Chapter3 ◇ 僕にうつしてもかまいません
―――後先考えずに訓練で鬱憤を晴らす様なことを、しなければ良かった。配下の兵が心配そうに声を掛けるのを無視して無茶をすれば、こうなることは当然と言えば当然の結果だというのに。
でも俺は、何だかむしゃくしゃして仕方が無かったんだ。
弁慶とヒノエ…叔父と甥の関係に当たるのだというが、年齢が近いせいか、俺から見ると兄弟の様に見える。憎まれ口をたたき合っていても、やはりその様子は仲睦まじくて。
ふっと己自身の事を考えずにはいられない。俺は鎌倉の兄上を尊敬しているけれど、兄上とあんな風に語り合った事は一度も無かった。
あいつらが羨ましくて、放っておけばこの理不尽な感情を親友である筈の弁慶にぶつけてしまいそうで。あいつは優しいから言葉を尽くして慰めてはくれるだろうが、あいつにそんな弱音は吐きたく無かった。
それが何故なのかは…分からないけれど。
苦しい…咽喉がやける様にひりひりと痛み、頭はぼんやりと霞が掛かったかの様。周囲は身体に突き刺さるような冷気で、それに取り込まれてしまいそうになった時、あいつの姿を見た気がした。出会ってから、いつも変わらぬ笑みで俺を支えていてくれた、黒衣の青年の姿を。
これは、夢か…?夢の中なのだろうか。視界が霞んで良く見えないが、心配そうな顔をした弁慶が此方へと近付いて来る。
力を篭めて彼の手を掴んだ、それは咄嗟の衝動だった。
『寒い…傍に…居てくれ。』
夢の中ならば、多少弱音を吐いても許されるだろう…?
程無くして、優しいしなやかな腕が俺の肩へと廻される。つい先程までの冷気は、もう俺を襲っては来ない。
『九郎…』
幸せな眠りに落ちそうになった時、あいつの酷く切ない声音で一度だけそう呼ばれた気がして。瞼を押し上げて確認しようとするも、体力の落ちた体ではそれは叶わなかった。
次に気が付いたのは、朝になってから。全身が酷く重かったが、昨晩に比べたら天と地の差がある程に回復しているのだと自分でも分かる。
…弁慶の御蔭だろうな。あいつは軍師としても、そして薬師としても一流だから。
未だ目をつぶったままぼんやりとまどろみ、微かに身がえりを打とうとして自分の指が誰かの細い指先をしっかりと握り締めている事に気が付いた。
…一体、誰の。
はっとして瞳を開ければ、すぐ傍に弁慶の黒衣とそこからのぞく茶色の髪が見えた。一晩中、ずっとこうして付いていてくれたのだろうか…恐らくは俺が彼の指を握り締めて離さなかったから。
疲れて眠ってしまったのであろう彼の寝顔にはどこか翳りが見えて、九郎はそのまま弁慶を起こす事はせずに自分も再び目を閉じた。
少し名残惜しい心持ちがしたけれど、きつく握り締めた指をそっと放す。
弁慶が目覚めた時にまだ自分がこうして握り締めていては彼が困るだろうし、第一、次に顔を合わすときに照れ臭くて仕方が無い。それに…たとえ眠っている時で自分があずかり知らぬ瞬間の事であっても、弁慶に手を振り払われる事など考えたくは無かったのかもしれない。
程無く、また意識が眠りの底へと手繰り寄せられていく。
その次に目覚めた時は既に昼近くか。部屋の障子に柔らかい日差しがさしていた。褥がのべられた室内には他に誰も居ない。
半刻ほど経ってから薬草が入っているのであろう袋を抱えて弁慶が戻って来た。
「目が覚めましたか、九郎。具合はどうです?」
僅かに身じろいで起き上がろうとした俺を目線で制して、そんなことを言う。第一声に施療所で町の患者達に接する時と何ら変わらない言葉を掛けて来るところが何とも彼らしいと思った。
