟く。

”…貴方が笑ってくれると、その笑顔がまるでのどかな昼の光の様で…僕はどんな困難なことでも出来そうな心地がするのですから。”

 君がそう望むのなら、ずっと笑みを浮かべているから。だから逝かないでくれ、この現世に留まってくれ。
 ふっと脳裏に蘇った彼の言葉にそう願わずには居れなかった。




 手当てを受けた弁慶の意識が戻ったのは、その三日後のこと。

 その間に、先に目覚めた神子の言葉で怨霊となった清盛の死とこの長きに渡る争いの終わりが告げられ、軍装を解いた兵士達の賑やかな声とは裏腹に、軍の幹部たちが詰める天幕は重苦しい空気に満ちていた。
 九郎は親友の枕元を片時も離れずに戸板の上に投げ出された彼の細い手を握りしめ、異世界から召喚された神子や有川兄弟は不安そうに出入りを繰り返す。弁慶の血縁であるヒノエが一番落ち着いて看護のあれこれを仕切っていた。

 彼が目を覚ましたのは、いくら何でも身体を壊すからと看護の役を交代して皆を休ませた夜半のことであった。

「…疲れた顔をしていますよ、景時…済みません、僕のせいですね。」

 九郎の代わりにという訳ではないけれど、彼がしていたのと同様に眠っている弁慶の手を己の手で包みこんで、祈る様に目を閉じていた時、常よりは僅かに掠れた声にそう呼び掛けられた。
 大丈夫かだとか、気が付いたのかだとか、普通なら陳腐な台詞を吐く場面だろうに、一気に押し寄せて来た安堵のあまりに言葉が出ない。気が付いたら、相手の傷口に触れぬよう一応の注意は払いながら、強く強く抱きしめていた。

「景時…?」

 戸惑うような、弁慶の声。彼の口から呼ばれる己の名前が、酷く優しい響きに聞こえた。その余韻を暫し楽しんでから、咄嗟にとってしまった行動を誤魔化すように言葉を紡ぎ出す。

「ごめん、九郎も皆も心配してずっと付いてたんだ…目が覚めたって知らせてやらないといけないね。」

 彼の体を閉じ込めていた腕の力を緩めた時、それを留める様にそっと彼の手が添えられた。

「どうかもう少しだけこのままで…それに折角眠りに就いたならば…朝まで寝かせてあげたいですから…。」

 少しはにかむ様にそう言われて、外の冷気から守るようにもう一度彼を抱き込む腕を強める。

 きっと…きっと自分は彼の中で九郎と同じ様な存在にはなれないけれど…それでもこうして生きて二人で過ごす時間が取れた事が、どうしようもなく嬉しかった。
 いつの間にか好きになっていたのかも知れない。自分の駄目な所をきっと全て承知した上で、頼ってくれる彼が…そう、あの晩も、今この時も。

 言葉にして発する事は叶わないその想いを、唇の熱に託して彼の柔らかい髪に口付ける。後ろから抱え込まれる形で此方に背を向けている彼がそれに気付いているかどうかは定かでは無いけれど、それでもことりと胸に頭を預けてくれた仕草に、この心を容れて貰えた様な気がした。

 ―――いつか、告げられたらいい。
 いつの頃からか君を愛していた、と…そんな風に率直に。
 そう、もう少しこの心に勇気と想いを育てたその後で。




◇ 後記 ◇
2005年度弁慶BD企画第一弾のテーマは景弁に挑戦(笑)。景時はへたれ君(←こんな事を言っていますが、牙月はへたれ君な景時にラブです)で且つ、弁慶とこれといって運命的な絡みがある訳でもないのが難点。きっと凄くゆっくりと互いの心に好意が芽生えるんだろうと思いながら構想を練ったら、シーンとして妙に劇的な舞台を選んでしまいました。今度はもっと生活感溢れる日常の中でのほんのりしたシリアス景弁も書きたい。

2005/02/10 Shisui Gagetsu
Special Thanks for... 景弁をリクエストして下さった華那様&沙奈様






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