novels index





星明 -SEIMYOU-


「まあ自業自得っちゃあそれまでだけどよ、あいつも悪い相手に絡んだもんだぜ。」
「お頭、綺麗な顔しておっかねえもんなあ。」

 橋の袂でひっそり軽口を叩き合う若者達の目線の先には、長い衣でその身を覆い隠した細身の影。風に揺れる柳の如くしなやかで儚げなその風情を裏切って、その人物の手には一振りの薙刀が握られていた。

「夜も更けてきました、帰りましょうか?」

 そんな事を呟いて涼しい顔をして振り返った口許には薄い笑みが刷かれてはいたが、その瞳には何とも冷めた光が浮かんでいて。若者達ははっとした様に口を噤んで、徒党の頭である青年へと馬の手綱を差し出した。

「ふふ、有難うございます、羅漢。…では、また明日。」

 月光を背に微笑む姿は吉祥天もかくやという程。既に見慣れている筈なのに、若者達が思わず感嘆の溜め息をついた時、彼らの頭の姿は橋を越えて遠くへと去っていた。


 そもそも頭が一体何を考えて夜毎彼らと行動を共にしているのか、若者達には未だ把握出来ていない。その武器の扱いの上手さとかつて頭が比叡に身を置いていたという事実から、巷では彼らの頭は乱暴者の荒法師と噂されているけれど…彼らの目に映る頭は、あの妖艶な微笑と謎に包まれてはいても…雅やかな振る舞いが板についた、乱暴とは程遠い存在だった。

 頭が武器である薙刀を振るう時…それはどちらかと言えば、自分の身に降りかかった火の粉を払うという意味合いが強い。その華の様な容貌が災いしてか、権力を笠に着た中堅貴族や酔漢に言い寄られる事が多い彼は、初めは言葉で応対するものの、腕力に訴えられるならば容赦無くその武器を手に取ったのであった。
 恐らくは彼に歯が立たなかった者達が腹いせに悪い噂を流した結果、荒法師などと呼ばれることになったのであろう。

 月に一度か二度、頭は京を離れて何処かへと馬を駆る。その行動は単なる道楽では無いのだろうと、若者達はいつしか気付き始めていた。

 彼らの頭の名を武蔵坊弁慶―――知られざる幼名を鬼若と言う。



「おい、其処の者。」

 始まりは、夜半に五条大橋を通り掛かった若者の、騎馬の上から誰何する声。

「…何か?」

 纏っていた頭巾を翻しつつふわりと振り返ったのは、優しげな風貌の…男。美しい顔立ちではあったが、流石にこの様な時刻に女が一人で出歩いている筈も無かろう、と若者はそう思った。

「つかぬ事を聞くが、この五条大橋で暴れ回っていると噂になっている弁慶という荒法師を知らないか?」

 問い掛けた言葉に相手が微かに首を傾げ、その角度から相手の表情が影になって隠される。

「荒法師の弁慶をお探しなのですか?…当てが無いこともありませんが、見た所由緒ある家の御子息の様…荒法師風情に何用でいらっしゃいましょう。」

 丁寧な言葉遣い。それでいて、どこか突き放す様な冷たさを含んでいるのは何故なのか。
 それを疑問に思いつつも、当初の目的通り情報を得ようと若者は言葉を次ぐ。

「そいつの居場所を教えろ。俺は遮那王…またの名を源九郎義経。京の者に害為すその荒法師を退治しに来た!」

 風に吹かれつつなよやかに立ったままの人影は、暫しの沈黙の後小さな溜め息を吐き出した。

「…勇敢な若君ですね。しかし京の者に害を為す、とは…私はただ自分の身を守っただけなのですが。」

 溜め息と共に吐き出された言葉は場所を示唆する単語とは程遠くて。

「何を言っている…?」

 疑問のままに思わず問い返した所で、不意に相手が身体を屈め、今まで床に置いていたのであろう薙刀の切っ先を向けて来る。

「分かりませんか?…お探しの”弁慶”は私だ、とそう申し上げたのですよっ!」

 咄嗟に馬を下りて飛び退るも、つい先刻まで優しげな顔を見せていた相手の太刀筋はこれまでに九郎が立ち会ったどんな相手よりも確かなもので、傷こそ負わなかったものの、武器の切っ先で飾り紐の一つを断ち切られた。

 ―――何という男だろう。

 此方も武器を構えて渡り合うこと幾合か…どちらも舞うが如く軽い足捌きゆえに、勝負の結果は中々見えては来なかった。
 間合いをとって一旦離れたところで、ふっと弁慶の方がその武器の切っ先を下げた。それはこれ以上はもう攻撃する気が無いという、その証。

「今日の私は確かに人に害を為す存在のようです。襲われもせぬうちから貴方に刃を向けた。…今宵はもう戻ります。源九郎義経…と言いましたか、源氏の御方なのですね…その名前、覚えておきますよ。」

 呟く様な言葉が風に乗って九郎の耳に届く。近くに仲間がいるのだろう、橋の向こうから放たれた馬に弁慶はひらりとその身を乗せたのだった。



 それから数日。呼び止める間も無く馬上の人となって去ってしまった相手が気になって、九郎は毎晩寺を抜け出しては五条大橋へと足を運んだ。刃を向けて来る前の一言、そして唐突にそれを退いた姿は、噂になっているただのならず者とは到底思えなかったから。
 それでも、その場所にかの人の姿を見ることは無く、荒法師弁慶が現れて都の誰それという貴人が襲われたという市井の噂も耳には入って来なかった。
 今宵会えなければ、もう彼を探して此処を訪れるのは止そうと思った日の夜。