「…昨日よりは悪くない。世話を掛けて済まなかった。」
そう返す己の声は明らかに風邪のせいで掠れていて、随分と情けない。
「世話だなんて思っていませんよ。薬師ですから、病人を看病するのが仕事です。」
軽く微笑む彼は、既に壁際に置いてある道具を用いて、運んで来た薬草の処理にかかっていた。
「弁慶」
壁の方へと顔を向けてしまった彼を此方へ振り向かせたくなって、特に用事も無いのに名を呼べば、弁慶はただ、「はい」と優しい返事を返すのみ。彼も俺の意図を掴んでいるのだろう、何の用かと重ねて聞いて来ることは無い。
ややあってから、薬の仕度が出来ましたよ、と彼が椀を持って枕元に端座した。
「これは空腹時に飲んでも胃に負担が掛からない薬ですから、今飲んでしまって下さいね。」
一旦その椀を床に置いて、俺が起き上がるのに手を貸してくれる。繊細であると同時にしなやかな強さを秘めたその腕に抱き起こされる様にされて、瞬時に彼の手を握り締めて眠っていた今朝のことを連想した。
かっと火照りそうになる頬を誤魔化す様に、弁慶が差し出した椀を手に取る。薬湯にはやはり独特の苦味があったが、それなりに飲み易く調節されていた。
飲み終わると、弁慶が俺から椀を取り上げて元のように寝かせてくれる。
「何か不便なことはありませんか?…心配なことも。」
さり気無く問い掛けられて、彼が暗に倒れる前のことを尋ねているのを知った。俺が無茶をして自ら風邪を呼び込んでしまったその理由を。
馬鹿だな、俺は。…察しのいい奴だから、遅かれ早かれきっと弁慶は俺の子供じみた嫉妬に気付くだろうに。
それでも黙って首を振ると、弁慶はそうですか、と言って椀を手に立ち上がる。井戸の水でそれを洗って来ようというのだろう。
その後も食事の世話や身の回りのこと、兵士の様子の把握まで、弁慶は何くれと無く俺を手伝ってくれた。ほぼ一日中そうして傍に控えていてくれる彼の御蔭で、体調が本調子でない俺は随分と心強かった。
「その…お前は大丈夫なのか…?風邪は、うつるだろう?」
ふと思いついて尋ねてみると、弁慶ははっとした様に瞳を見開いた後、一瞬俺から表情を隠す様に俯く。顔を上げた時には普段と何ら変わらない、でも真剣な色を含んだ瞳が唇の微笑と合わせて俺を捉えた。
「…僕にうつしてもかまいません。迷信ですが、風邪は誰かにうつすと早く治るといいますよ。」
まるで声の音で包まれる様な、そんな感覚に陥りそうになる。優し過ぎる言の葉は、紛れも無く彼の本心から来たもの。
…どんな相手にもこうして献身的な看護をするのだろうな。
この場には不似合いな、嫉妬めいた考えが頭の端に浮かんで消えた。
「…少し出掛けてきますね、陣を見回らなくてはいけないので。今夜大事を取ってゆっくり休めば明日はもう起き上がれる様になるでしょうから、身体を休めていて下さい。」
先に寝ていろということなのだろう、そんな言葉と共にもう一枚上掛けを着せ掛けて、弁慶は部屋を出て行った。
◇ 後記 ◇
いい台詞ですよね、『僕にうつしてもかまいません』…包容力と慈愛に満ちていると申しましょうか。どうでも良いですが、九郎の一人称はやはり弁慶の一人称よりも書き辛い。…このジャンルに限らず、牙月がいつも受けキャラ視点で話を構築するからなのでしょうが。第四話はどうしようかな、何しろ『お仕置き』ですからちょっと九郎には荷が勝ち過ぎるか!?ヒノエにもヘルプを要請しようかと悩み中(笑)
2005/01/12 Shisui Gagetsu
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