「義経殿。」

 馬を下りて橋の中ほどで佇んでいた九郎の耳に静かな馬の足音が聞こえ、それはその真後ろで止まった。呼び掛けてきたのは、先日よりは幾分柔らかい雰囲気の優しい声。

「貴方が毎晩こちらへおいでのようだと、仲間達がそう騒ぐので…。」

 だから己も来てみたというのだろうか。あの日出会った九郎義経という存在を気に掛けてか、それともあまり己の縄張りをうろつかれては迷惑だと釘を刺しに来たのだろうか。
 感情が直接に表情に出ると人に言われる事が多い九郎の表情を読み取ったのか、弁慶は自分も馬を下りながらふっと笑んだ。

「正直な所、貴方に再び会い見えたかったのか、それともあれきり別れて二度と会わぬ事を望んでいたのか、自分でも分からないのですよ。…貴方が何度も此処へおいでになったのは…やはり私を退治なさりたいからですか?」

 笑みを含んだ語尾には冗談めかした親しみが現れていて、そんなことが不思議と嬉しくなる。

「違う。…気になったからだ、何とはなしに…もう一度、話がしたいと思った。…勿論、お前の太刀筋は見事だったから、また機会があれば手合わせ願いたいが。」

 はっきりと否定した言葉に、微笑み返してくる笑顔がまるで華の様。太刀筋の話を出した途端にその顔がふっと翳った。

「あの夜のことはお詫びしなくてはいけませんね。突然刃を向けるなど無礼な輩だとお思いになったでしょうが、普段の私はそれほど短気ではないつもりなのですよ。ただあの晩は…貴方の瞳が今まで私が出会った他の誰よりも純粋で真っ直ぐな光を湛えていて…それに少しいらつきながらも惹かれていたのでしょう。」

 惹かれていたとそう言われた瞬間、不思議な熱が胸に宿って。照れ臭い様なそんな感情を持て余して黙っていると、九郎の隣へ来て欄干にその身を預けていた弁慶が悪戯に言葉を続けた。

「ふふ…想像も付かぬかも知れませんが、夜半にああしていると女子と間違えて絡んで来る不逞の輩も多いのですよ。」

 つまり市井の噂は、絡んで来た輩を一蹴してみせた弁慶に、その男達が面当て代わりに流したものだとそういう事か。それでもどの噂もその場所を五条大橋と伝えているのは、偶然ではあるまい…或いはこの弁慶が五条大橋でわざとそういう輩を引き寄せているということなのか。

「…っ…危ないだろう、何故わざわざまるで囮の様な事をするんだ。」

 九郎の口から思わず出た返事は、心配が滲んで僅かに咎める様な言葉だった。弁慶はそれに一瞬目を瞠り、それからゆっくりと欄干からその身を離す。

「…さあ。…刺激が欲しかったのでしょうか…でもそうするとやはり私は争い事を好む者だという事になってしまいますが。」

 ”刺激が欲しかった”…弁慶のその言葉は九郎にも覚えのある感情だった。幼くして母と引き離され、ひたすらに仏道修行に励めと言われても、毎日が同じ調子で単調に過ぎて行くのが酷くもどかしく思えたが故。今こうして夜半に抜け出しているのも、恐らくは同じ理由。

「寺にお戻りになるまでに未だ時間の余裕があるのなら、お茶でも如何ですか?私の住まいはこの近くなのですよ。…私は医術の心得があるので薬師の真似事も致しますが、まさか貴方にお出しするお茶に妙な薬を盛る様なことも致しません。」

 九郎が鞍馬の寺に暮らしているのだといつの間に調べたのか、さらりと手の内を明かしてみせた弁慶が何気無く自分の住まいへと誘うのを、断る理由は無かった。



 幾月も、幾月も。二人はそんな逢瀬を繰り返しては友情を育んでいった。ある時は弁慶の庵で、またある時は共に夜の京を馬で駆けて。
 弁慶の丁寧な口調は今も変わらぬものの、友人らしくもっと親しく呼べという九郎の言葉にいつしか『君』と呼称が変わった。他人と接する時に無難な笑みを作って『私』と己を呼んだけれど、九郎と二人で居る時はまるでその子供時代を彷彿とさせる様に『僕』と本音を話すこともあった。

 夜の京で思いがけず出会った人。少し年上で、時にはまるで兄の如く親身に相談に乗ってくれるその人が、願わくば生涯の友であってくれる様にとそう思う。

 もう夜明けも近かろうという時刻、彼の庵へと出掛けた帰り道でふっと見上げた空に輝く星の光は、まるで今別れて来た人の微笑みにも似て九郎の行く道を照らしていた。




◇ 後記 ◇
御嬢受祭様に捧げる御嬢受創作…(笑)”御嬢”こと荒法師時代の弁慶氏と九郎との出会いを綴ってみました。あくまで創作ですので史実とはかけ離れていますが、この時代のお二方を書けて満足です。

2005/01/31 Shisui Gagetsu






|| Index ||
template : A Moveable Feast